陰と陽とは何か㉕「六十四卦(その7)沢火革〜火山旅」
2024/06/27
6/3からこの寺子屋塾ブログでは、
「陰と陽とは何か」というテーマで投稿していて、
本日6/27の記事で25回目になります。
①〜⑤は陰と陽のベーシックな基本事項、
⑥〜⑩は八卦の基本事項、
⑪〜⑮は日常生活での応用、
⑯〜⑱は陰と陽についての練習問題集クラックス
⑲からは六十四卦を一つずつ註解というように
中テーマ的なまとまりはあるものの、
全体でひとつらなりの内容を書いてきました。
本日投稿する記事内容は、
これまでの投稿をすべて読んでいないと
理解できないものではありませんが、
これまで書いてきた内容を前提としていて、
その内容はすべてつながりあっているので、
以下に未読記事のある方は
可能な範囲で確認下さると有難いです。
・陰と陽とは何か⑥「八卦(その1)」(易経の十翼『説卦伝』)
・陰と陽とは何か⑩「八卦(その5)」(なぜ陰が六で陽が九?)
・陰と陽とは何か⑬「日常生活での応用(その3)仁王像の不思議」
・陰と陽とは何か⑭「日常生活での応用(その4)食べ物にみる陰陽」
・陰と陽とは何か⑮「日常生活での応用(その5)運勢、運命、使命」
さて、本日の投稿は六十四卦註解の7回目で、
以下49番目から56番目までの8つの卦
49.沢火革(たくかかく)
50.火風鼎(かふうてい)
51.震為雷(しんいらい)
52.艮為山(ごんいざん)
53.風山漸(ふうざんぜん)
54.雷沢帰妹(らいたくきまい)
55.雷火豊(らいかほう)
56.水山旅(かざんりょ)
について、これまでと同じように、
卦象の図版、卦辞の白文、読み下し文、ひらがな文、
卦辞の大意、井上のコメントと続けて記します。
〔卦辞白文〕
革。巳日乃孚。元亨利貞。悔亡。
〔読み下し文〕
革は己日(きじつ)にして乃(すなわ)ち孚(まこと)あり。元(おおい)に亨(とお)る。貞(ただ)しきに利(り)あり。悔(くい)亡(ほろ)ぶ。
〔ひらがな文〕
かくはきじつにしてすなわちまことあり。おおいにとおる。ただしきにりあり。くいほろぶ。
〔大意〕
沢火革の時、改めるべき日に改めれば信頼が得られる。大いに通じる。貞正であればよい。悔いはなくなる。
〔井上のコメント〕
「革」は革命、改めるの意。卦辞にも爻辞にも出てくる「巳日」は解釈が難しいのですが、己は十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)で6番目(真ん中を過ぎてすぐの位置)にあることを、「チャンスを逃さずタイミングを見計らえ!」という意味に捉えて、「改めるべき日」というように解されています。外卦が「沢(兌)」で内卦「火(離)」という相反するものの組み合わせですから、水(沢)が盛んになれば火(離)に勝ち、火が盛んになれば水に勝ちという状態。つまりこの卦は、衝突から変化が起き、白黒がハッキリして万事改まる時と見ます。たとえば、会社であればリストラや新旧交代劇でしょうし、転職や転勤、引っ越し、離婚など、人間関係の大きな変化が訪れるかもしれません。また、この卦は守りたいものが壊れる意味を持つ一方で、表面が大きく変わっても、本質は変わらないでいる状態も暗示し、大胆さと根気強さがポイントになるでしょう。何を変えるのか、タイミングは適切か、その理由が適切かどうかを熟慮することです。
既出卦との関連については、38.火沢睽が次女と三女がいがみ合ってる状態なら、この沢火革はいがみ合いを通り越し、どちらかが家を出てしまった状態と見ればよいでしょう。君子豹変という四字熟語は、革卦上六の爻辞に「君子豹変、小人革面」とあり、「徳のある君子は、自分が誤っていると気づけばすぐに行動を改める。徳のない小人は、表面の体裁だけを取り繕う。」が本来の意味ですが、こんにちでは君子豹変と言うと、態度や主張が無節操に変わってしまう姿勢を批判する意味が主流になってしまいました。
その次にある綜卦50.火風鼎との関係性について、雑卦伝には「革去故也、鼎取新也。」とあり、「古きものを去り、新しいものを取りいれる」という解釈は、その対比が明確で無理がないでしょう。
