毎日の生活の中に自分で光を当てる鍛錬を(響月ケシーさんのYouTube動画より)
2024/03/12
卍易風水師でジュエリーデザイナーの
響月ケシーさんが
今年のお正月明けに配信された
YouTube動画『現実創造の掟』6本を
1/23に投稿した記事でご紹介しました。
6本を通して聴くと3時間余の長さがあり、
厖大な分量になるので、
文字起こし作業を少しずつ進めているんですが、
話し言葉の雰囲気は残しつつ、
読みやすいようにケバ取りを行って文体を整え、
内容を変えない範囲で編集し
講義録を作成しています。
2/27には、1本目の
2/28には、2本目の
3/7は、3本目の
3/8は、4本目の
文字起こしして作成した講義録を載せました。
また、3本目の講義録の前には、
1本目と2本目との内容をざっとふりかえって
わたし自身のコメントも記しています。
それで、その記事内で予告しているように、
3〜4本目の動画内容へのわたしのコメントや
5〜6本目の講義録を投稿する予定なんですが、
3/7にケシーさんが、
前記した『現実創造の掟』動画中で話されている
「重要性の引き下げ」というキーワードについて、
フォローアップする内容で
13分ほどの動画をご自身のYouTubeチャンネルに
アップされていました。
昨日投稿した記事でも予告したとおり、
本日のブログ記事はその講義録をご紹介!
寺子屋塾の学習にも
密接につながる内容でしたので、
そのことについては、
講義録の後に詳しく記してあるのでご覧下さい。
2024.3.7配信YouTube動画(13分03秒)
日常に自分で光を当てるだけ!それだけで 生きてるだけで丸儲け♬
(引用ここから・太字化は井上)
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はい!皆さんこんにちは!ケシーです。皆さんご機嫌いかがでしょうか。
この前の動画を撮ったら「近い」ってパートナーのハナさんに怒られたので、今日はちょっと離れてます。笑 え〜っと今日もですね、(わたしが書いた)ブログ記事の続きを動画でっていう形で、これ、個人的にはすごい好きで、続けていきたいと思ってます。で、動画だけを見ている人は、よかったらブログの方も見ていただけたらと思います。
今日のテーマですが、重要性の引き下げについてお話ししていきたいと思います。概要欄にURLを載せてありますが、今年の年始に全部で3時間を超えるような、すごい長編のセミナーみたいな動画を6本撮って、自分なりに濃密で素晴らしい内容にしたつもりです。それをアップしてあるので、よかったらそれもご覧頂きたいんですけれども、その中に「重要性の引き下げ」っていうキーワードが出てくるんですね。
この重要性の引き下げっていうのは、例えばお子さんがいらっしゃったら、お子さんとのコミュニケーションだったり、パートナーとのコミュニケーションだったり、何かチームワークをする時の仲間内でのコミュニケーションでもそうなんですが、この「重要性の引き下げ」ができるっていうだけで、これからの時代を生きていくうえで、いろんなことが変わってくると思うので、今日はこれについてお話したいと強く思うんですね。
で、さっきから言ってるこの「重要性の引き下げ」っていったい何なんだ?って言うと、これが一言ではなかなか言い表せないんですが、簡単に言うと、「すごく重要だと思い込んでしまっていることを、そこまで重要ではないかもしれないと思い直すことができるパワー」と思っていただけたら、分かりやすいと思います。
それで、その重要性の引き下げを説明する前の、この世の仕組みみたいなものを、まずお話ししたいんですけれども、これって原理原則なんですけどね。たとえば、季節に春夏秋冬の波があるように、「繁栄したものもいつか必ず収束していく」みたいな、そういういろんな原理原則の中で、「陰が極まったものは陽に転じる」つまり、暗くなったら光が差してくるし、明るくなりすぎたら必ず闇が差してくるっていう陰陽マーク(タオマーク・太極図)ですよね。あの———ハナさんここにタオマーク出しておいてください———なので、それも原理原則なんですよ。必ず大過(たいか)、つまりピークに達したら、その逆の現象が現れてきて、その逆の現象がピークまで来たら、今度はその逆の現象が現れてくる———この循環っていうのは原理原則なんですね。その重要性の引き下げっていうテーマが前提としているのは、この循環です。
つまり、極まれば必ず転じるという循環なんですけれども、何が言いたいかって言うと、どんなことでもいいんですけど、ある物事こそが重要だと、この人生において、とても重要だと思い込んで、皆さんそこに心血を注ごうとします。でも、そのことばかりにフォーカスして、そこだけが重要だというな生き方をしていると、次第にバランスを欠いていき、それがそこまで重要ではないという教訓をもたらすような出来事が起こってしまうんですね。
