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内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その10)

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内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その10)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その10)

2024/08/25

昨日8/24に投稿した記事の続きです。

 

響月ケシーさんが8/14にインスタで配信された

動画『自分の神様の育て方』の内容を

取っ掛かりにして書いた記事が発端となって、

「内的観点と外的観点の両方を同時にもつ」

というテーマで記事を書き始め、

今日が10回目となりました。

 

これまでに書いてきた内容を前提として

話を進めることがあるので、

未読分のある方は、

まずそちらから先にお読み下さい。

ケシーさんの8/14インスタライブ『自分の神様の育て方』

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その1)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その2)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その3)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その4)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その5)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その6)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その7)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その8)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その9)

 

 

昨日投稿した(その9)の記事では、

12名の宇宙飛行士へのインタビューをまとめた

立花隆さんの著作『宇宙からの帰還』や

ゆうきゆうさん原作の漫画

『マンガで読む心のクスリ』を紹介しながら、

内的観点と外的観点の

両方を同時にもつことで、

人生観が大きく変わってしまったり、

心が整ったりすることについて触れました。

 

もうこの記事も今日で10回目になるので、

なぜ、そういうことが起きてくるのかについては、

敢えて詳しくは書かなかったんですが、

考えてみましたか?

 

 

端的に書くとすれば、わたしたちの日常において、

わたしたちのモノの捉え方や認知は、

内的観点か外的観点か

どちらかに偏ってしまっているんですね。

 

たとえば、科学、サイエンスの世界というのは、

エビデンス重視ということがよく言われますが、

客観的に数値的に観測可能であることや、

再現性というもの重視し、

個人的な実感や主観を排除したところで

成り立っています。

 

ですから、内的観点である個人の実感や体験、

実感・体験を元にした認識や思考そのもの

科学的に表現することは

そもそも不可能なことなんですね。

 

こうした、内的観点と外的観点という区別すら

意識していなかったり、

あるいは、区別できていたとしても、

どちらが正しいかというジャッジメントによって

どちらかを否定してしまったりすることが

割と日常的に行われてきました。

 

前の記事でも書いたことですが、

内的観点からの認識と外的観点からの認識は、

同じものを別の角度から観ているだけなので、

本来は相補的に機能し、

両者をつき合わせて確認することで、

「神」を近くに感じたり、

自己観察を習慣化して、

自分の内部に両方の視点を持つものを

「神様を育てる」と表現しているわけですから、

そもそも内的観点と外的観点とは

対立するものではありません。

 

にもかかわらず、わたしたち自身の内的な理解や

実感、体験等を、外的な尺度で測ろうとしたり、

事実を重視しながら

客観的、論理的に観察して捉える必要があることを、

主観的、情感的に意味づけようとしたりして、

内的観点と外的観点を混同、

ごっちゃにしてしまっているわけですね。

 

寺子屋塾の学習の土台を

算数、数学の学習を

日常的に繰り返し習慣化することに置いている

理由のひとつは、

とくに日本人の場合、

情感的に意味づけようとすることは得意でも

事実と認識をきちんと区別し客観的に捉えたり、

論理的に観察して考えたりすることが

なかなかできない傾向があって、

もちろん万人向けとは言えませんが、

多くの人にとって

効果的にはたらくことが少なくないというのが、

わたしがこの教室を30年間続けてきた

理由にもあるわけなんですが。

 

 

 

さて、今日のメインコンテンツですが、

内的観点と外的観点の両者を区別し、

かつ相補的に考える具体的な素材として、

池谷裕二さんが母校の高校生たちに行った

レクチャーをまとめてつくられた

『単純な脳、複雑な「私」』第3章から

〝自由〟についてのやりとりの一部分を

今日と明日の2回で紹介することにしました。

 

ここで語られている〝自由〟という言葉を

内的観点と外的観点の両方の側面から

読み解いてみて下さい。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3-33 僕らは本当に自由なんだろうか

さて、講義の後半では、昨日予告していたように、「自由」について考えてみよう。僕らはどこまで自由だろうか。そうだなあ、まず、クイズから始めようか。 はい、いま「○くら」と黒板に書いた。この「○」 に1文字入れてできる単語は何でしょう。 何を思いつく?

 

———さくら。
———まくら。
———いくら。

 

いろいろ思いつくねえ。でも、この中で真っ先に心に思いついたのは何だった?

 

———さくら。

 

そうだよね。何で〈さくら〉を思いついたんだろう。いま単語を3つ挙げてもらった。思いつくのは、そのどれでもよかったはずなんだけど・・・・・・。

 

———今日の講義のはじめに「桜がキレイだった」という話があったからではないでしょうか。

 

そうだね。ということは、同じ質問を秋に、つまり、イクラのおいしい季節に訊いたら、もしかしたら最初に思いつくのは〈いくら〉だったかもしれない(笑)。
僕らが自由にものごとを想像するとき、実のところ、どこまでが自由なんだろうね。実はそれほど自由はないかもしれないよね?「ルーティング」と言うんだけど、本来は考える道筋(ルート)にはたくさんの選択肢があるのに、その時点での思考は、過去に見聞きした経験や記憶によって制限されてしまっていて、思いのほか自由度が少ないんじゃないかと。
自由度が少ないというのは、裏を返すと、ちょっと怖いことでもあって、自分たちの行動は本当に自由なのか、それとも、あらかじめ決まっちゃっているのか、ということにもなってくる。

 

 

3-34 本当は脳に操られているだけ?
自由 vs 決定。自由論と決定論と言うんだけど、これ、どう思う? どう思うというのは、つまり僕らには自由があるのか、それとも、すべての行動はあらかじめ決まってしまっていて、ただ決められた通りに振る舞っているだけなのか。さて、どちらだと思う?

