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内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その9)

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内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その9)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その9)

2024/08/24

昨日8/23に投稿した記事の続きです。

 

響月ケシーさんが8/14にインスタで配信された

動画『自分の神様の育て方』の内容を

取っ掛かりにして書いた記事が発端となって、

「内的観点と外的観点の両方を同時にもつ」

というテーマで記事を書き始め、

今日が9回目となりました。

 

これまでに書いてきた内容を前提として

話を進めることがあるので、

未読分のある方は、

まずそちらから先にお読み下さい。

ケシーさんの8/14インスタライブ『自分の神様の育て方』

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その1)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その2)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その3)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その4)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その5)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その6)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その7)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その8)

 

 

昨日投稿した(その8)の記事では、

地球外から地球という星を見るという

レアな体験をする

宇宙飛行士のことをとりあげました。

 

そして、そうした人たちが

「人生観が変わった」と語ったり、

宇宙飛行士の任務を終えてから

牧師などの宗教家になったりする人が

少なくないことを紹介したわけです。

 

地球に暮らしているわれわれ一般人が

地球について考えるときには、

地球とわたしたちがほぼ一体化していて、

「内的観点」に基づく見方しか

できないのに対し、

地球外に赴く任務を課せられる宇宙飛行士は、

その地球を外側から眺める体験によって

「内的観点」に基づく見方と

「外的観点」の両方をはたらかせることが

可能だと書きました。

 

では、なぜ人は、

内的観点と外的観点の両方を同時にもつことで、

人生観が大きく変わってしまったり、

牧師など宗教家になったりするのでしょうか?

 

今日はそれを考えたいとおもいます。

 

 

1983年に出版された立花隆さんの

代表作といわれる著作に

12名の宇宙飛行士にインタビューをした

『宇宙からの帰還』があります。

 

以下は本書からの引用。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

宇宙からはマイナーなものは見えず、本質が見える。

表面的なちがいはみんなけしとんで、

同じものに見える。

相違は現象で、本質は同一性である。(248頁)

 

神の名は宗教によってちがう。

キリスト教、イスラム教、仏教、神道、

みなちがう名前を神にあてている。

しかし、その名前がどうあれ、

それが指し示している、

ある同一の至高の存在がある。

それが存在するということだ。

宗教はすべて人間が作った。

だから神にちがう名前がつけられた。

名前はちがうが、対象は同じなのだ。(265頁)

 

あらゆる宗教が神とはいかなる存在で、かつ彼が

いかにしてこの世界を作ったかを詳細に語っている。

しかし、宇宙で私が感じたのは、

そんなことはどうでもいいじゃないかということだ。

宗教の細かな教義なぞどうでもよい。

目の前に宇宙は美しくある。

それだけで充分じゃないか。

その美しさにただ堪能せよ。(301頁)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)

 

この本が出された時点では、

地球外から地球を観るという体験をした人が

世界で100人ほどしかいなかったんですが、

人が生きるということの本質であるとか、

人が神と呼んでものが

身近に感じられるようになることを

もたらすのでしょう。

 

帰還した宇宙飛行士たちが口を揃えて言うことは、

地球上における国家間の対立であるとか、

地域紛争、人種問題、宗教間の対立・・・

そうしたことがいかに取るに足らないちっぽけで

バカげたことであるかということだったようです。

 

響月ケシーさんは、インスタライブで、

自分を外側から観察すること、

つまり、外的観点から自分を捉える

もう一人の自分を培うという意味で、

「自分の神様の育て方」と話されていました。

 

地球外に出て地球を観る体験をした

宇宙飛行士は、神を身近に感じて宗教家に。

 

両者の共通点として

〝神〟というキーワードが出て来ているところが

面白いですね。

 

内的観点と外的観点の両方を同時にもつことで

そこに〝神〟なるものが出現したり、

〝神〟が感じられたりするのは

何故なのでしょうか?

 

 

ちょうど1ヶ月ほど前に、ゆうきゆうさん原作の

マンガ本を紹介する記事を書きました。

ゆうきゆう(作画:長月みそか)『マンガで読む心のクスリ』

 

 

その記事で紹介した記事のトピックに

・心を癒す日記の書き方

というのがあります。

 

この記事ひとつ読むだけでも、

この本1冊をお金を出して手に入れるだけの

価値があるとも書いたんですが。

 

心を癒す日記の書き方をひとことで言うなら

「2×2」と書かれていたんですが、

ひとつは、客観的事実と主観的な気持ち。

 

もう一つは、

ポジティブとネガティブ

 

さて、客観的な事実と主観的な気持ち、

ポジティブとネガティブの

各々両面を書き記して行く行為を

習慣化することで気持ちが整うのは、

なぜなんでしょう?

 

 

この続きはまた明日に!

 

 

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