〔卦辞白文〕
鼎。元吉。亨。
〔読み下し文〕
鼎(てい)は、元(おおい)に亨(とお)る。
〔ひらがな文〕
ていは、おおいにとおる。
〔大意〕
火風鼎の時、大いに吉。通じる。
〔井上のコメント〕
「鼎」はかなえと読み、上の画像のような古代中国で使われた煮炊きに用いる三本足の神器のことで「養う」「安定」「安泰」の意。外卦「火(離)」が内卦「風(巽)」に煽られ、また風(巽)は木の象徴でもあることから、盛んに燃えさかるさまが卦象。この卦はバランスのよい三本足により安定を得られることから、協調性とバランスが問われ、自分1人ではなく周りと協力し合うのがポイントとなる時です。物事をじっくりと煮詰めて生まれるさまざまな可能性を暗示するため、知恵や技術を出し合うことで、予想を超える成功が得られることも。それぞれの特技を生かし、新しいことに取り組むのにもよいタイミングだと考えられていますが、三角関係も暗示しているので注意しましょう。概ね初九から九四までの4つの爻は改革前、九五と上六は革命後と解するようです。
既出卦との関連については、27.山雷頤、48.水風井とともに「養う」意味をもつ卦で、水風井が水で養うとすれば、火風鼎は火で養うと考えると分かりやすいです。また、綜卦関係にある一つ前49.沢火革へのコメントで、火風鼎との関係性については、雑卦伝を手がかりに少し触れましたが、この「革」という漢字が、一波乱あって後に改まる意味を持つとしても、この卦辞が書かれた時代を想定すれば、「衣替え」「刷新」「イメチェン」ぐらいの意味であって、こんにちのわたしたちが「革命」という言葉からイメージされる急進さや過激さとは切り離して捉える必要があるでしょう。
〔卦辞白文〕
震。亨。震来虩々。笑言唖唖。震驚百里。不喪七鬯。
〔読み下し文〕
震(しん)は亨(とお)る。震の来(きた)るとき虩虩(げきげき)たり。笑言(しょうげん)啞啞(あくあく)たり。震は百里(ひゃくり)を驚(おどろ)かす。匕鬯(ひちょう)を喪(うしな)わず。
〔ひらがな文〕
しんはとおる。しんきたるときげきげきたり。しょうげんあくあくたり。しんひゃくりをおどろかす。ひちょうをうしなわず。
〔大意〕
震為雷の時、通じる。雷が鳴り響くとびくびくと恐れ驚くが、治まると安心して笑い声が起こる。雷は百里四方に鳴り響いて驚かす。しかし、祭祀を行なう人はさじや酒を驚いて落とすことはない。
〔井上のコメント〕
「震」は雷のこと。「虩々」はびくびくと恐れ驚くこと。「唖唖」は安心して笑うこと。「七鬯」の「七」はさじ、「鬯」は香り高い酒で、ともに祭祀に用いるもの。震為雷は八卦「震」の重卦で、卦象は外卦内卦とも1つの陽が2つの陰に上から押しとどめられた形となり、怒りや衝動などを表します。この卦は強烈な衝動にかられるときで、突然大胆な行動に出て周囲を驚かせることも。また、この時期には、空回りが起こりやすい傾向もあるので、注意が必要とされています。しかし、たとえるならカミナリおやじが大騒ぎしているようなものですから、派手な割には内容が伴っておらず、「声あって形なし」の時とも言えます。したがって、想定外の事態に遭遇しても見た目ほど大したことはなく、雷がすぐに鳴り止むように衝撃は長く続かないので、自分を失わず冷静沈着に対応すればよいでしょう。人物でたとえるなら、ガッキー主演2018年秋の日本テレビ系で放映されたTVドラマ「けもなれ(獣になれない私たち)」に登場していた九十九社長のような、声がでかくてウルサイばかりのカミナリ親父的存在です 笑。 次の画像は「獣になれない私たち」公式Xより拝借<(_ _)>
綜卦にあたる次の艮為山との関係性について、雑卦伝には「震起也、艮止也。」とあります。震は初め(一番下)にある陽爻が動くから「起きる」で、艮は終わり(一番上)に陽爻が置かれているから「止まる」という対比は分かりやすいようにおもいました。同じ陽爻1つ陰爻2つの組み合わせで出来ている三種類の八卦(震、坎、艮)で、陽爻の位置によって違いが生じてくる理由がピンと来ない方は、八卦について書いた記事のうち、陰と陽とは何か⑧「八卦(その3)」や陰と陽とは何か⑨「八卦(その4)」に詳しく記したので読みなおしてみて下さい。