だから、例えば「お金か?愛か?」みたいなね———分かりやすい話でいきますよ———お金や愛かっていう話をした時に、「お金だ!」っていう風に、「お金だけなんだ!」っていう風に、心血を注いで生きていると、今度は必ず「お金だけとは違ってた!」っていう出来事を起こすことで、中庸に戻ろうとすることが起こってしまう———これが、重要性の引き下げが必要になってくる前提なんです。
つまり、重要性がどんどん上がっていって、グイ〜ンていう出来事が起きる前に、自分で、あ!重要性が引き上がってるって気づいて、自分で元に戻していく———これに自分で気づくかどうかが、これからはものすごく重要なスキルだと。今はSNSで全世界人口大競争時代じゃないですか、ある意味でね。みんながみんな比べ合うし、みんながみんな戦い合うし。だからこそ、もう比べたって仕方ないなっていうところに自分で気づいて、自然にそこに行ける人はいいんですが、その競争にどんどん飲まれていって、どんどん重要性のバランスが崩れていく人っていうのも、ものすごく顕著に増えていると思います。
なぜなら、ひとつは情報量が増えすぎているからですね。例えば分かりやすい例で言うと、整形なんかもそうで、私も女性なので美容とかやりますけれど、こう本当に凄まじい整形をなんども繰り返して、崩壊していくということもありますね。あくまで1つの例として挙げているので、整形すること自体の善悪とか可否を言ってるのではありません。たとえば、こういうことがあるというような、重要性の引き下げが必要とされる状況についてお話しています。
それで、やっと仏教が時代に追いついてきた感じがするんですね。ブッダは「欲望に制限をかけなさい」って言ってるんです。つまり、仏教がそもそも私たちに説いていることは、「欲のコントロール」なんですよ。つまり、自分がこうしたいって思いに対し、自分で抑制をかける。こうしたいって思い———例えば、美しくなりたい、お金持ちになりたい、成功したい、私は愛されているという風に、いろんな人間の思いがあるんですけれど、なんでそもそもそういう思いが湧くのかって言うと、それは自分が不幸だと思ってるからなんですよね。
仏教で言っていることは、全ての苦しみは思いから生まれる———つまり執着なんです。これがなくてはダメなんだっていうところから、強烈な欲が生まれてきて、この欲っていうのは恐ろしい煩悩の1つで、仏教の三大毒「貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)」の1つですよね。過剰ポテンシャルとも言いますが、欲望のままに突っ走ると、バランスを崩してグイ〜ンって元に戻るような出来事が起きる。
だから、こういう風にバランスを欠いた時に、例えば「絶対お金だ!」って時に、「いや、本当にお金なのか?」っていう風に、戻すことができるっていうのが、すごく重要なんですね。例えば、人にどう扱われるかに関して言うと、大切に扱われていない、敬われていないところに怒りを覚える。これも、自分に対する自己重要性、自己重要度の問題ですよね。自分が重要だっていう想いが過剰になってるんですよ。だから、そういうときに、「別にそんなの、どうだっていいか・・」っていう風になれるかどうかってことです。
てなると、重要性を引き下げていうことは、もう自分のことなんかどうでもいいんだとか、自分のやってる仕事なんかどうでもいいんだっていう、無力感の方に行けっていうことなんですかっていう感覚で、わたしの話を受け取られる方が多いんですけど、全然そういう意味じゃなくて、自分の価値とは無関係なんですよ。自分に価値があるっていうのは当たり前という大前提の話なので。わざわざそれを確認したり、外側の世界にあるものを使って,自分の価値を証明しようとする必要さえない、完全な真実なんです。つまり、自分の価値を証明しようとするから、この重要性のバランスが崩れていくわけなんですよ。自分に価値があるっていう話と、この重要性の引き下げっていう話を、混同しないように気をつけて頂きたいんですね。
で、この重要性の引き下げを実際に実現するために大事なことは何かって言うと、皆さん成功とか、大金を稼ぐとか、そういったことが、経験したことがないがために、自分の実生活にものすごく光を与えるものだと勘違いしてるんです。けど、違うんですよ。実際に自分の生活に光を与えるものは何かって言うと、日々、日々ですよ、お金とか成功とかには全く関係がなくて、日々自分がどれだけ自分の日常に光を当ててるかなんですね、自分の人生に光が当たるかどうかっていうのは。でも、その習慣を皆さん教わってないし、その感度っていうのは、この大SNS時代になって、どんどん鈍ってしまっている。
