陰と陽とは何か㉗最終回「六十四卦(その9)序卦伝」
2024/06/29
6/3からこの寺子屋塾ブログでは、
「陰と陽とは何か」というテーマで投稿していて、
回を重ね本日6/29の記事が27回目になり
いよいよ最終回です。
①〜⑤は陰と陽のベーシックな基本事項、
⑥〜⑩は八卦の基本事項、
⑪〜⑮は日常生活での応用、
⑯〜⑱は陰と陽についての練習問題集クラックス
⑲〜㉖は六十四卦を8つずつ註解というように
中テーマ的なまとまりはあるものの、
全体でひとつらなりの内容を書いてきました。
本日投稿する記事内容は、
これまでの投稿をすべて読んでいないと
理解できないものではありませんが、
これまで書いてきた内容を前提としていて、
その内容はすべてつながりあっているので、
以下に未読記事のある方は
可能な範囲で確認下さると有難いです。
・陰と陽とは何か⑥「八卦(その1)」(易経の十翼『説卦伝』)
・陰と陽とは何か⑩「八卦(その5)」(なぜ陰が六で陽が九?)
・陰と陽とは何か⑬「日常生活での応用(その3)仁王像の不思議」
・陰と陽とは何か⑭「日常生活での応用(その4)食べ物にみる陰陽」
・陰と陽とは何か⑮「日常生活での応用(その5)運勢、運命、使命」
さて、本日の投稿は六十四卦註解の9回目で、
昨日までの8回の投稿で各々の卦の意味を
ざっくりではありますが、すべて記したので、
今日は六十四卦の順序の理由について記された
『十翼』序卦伝の全文を紹介することで
これまでの内容をおさらいできるようにしました。
序卦伝は、易経が成立した後で書かれた
註解書の一つですから、
いってみれば後付けの理屈というか
奇数卦から偶数卦への接続は
両卦が綜卦か裏卦のいずれかの関係にあるので
文脈としても無理のない記述になっていますが、
偶数卦から奇数卦への接続は
こじつけと感じられる記述も少なくありません。
前記したとおり、「陰と陽とは何か」の記事も
これが最終回となります。
まずは六十四卦の卦名リストを。
【上経(じょうけい)1~30】
01・乾為天(けんいてん)
02・坤為地(こんいち)
03・水雷屯(すいらいちゅん)
04・山水蒙(さんすいもう)
05・水天需(すいてんじゅ)
06・天水訟(てんすいしょう)
07・地水師(ちすいし)
08・水地比(すいちひ)
09・風天小畜(ふうてんしょうちく)
10・天沢履(てんたくり)
11・地天泰(ちてんたい)
12・天地否(てんちひ)
13・天火同人(てんかどうじん)
14・火天大有(かてんたいゆう)
15・地山謙(ちざんけん)
16・雷地豫(らいちよ)※豫は予とも書く
17・沢雷隨(たくらいずい)
18・山風蠱(さんぷうこ)
19・地沢臨(ちたくりん)
20・風地観(ふうちかん)
21・火雷噬嗑(からいぜいごう)
22・山火賁(さんかひ)
23・山地剝(さんちはく)
24・地雷復(ちらいふく)
25・天雷无妄(てんらいむぼう)
26・山天大畜(さんてんたいちく)
27・山雷頤(さんらいい)
28・沢風大過(たくふうたいか)
29・坎為水(かんいすい)
30・離為火(りいか)
【下経(かけい)31~64】
31・沢山咸(たくざんかん)
32・雷風恒(らいふうこう)
33・天山遯(てんざんとん)
34・雷天大壮(らいてんたいそう)
35・火地晉(かちしん)※晉は晋とも書く
36・地火明夷(ちかめいい)
37・風火家人(ふうかかじん)
38・火沢睽(かたくけい)
39・水山蹇(すいざんけん)
40・雷水解(らいすいかい)
41・山沢損(さんたくそん)
42・風雷益(ふうらいえき)
43・沢天夬(たくてんかい)
44・天風姤(てんぷうこう)
45・沢地萃(たくちすい)
46・地風升(ちふうしょう)
47・沢水困(たくすいこん)
48・水風井(すいふうせい)
49・沢火革(たくかかく)
50・火風鼎(かふうてい)
51・震為雷(しんいらい)
52・艮為山(ごんいざん)
53・風山漸(ふうざんぜん)
54・雷沢帰妹(らいたくきまい)
55・雷火豊(らいかほう)
56・火山旅(かざんりょ)
57・巽為風(そんいふう)
58・兌為沢(だいたく)
59・風水渙(ふうすいかん)
60・水沢節(すいたくせつ)
61・風沢中孚(ふうたくちゅうふ)
62・雷山小過(らいざんしょうか)
63・水火既済(すいかきせい)
64・火水未済(かすいびせい)
(引用ここから)
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「序卦伝(上)」
〔白文〕
有天地然後萬物生焉。盈天地之間者唯萬物。故受之以屯。
屯者盈也。屯者物之始生也。物生必蒙。故受之以蒙。
蒙者蒙也。物之稺也。物稺不可不養也。故受之以需。
需者飮食之道也。飮食必有訟。故受之以訟。
訟必有衆起。故受之以師。
師者衆也。衆必有所比。故受之比。
比者比也。比必有所畜。故受之以小畜。
物畜然後有禮。故受之以履。
履而泰、然後安。故受之以泰。
泰者通也。物不可以終通。故受之以否。
物不可以終否。故受之以同人。
與人同者物必歸焉。故受之以大有。
有大者不可以盈。故受之以謙。
有大而能謙必豫。故受之以豫。
豫必有隨。故受之以隨。
以喜隨人者必有事。故受之以蠱。
蠱者事也。有事而後可大。故受之以臨。
臨者大也。物大然後可觀。故受之以觀。
可觀而後有所合。故受之以噬嗑。
嗑者合也。物不可以苟合而已。故受之以賁。
賁者飾也。致飾然後亨則盡矣。故受之以剥。
剥者剥也。物不可以終盡。剥窮上反下。故受之以復。
復則不妄矣。故受之以无妄。
有无妄然後可畜。故受之以大畜。
物畜然後可養。故受之以頤。
頤者養也。不養則不可動。故受之以大過。
物不可以終過。故受之以坎。
坎者陷也。陷必有所麗。故受之以離。
離者麗也。
〔読み下し文〕
天地(てんち)ありて然(しか)る後(のち)に万物(ばんぶつ)生(しょう)ず。
天地(てんち)の間(あいだ)に盈(み)つる者(もの)はただ万物(ばんぶつ)なり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに屯(ちゅん)をもってす。
屯(ちゅん)とは盈(み)つるなり。
屯(ちゅん)とは物(もの)の始(はじ)めて生(しょう)ずるなり。
物(もの)生(しょう)ずれば必(かなら)ず蒙(もう)なり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに蒙(もう)をもってす。
蒙(もう)とは蒙(おろ)かなり。物(もの)の稺(おさな)きなり。