〔卦辞白文〕
艮其背。不獲其身。行其庭。不見其人。无咎。
〔読み下し文〕
其(そ)の背(せ)に艮(とど)まりて、其(そ)の身(み)を獲(え)ず。其(そ)の庭(てい)に行(ゆ)きて、其(そ)の人(ひと)を見(み)ず。咎(とが)なし。
〔ひらがな文〕
そのせにとどまりて、そのみをえず。そのていにゆきて、そのひとをみず。とがなし。
〔大意〕
人間の体の中で動かない背中に止まる。そうすれば、動くところに惑わされない。庭に行っても人をきょろきょろ見ない。問題はない。
〔井上のコメント〕
八卦「艮」は〝不動の象徴〟である山を表し、卦徳は「止まる」。ひとつ前の「震為雷」が〝動の極致〟を表すとするなら、山(艮)が二つ重なった「艮為山」は〝静の極致〟と言え、行く手は山また山の時です。ただ、静といっても単なる停滞ではありません。とどまるべき時、処を得て正しく止まる意味をもつので、安易な決断は避け、変化は見送るべきでしょう。周囲と自分を安易に比較し対抗意識を燃やしたところで、よい結果が出ることはまずありません。たとえ気に入らないことがあっても、ここは我慢が大事なときだという教えも秘められています。こうした時は無欲、無関心に徹して、心静かに「動かざること山の如し」をモットーとすることです。また、なかなか協力が得られない運気でもあるので、あなたの守るべき立場はしっかりと守ること。卦辞を読むと、他の純卦はすべて「元亨利貞」四徳のいずれかが備わっているのに、何故かこの卦にだけはひとつもなく、ただ「咎(とが)なし」とあります。人はとかく欲につき動かされ、勝手なおもいこみをし、虫のいい期待に胸を弾ませるものです。世の中がいかに目まぐるしく動こうとも、己の心さえ止まるところに止まっているなら、迷うことも振り回されることもなく、すべて落ち着くべき処に落ち着くから、易経の作者もこの卦にだけは、四徳の施しようがなかったのかもしれません。宋代の儒者はこぞってみなこの卦を善しとし、周敦頤(1017~1073)は「法華経全巻は艮卦ひとつで代用できる」(『二程語録』)とまでこの卦を賞したとのこと。
各爻では、どのように止まるかを身体の部位にたとえて説明しています。上九は艮の極みで主爻でもあり、止まるべき時、ところに最後まで止まることを成し遂げた者で、𠮷であることは言うまでもありません。艮為山は、八純卦(重卦)のひとつですが、20.風地観を八卦「艮」の全卦と見ることもあり(全卦八卦についてはこちらの記事内に書きました)、止まるべき時に止まって物事をありのままに見ようとする〝心のあり方〟がテーマの卦と言ってよいでしょう。
〔卦辞白文〕
漸。女帰吉。利貞。
〔読み下し文〕
漸(ぜん)は、女(じょ)帰(とつ)ぐに吉(きつ)。貞(ただ)しきに利(り)あり。
〔ひらがな文〕
ぜんは、じょとつぐにきつ。ただしきにりあり。
〔大意〕
風山漸の時、女が正しい順序を守って結婚するのは吉。貞正であれば良い。
〔井上のコメント〕
「漸」は徐々に進むこと。外卦の巽(風)はここでは樹木の意味で捉え、内卦が艮(山)ですから、卦象は山の上に生えた樹木が芽を出しだんだんと成長していく時。また卦辞に「嫁ぐに吉」とあるのは、爻が三陰三陽で男女の結びつきを表し、結婚に良いとされている卦です。雑卦伝には、「漸女歸、待男行也。(女が嫁ぐのに、男の申し入れを待って行く)」とあり、万事において世の常識に則り、基礎から一歩一歩確実に積み重ねキャリアアップや生活の向上が望める時。インスタント仕立てでは土台がもろく奥深さもないので、ズルして近道を考えると途端に運気が下降する危険も潜んでいます。焦ったり対抗意識をむき出しにしたりせず、地道にマイペースでやっていくことで揺るぎない自信が培われ、最後は大きな喜びが花開くことになるでしょう。
爻辞では、生まれたばかりの水鳥が、大空に羽ばたき飛び立つまでの様子になぞらえ、漸卦の意味通り順を追って丁寧に記されています。なぜ漸が手順を踏む意となるかについては、中を得ている二爻と五爻がいずれも位を得ていることも無関係でないように感じました。雑卦伝には綜卦で裏卦(錯卦)でもある次の雷沢帰妹との関係については記述がありませんが、両卦の対比については雷沢帰妹のところで記します。