例えば、自分が美味しいイチゴケーキ食べてても、SNSでリムジンの中でイチゴケーキ食べてる女の子を見たら、「あ〜、自分のケーキなんて・・」って思っちゃうみたいな、重要性の引き下げを知らない人が陥りがちなことなんですよね。自分の日常に自分で光を当てる能力がない人は、お金を得ようが、成功しようが、人気者になろうが、かつて追い求めていたような、幸せを手に入れられることは絶対にないんです。
重要性の引き下げを実現するためにどうしたらいいのかって言うと、いまの自分の現実、いま自分の得られている毎日の生活の中に、自ら光を当てる訓練をすればいいんですよ。もちろん、お金をある程度は稼ぎたいとか、成功したいとか、有名になりたいとか、これも多いに結構なんだけれども、いまの自分の現実、自分の得られている毎日の生活の中で、自分で光を当てることができていれば、さっき重要性の引き下げが必要になるような、過剰にバランスを欠いた状態に陥らなくて済むんです。
で、ここからは東洋哲学の世界に入ってくるんですが、不合理、いわゆる無理が生じてる状態って、最も成功しづらい状態なんですね、本当に一番成功する———成功っていうことを、客観的評価で考える軸と、行っている本人が成功だと思ってる軸は、別軸で考えてくださいね。コレ、めっちゃ難しい話してるんですけど———つまり、そもそも客観的に成功だと言える状況を作っている張本人っていうのは、無理がないんですよ。
その無理がない状態を作るには、「生きてるだけで儲けもの」「生きてるだけで全部すでに合格ライン」っていうところに立たないと、その(老子が言ったような)無為自然、つまり、自然にしているだけで、きちんと物事が最も効率いい状態で流れていく状態———これがいわゆる私たちが本当に持っている能力なんですけど———に至るまでの間に、自分が不幸だという思いを抱いてしまい、重要性がバランス崩れていって、不合理な状況になっていくと。それでも、ある程度お金は稼げたり、成功したりするんですけれど、必ず、こういう風にバランスを欠いたものは、必ずバイ〜ンって、バランス均衡の状態に戻すような大変なことを引き起こしてしまうと。
めっちゃややこしい話しちゃってるんですけど、結局何が言いたいかって言うと、これからの時代、人と比べることによって、過剰な重要性を抱いてしまうっていうことが、1番のリスクだと思うんですよ。で、これは子どもに対しての声かけでも、パートナーに対する声かけでも、自分自身に対する自己評価でも、あらゆる方面において、すごく大事な考え方だと思うのです。つまり、自分が自分の毎日に光を与えることに成功しない限り、絶対に幸せにはなれないっていうことを理解していれば、その重要性はいつでも自分で自在に引き下げることができるんですよ。
なぜかって言うと、自分が不幸でそれを手に入れないと、自分はいわゆる幸せにはなれないと信じ込んでいる状態から、このバランスの崩壊って起きてくるので。幸せっていうのは、ホントに自分が自分にそう感じさせることができる能力のことなんですね。「感謝」と近いんですけれども、これからは、これを自分でちゃんとできるっていうことがすごく大事で、そのために私は日々ノートを書くこと推奨したりとかしてるんです。
でも、これをできないようにするようなノウハウやコンテンツも世の中にはいっぱいあります。なぜなら、ビジネスを行う側にとってはその方が簡単なんですよね。だから、それはそれでそれが悪いって言いたいんじゃないんですが、やっぱりわたしたち、幸せに生きていきたくないですか? すごい根本的な話なんですけれども、そうなると、この重要性っていうものを、自分で自在に引き下げることができる。絶対こうでなくてはいけないよな、自分はすごく重要な人物だよなとか、自分がいないとこの仕事は回らないよなとか、そういう重要性がぐーっと上がった時に、「いやいや、そんなことはないでしょう」っていう風に、自分で平均に戻すことができるパワーっていうものが、めちゃくちゃ重要なんですね。
たとえば、子どもが悩んでる時に、かけてあげられる言葉とかも、これを知ってると全然変わってくるし、自分の仕事がちょっとうまくいった時も、うまくいかなかった時も、平穏でいられるんです。だから、本当に人生をうまく運んでいく秘訣っていうのは、まず自分が価値があるっていうことを、わざわざ証明する必要がないぐらいに価値があるっていうことを理解して、そして、バランスを欠いてるときに、自分が気づけるかどうかっていうことですよね。なので、重要性の引き下げ———よかったら概要欄の動画セットで見ていただきたいんですけれども、これって本当に大事なことなんですけど、なかなか言葉にするのが難しいので、それが皆さんに伝わったらいいなと思って、今日はこの動画を撮ってみました。
このおもちゃみたいなピアスめっちゃ可愛くないですか?最近はちょっとファンデーションの色を暗くしてみたっていう、まぁどうでもいい話をしながら、はい。それでは、今日はここまで。皆さんご清聴ありがとうございました。じゃね〜ぶんぶん!