 

———決定論みたいに全部あらかじめ決まっていると考えちゃうと、自分が何をしようとしても、結局は自由論と変わらないんじゃないですか。

 

ん?つまり、自由論と決定論は二律背反的に分けられるものじゃなくて、結局は、同じこと言っているんじゃないかという意味かな? おもしろいなあ、それ。もうちょっとその意見を聞せてほしい。

 

———とりあえず自分の意志で決めたものがここにある、逆に、それがもともと決定されていたとしても、それは意識の上では自分の意志で決めたことだから、結局は、どっちも一緒なんじゃないかって思ったんですけど。

 

うんうん。なるほどね。意識の上ではあくまでも自由だってことだね。じゃあ、その「自由」な感覚、たとえば自由に選択したと思っていたものが、実は、そもそも決まっているものだったらどう思う?
たとえばさっきの〈さくら〉みたいに、本人は自由にイメージしたつもりかもしれないけど、フと気づけば、なんとなく〈さくら〉って思いついちゃっているわけだよね。これって僕らが自由にコントロールしたわけじゃなくて、無意識の自動プロセスを経て、自動的に〈さくら〉にたどり着いたわけだ。
自由なつもりでいるのは、あくまでも自分の意識の上だけであって、実際の思考はいくつかの決まりきったパターンしかつくることができなくて、そのパターンに従って、ただ口述しているだけ。 本人は自由だと思っているんだけど、実は、脳に操られている、あるいは環境に操られているという可能性はないかな。

 

———哲学になっちゃう……。

 

そうだね、これはまさに哲学の話だね。哲学の世界では昔からこの議論が繰り返されているよね。 じゃあ、隣の君は? 自由と決定ってどう思う?

 

———僕は人間は自由だと思います。もし無意識に決定されていたとしても、いつも理性的なわけじゃないですけど、心で決めることってともかくあるわけですから、やっぱり自由だと思います。

 

 

3-35 脳内反応はすべて美しい方程式で記述できるとしても
なるほど。君は理系だったよね。そうすると学校の授業で物理や化学を勉強するよね。物体の動きの法則、とりわけ物理の法則では、たとえばニュートンの法則が典型だけど、世界の動きを、美しい方程式で記述できるよね。それで未来を予測できる。
ロケットも宇宙空間に正確に飛ばせるし、100年先の日食だって何時何分にどの地域で起こるかが正確にわかる。決定論だよね。

その一方で、僕らの脳も物体だ。その中身を覗けば、生じている現象は化学反応にすぎない。その事実を改めて考えてみると、結局は脳内で生じていることって、すべて化学式で書けるような反応だから、心の生起も化学反応の連鎖にすぎない、ということにならないかな。だから、僕らの行動や思考は数式で記述できる決定論のはずだと。

 

———それは僕も前に考えたことがあるんですけど、もし脳のプロセスを全部計算できる巨大なコンピュータがあったとしても、そのコンピュータの中の無意識そのものは、そのコンピュータの中に入れることができないから、それを全部計算することはできないような気がするんです。

 

ん? 現実的に可能か不可能かということかな。 将来、ものすごく高速なコンピュータが開発されたらできるってこと?

 

———いえ、コンピュータの中の反応はコンピュータの中に入れることはできないということです。コンピュータ計算の結果として出力されたものも、それをデータとして入れなきゃいけないから、それを繰り返していくと、結局計算できない……。

 

おお、なるほど!それはおもしろいね。コンピュータについて、そういう視点では僕は考えたことがなかったなあ。ちなみに、そうした入れ子構造的な連鎖は「リカージョン」と言ってね、つまり、計算するコンピュータそのものの内部状態まで、同じコンピュータで計算しなきゃいけないということでしょ。
これはすごくおもしろい話だから、今この話を展開するのはもったいないなあ。うーん、どうしようか。せっかくなので明日議論しようか。
リカージョンについては僕なりに思うところはあって、ともかく、この性質は脳を考えるうえで、ムチャクチャいいポイントを突いている。ただ、今のテーマである「自由」の話題からは離れてしまう可能性があるから、今は「自由」に立ち戻ってみよう。
自由か決定かについて、ほかに何か意見あるかな?

 

———さっきの〈さくら〉〈まくら〉〈いくら〉とかだったら、ある程度、選択肢の幅が決まっていると言えるかもしれませんが、本当はもっと候補があるんじゃないか、と頭の中で考えをめぐらせますよね。経験とか記憶とか、自分の周りの環境から制限は受けるものの、実際に候補を挙げることができるということは、自分で選ぶ余地があるんだと思います。だから、自由か決定かって完璧に断定することができるのかどうか……。

選択肢の制限がまず加わるという時点で、そこで自由度が……。

 

———少しは減りますけれども……。

 

まだ最終的には自由が残っているから、やはり自由と決定はどちらか一方だけに分けられるものじゃなくて、あくまでも比率の問題であるというわけだね。
「自由」を語るうえで、まず問題にしなければならないのは、僕らには「自由でありたい」という妙な願望があるということだ。
まさか「自由意志がない」なんていうことは、とてもじゃないけど認めたくない。そんな強い願望のせいで、「自由は当然あるんだ」と頭から決めつけてかかっている可能性はない?

 

———……あります。

 

その願望ゆえに、本当の姿や真実から目を背けて、希望だけで憶測しているのかもしれない。

 

池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」 または、自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義』

 第3章 脳はゆらいで自由をつくりあげる より

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(引用ここまで)


この続きはまた明日!

 

 

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