〔卦辞白文〕
帰妹。往凶。无攸利。
〔読み下し文〕
帰妹(きまい)は、征(ゆ)けば凶(きょう)。利(り)することなし。
〔ひらがな文〕
きまいは、ゆけばきょう。りすることなし。
〔大意〕
雷沢帰妹の時、女のほうが積極的に男のもとに押しかけていくことは正道とはいえず凶。良いことはない。
〔井上のコメント〕
雷沢帰妹の時は、「雷(震)」が動くで「沢(兌)」が喜ぶ、「帰」は嫁ぐ「妹」は若き女性を意味するので、女性の方から喜びのままに動いて嫁ぐというのは、本来の手順を踏んでいない意味に解します。女性が男性をないがしろにすることに対し警鐘を鳴らすといった話は、男女同権のこんにちでは時代錯誤と見る人もあるでしょうが、易経に書かれた文言はひとつの象徴にすぎず、リアルな現実との対応を厳格に考えすぎない姿勢も肝要です。ひとことで言えば「ミスマッチ」、物事は始めが肝腎で何事もタイミング次第ですから、機が熟しておらずコトの始まりに無理があるという卦。順序を無視し目先の欲望に走りやすいため、手違い間違いを招き、終わりを全うすることが困難になりがちです。出しゃばり、無理押しを慎み、物事の道理や正しい秩序を心がけましょう。ただし、メインではなくサイドということから、サイドビジネス、アルバイトを始めるには良い時と解されます。この卦は副妻の卦ともいわれ、爻辞では、副妻やお妾さんのように名より実をとり、分や立場をわきまえて進むべきことを物語風に述べています。
雑卦伝には「歸妹女之終也。」とあり、「帰妹は女の身の終着点」という意味に解されていますが、一つ前の綜卦&裏卦にあたる風山漸ではなく、3つの陽爻すべてが位を失っている64.火水未済と対で「未済男之窮也。(男の身の行き詰まり)」と書かれています。とはいえ、漸は順序をしっかり踏んで水がしみ込むようにジワジワと確実に進む意味なので、手順を踏まないこの帰妹卦との対比関係は分かりやすいように感じました。
〔卦辞白文〕
豊。亨。王仮之。勿憂。宜日中。
〔読み下し文〕
豊(ほう)は、亨(とお)る。王(おう)、之(これ)に仮(いた)る。憂(うれ)ふるなかれ。日中(ひちゅう)に宜(よろ)し。
〔ひらがな文〕
ほうは、とおる。おう、これにいたる。うれふるなかれ。ひちゅうによろし。
〔大意〕
雷火豊の時、通じる。まさに王者が至りえた姿である。心配しなくても良い。太陽が中天に昇って万物をくまなく照らすように、その姿を天下に示すが良い。
〔井上のコメント〕
「豊」は豊か、豊大なこと。ひとくちに「豊かさ」と言っても人によって色んなイメージがあるとおもいますが、内卦が「火(離)」で外卦「雷(震)」ですから、その両者が交わった「明るさが動く」ということから、エネルギーに満ちた強さと勢いを表します。雷火豊の卦は、文字通り豊大、最高潮の時で、新しいことや長引くことは避けて即決の方針で進むこと。卦辞にあるように、王の至った姿であり、「日中に宜し」は、遍く照らして依怙贔屓(えこひいき)がなく盈虚消息(えいきょしょうそく)を警戒する意。春から夏の勢いが終わり、秋に向かうように、盛大な運気もやがては下降し衰退していくように、外側が元気なことを裏返せば、中味に乏しく空虚なこともあります。また、強運のときは紛争も起こりやすく、見えない危険が潜んでいることにも注意しなければなりません。運気盛大な時こそ、「盈(み)つれば食(か)く」という自然の理を常に念頭に置いて、将来の衰運に備える姿勢を怠らず、幸運に甘んじず実力を養うべく精進することです。感謝の気持ちと謙虚さを持って過ごす姿勢が大切だと言えるでしょう。
雷火豊と似た意味合いを持つ卦としては、六二を陽爻に転じた雷天大壮(「壮」は元気な男性という意味、変爻の之卦という)や、九三の変爻之卦にあたる震為雷があり、両者とも勢いの強さはイメージしやすいとおもいますが、頂点を極めればその後は必ず下降しますから、「奢れる平氏は久しからず」で今がピークと心得て、「諸行無常、栄枯盛衰」を肝に銘じるときと言えます。