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(引用ここまで・文責:井上)
「重要性の引き下げ」っていうのを
たぶん、ひとことで言ってしまうと、
〝バランス感覚〟って言葉に
かなり近いでしょう。
でも、〝バランス感覚〟という言葉だけだと
何と何のバランスを、どうやって取るかが
わからなくなってしまいます。
美容整形やリムジン乗ってイチゴケーキという
ケシーさんのたとえ話は、
いまひとつでしたが・・・笑
ケシーさんは、
「陰が極まったものは陽に転じる」という、
古代中国の四書五経のひとつ、易経に出てくる
「陰陽」という東洋哲学の言葉に置き換えて
説明されてました。
でも,東洋思想の真髄に触れるような内容の話を
10分ちょっとという短い時間で行うのは
なかなかハードなことなんですね〜
陰陽マーク(タオマーク)というのは、
易経関連の記事で
何度も紹介しているこの太極図のことです。
「陰が極まったものは陽に転じる」ことが、
この世の中の原理原則であるというのは、
なかなかイメージしにくいとおもうんですが、
ケシーさんのお話しには、
「春夏秋冬」という季節の変化がありましたね〜
さて、このケシーさんが話されたことと
寺子屋塾の学習内容が
どのようにつながってるかってことをすこし。
いま寺子屋塾で学習されている塾生の皆さんは、
現在進行形で体験されているので、
たぶん、ケシーさんのお話しの中に
ピンとくる言葉がいくつか
見つけられたんじゃないかとおもうんですが。
たとえば、らくだメソッドの場合、
1まいのプリントを学習するのに10分ちょっと、
答え合わせや学習記録表への記入、
ふりかえりを入れても
30分そこそこあれば終えられます。
でも、1日は24時間あるわけですから、
1日のうちで、それができない理由は
ほぼありません。
人から一方的に与えられたことでなく、
何をどれだけどのように学習するかについて、
自分自身で決めてやってみることで、
その結果に対して
ちゃんと自分で向き合えるわけです。
わたし自身も学生時代はそうだったんですが、
「自分で決める」学習というのを
過去にほとんどの方が体験されていないので、
それがピンと来て、
すぐ実践できるような方は
年齢関係無くほとんどいらっしゃいません。
でも、そうだからこそ、
この学習には、稀少な価値があるんだと
わたし自身、開塾した30年前に
そうしたすべてが分かっていたわけではなく、
後から分かってきたことなんですが。
たとえば、指導者であるわたしも
2013年5月からプリント学習を再開し、
以来ずっとやり続けていて、
上の画像はこの3月の学習記録表です。
現在は、小4で習う分数の約分プリントを
毎日2枚ずつやっていて
めやす時間では2枚あわせて
24分に設定されているプリントなんですが、
(→ミス3つ、24分内でできれば合格)
もう10年以上同じ問題を繰り返していますから、
学習におよそ3分、答え合わせに2分しかかからず
あわせて5分ちょっとしかかかりません。
1日たった5分の学習であっても、
わたし自身、
そこから得られる価値には
測り知れないものを感じていて、
いまの自分が、ケシーさんの言われる
重要性の引き下げを講じなければいけない様な
バランスを欠いた状態にあるかどうかは、
この学習記録表さえ見れば、
一目瞭然なんですね。
ケシーさんは、『現実創造の掟』の動画では
「自分自身の見張り役になる」と言われてましたが、
寺子屋塾では、このことを
セルフモニタリングと呼んでいるんです。
たとえば、これはわたし自身の
昨年2023年12月の学習記録表なんですが、
12/23 1日予定を何も入れていなくて
フリーの日であったにもかかわらず、
プリント学習をすっぽかしてしまいました。
つまり、時間のあるなしは、ほぼ関係ないんです。
でも、だいたいこういうことが起こるときの前は、
その日の分のプリントは基本お昼までにやり終えると
自分で決めているのにも関わらず、
やる時間が先延ばしになって、
夜の遅い時間になってしまったり、
いつもより時間がかかったりミスしたりなど、
そのときの自分が如実に出ているというか、
そうした予兆があることが少なくありません。
こちらの記事でも触れたように
〝自分で気がつく〟〝自分を観る〟のは
易しくない課題なんです。
ただ、指導者の立場にあるわたし自身、
この学習を続けてきたお陰で
頑張らなくても、自己観察する姿勢が
いつのまにか、自然に習慣化してしまいましたし、
学生時代には一夜漬けタイプで
コツコツやることが大の苦手だったわたしも、
根底からガラッと変わってしまったんですね〜
いま、わたしが塾生たちに
「コツコツは大の苦手だった」ナンテ話しても、
誰も信じなくなっちゃいましたが・・・笑
この寺子屋塾では、
わたし自身が試して効果を感じていることだけを
プログラムとして
提供することをポリシーにしていますから、
まぁ、この30年間で一番変わったのは
わたし自身かもしれません。笑
たった5分で終わるような些細な学習でも、
それを毎日やり続けようとすることを通じて
ホントにいろいろなコトが見えてくるし、
未来に向けて目標達成型で考える発想では
身につけることが難しいような
さまざまな力が結果的に育ってしまうんですが、
具体的に何が見えてくるか、
どんな力が育つか、関心を持たれた方は、
在籍している塾生たちが書いているふりかえりを
このブログでは度々記事にしてきているので、
塾生関連カテゴリ記事のいくつかを
是非ご覧になってみてください。
たとえプリントができなかったときでも、
そこにはできなかったという〝事実〟が
ただあるだけですから、
そのことを責めたり、卑下したり、弁護したり
開き直ったりする必要など一切なく、
コトの良し悪しの評価から自由になって、
そのまま受容していく鍛錬となるわけです。
そして、そういうできなかったときにこそ、
自分のそのときの心持ちであるとか、
そもそも前提としてどう決めていたのかなど、
確認できるまたとないチャンスですから、
そうしたときに指導者としての
わたしの大事な役割は、
対話のパートナーを務めることにあるんですね。
つまり、自分で決め、自分でやっていることだから、
たとえそれができなかったとしても
自分以外の誰かから
責められるようなことは一切なく、
そうしたプロセスのなかで
自分自身が
本心からどうしたいかということだけに
集中して純粋に向き合えるし、
自分で自分に折り合いをつけていく練習というか。
言い換えれば、大事なことは、
まさにケシーさんの言われるように、
自分がまず、自分のあたりまえの日常に対して、
自分自身で光を当ててるかどうかなんじゃないかと。
ケシーさんが
自分に価値があるのは当たり前と言われてましたが、
できない自分であっても、そのまま自分で受容でき
まわりからの承認欲求にも
簡単に呑み込まれてしまわないような
自立した自分を培うという意味においても、
自分に価値があるのは当たり前ということを
日常の中で実感できているかどうかは
30年この寺子屋塾を続けていて、
とりわけ重要だと感じていることでもあります。
そして、さらに言うなら、
日々自分がどれだけ自分の日常に
光を当ててるかが大事という
ケシーさんの言葉を聞きながら、わたしは
映画PERFECT DAYSの主人公・平山のことが
ふとおもい浮かんだんですが、
まさに平山は、この重要性の引き下げの達人と
言っていいでしょう。
まさにケシーさんが言われている
いま自分の得られている毎日の生活の中に、
自ら光を当てる訓練という話は、
寺子屋塾での
1日のうちでプリント1枚を
坦々とやり続けようとする学習に、
そのままつながっているように感じた次第です。
【テーマに関連する参考過去記事】
・響月ケシーさんの著書、動画のご紹介(その1)
・アインシュタイン「問題は発生したのと同じ次元では解決できない」(「今日の名言・その17」)
・もともと知っているのなら、なぜわたしたちは本を読むのですか?
・読む力を身につけるにはどうしたらいいですか?(その3・最終回)
・自分の心を観察し続け、問い続ける姿勢こそ「学ぶ力」のもと(つぶやき考現学・番外編6)
・そもそも〝自分で決める〟とはどういうことか?(その1)
・そもそも〝自分で決める〟とはどういうことか?(その2)
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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は
こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ
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3/24(日) 未来デザイン考程ワンデイセミナー
4/6(土) 『言葉のズレと共感幻想』読書会#7