雑卦伝には、「豐多故、親寡旅也。」とあり、「豊のときは多事になり、旅のときには親しむ人が少ない」といった意味ですから、両卦の対比関係は多いと少ないでシンプルに記され、分かりやすいと感じました。
※変爻(本卦から之卦へ)
これまで記してきたように六十四卦はそれぞれが独立して存在しているわけではないので、常に変化し続けていることを前提に判断していく姿勢が求められます。また、すべて陰と陽の組み合わせだけでできているので、場合によっては他の卦とのさまざまなつながりを意識することも必要でしょう。「変爻」とは、そうした考え方のひとつで、得た卦(本卦)の爻を陰陽反転させたものを之卦(しか)あるいは変卦(へんか)と呼んで、その卦が近い未来に起こり得る変化や、背後に隠された機微を読みとるヒントにすることがあります。たとえば、今日6/27の日筮は34.雷天大壮の六五でしたが、当たった爻を陽転した43.沢天夬が之卦(または変卦)となるので、占った状況に対して雷火豊の卦辞、六五の爻辞だけでピンと来るものが見つからない場合などには、沢天夬の意味合いを含ませて解釈したりするわけです。
〔卦辞白文〕
旅。小亨。旅貞吉。
〔読み下し文〕
旅(りょ)は、少(すこ)し亨(とお)る。旅(りょ)の貞(てい)あれば吉(きつ)なり。
〔ひらがな文〕
りょは、すこしとおる。りょのていあればきつなり。
〔大意〕
火山旅の時、小事は通じる。旅路で貞正にして吉。
〔井上のコメント〕
火山旅は旅を意味します。しかし、古代の旅は現代の旅とは異なり命懸けのものでした。この旅卦の意味も、自然に親しみ心躍るようなものではなく、孤独、苦労、そして移り変わる不安定さや寂しさから逃れるために、あてもなく彷徨う傷心の旅といったものです。外卦の「火(離)」を学問や芸術、内卦の「山(艮)」はそれを志すことと捉えれば、学びによい時期とも言え、自分を磨くための旅とすることです。自分の居場所が分からなくなり、目指すべき方向を見失うこともあるでしょうが、こうした時は受け身に徹し、何年先、何十年先の長期的な展望よりも、今日1日を大切に過ごすほうがよいでしょう。旧を守るべき時ですが、目的が見出せずに戸惑い悩む運気にありますが、自分の理想を放棄することなく着実に進むように心がけましょう。独学よりも徳のある人から学ぶ方が吉とされています。
火山旅の卦辞「旅。小亨。旅貞吉。 」はなかなか意味深で、旅行に行くなと禁止しているわけではないし、「すこしは通る」とも書かれていて、必ずしも凶意ばかりを示していません。内卦艮が止まる意、外卦離が麗(つ)く意ですから、賢にして明なる人を頼りにし、止まるべきところに止まるとなり、「貞なれば吉である」とはつまり、あくまで行きたくて出かける旅ではないけれど、明晰さと不動心を失わなければ、そうした失意の旅の中にこそ意外なチャンスが転がっているかも。
次の綜卦56.火山旅との対比については、前の雷火豊のところに雑卦伝の記述をたよりに記しましたが、豊卦は、明るい火(離)が動く(震)ことから、エネルギーに満ちた強さと勢いをもった状態に対し、旅卦は、山火事に追われ逃げ惑うような孤独で心細い状態と言えます。お金持ちは経済的に豊かに見えても、内側には空虚なものを抱えていて精神的に貧しかったりしますから、この対比は分かりやすいと言ってよいでしょう。この火山旅については過去に印象深い想い出があり記事に書きました。一事例として参考にして下さい。
六十四卦註解の本日分は以上。
明日も六十四卦の続きで、
いよいよ最後の8つにあたる
57.巽為風から64.火水未済までを記す予定です。
【易経関連の主な過去投稿記事】
・わたしが易経から学んだこと
・易経というモノサシをどう活用できるか
・天の時、地の利、人の和———運気を高める三才(響月ケシーさんのYouTube動画より)①
・天の時、地の利、人の和———運気を高める三才(響月ケシーさんのYouTube動画より)②
・ユング「易は自ら問いを発する人に対してのみ己自身を開示する」(今日の名言・その79)