物(もの)稺(おさな)ければ養(やしな)わざるべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)けるに需(じゅ)をもってす。
需(じゅ)とは飲食(いんしょく)の道(みち)なり。
飲食(いんしょく)すれば必(かなら)ず訟(うった)えあり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに訟(しょう)をもってす。
訟(うった)えには必(かなら)ず衆(しゅう)の起(おこ)るある。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに師(し)をもってす。
師(し)とは衆(しゅう)なり。
衆(しゅう)なれば必(かなら)ず比(した)しむところあり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに比(ひ)をもってす。
比(ひ)とは比(した)しむなり。
比(した)しめば必(かなら)ず畜(たくわ)うるところあり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに小畜(しょうちく)をもってす。
物(もの)畜(たくわ)えられて然(しか)る後(のち)に礼(れい)あり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに履(り)をもってす。
履(ふ)んで然(しか)る後(のち)に安(やす)し。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに泰(たい)をもってす。
泰(たい)とは通(つう)ずるなり。
物(もの)はもって終(つい)に通(つう)ずべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに否(ひ)をもってす。
物(もの)はもって否(ひ)に終(おわ)るべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに同人(どうじん)をもってす。
人(ひと)と同(おな)じくする者(もの)は物(もの)必(かなら)ずこれに帰(き)す。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに大有(たいゆう)をもってす。
大(だい)を有(ゆう)する者(もの)はもって盈(み)つるべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに謙(けん)をもってす。
大(だい)を有(ゆう)して能(よ)く謙(けん)なれば必(かなら)ず豫(よろこ)ぶ。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに豫(よ)をもってす。
豫(よろこ)べば必(かなら)ず随(したが)うことあり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに随(ずい)をもってす。
喜(よろこ)びをもって人(ひと)に随(したが)う者(もの)は必(かなら)ず事(こと)あり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに蠱(こ)をもってす。
蠱(こ)とは事(こと)なり。
事(こと)ありて後(のち)に大(だい)なるべし。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに臨(りん)をもってす。
臨(りん)とは大(だい)なり。
物(もの)大(だい)にして然(しか)る後(のち)に観(み)るべし。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに観(かん)をもってす。
観(み)るべくして後(のち)に合(あ)うところあり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに噬嗑(ぜいこう)をもってす。
嗑(こう)とは合(ごう)なり。
物(もの)もって苟(いや)しくも合(あ)うのみなるべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに賁(ひ)をもってす。
賁(ひ)とは飾(かざ)るなり。
飾(かざ)りを致(いた)して然(しか)る後(のち)に亨(とお)れば尽(つ)く。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに剥(はく)をもってす。
剥(はく)とは剥(は)ぐなり。
物(もの)もって尽(つ)くるに終(お)わるべからず。
剥(はく)は上(うえ)に窮(きわ)まれば下(した)に反(かえ)る。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに復(ふく)をもってす。
復(かえ)れば妄(みだ)りならず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに无妄(むぼう)をもってす。
无妄(むぼう)ありて然(しか)る後(のち)に畜(たくわ)うべし。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに大畜(だいちく)をもってす。
物(もの)畜(たくわ)えられて然(しか)る後(のち)に養(やしな)うべし。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに頤(い)をもってす。
頤(い)とは養(やしな)うなり。
養(やしな)わざれば動(うご)くべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに大過(たいか)をもってす。
物(もの)もって過(す)ぐるに終(おわ)るべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに坎(かん)をもってす。
坎(かん)とは陥(おちい)るなり。
陥(おちい)れば必(かなら)ず麗(つ)くところあり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに離(り)をもってす。
離(り)とは麗(つ)くなり。
〔ひらがな文〕
てんちありてしかるのちにばんぶつしょうず。
てんちのあいだにみつるものはただばんぶつなり。
ゆえにこれをうくるにちゅんをもってす。
ちゅんとはみつるなり。
ちゅんとはもののはじめてしょうずるなり。
ものしょうずればかならずもうなり。
ゆえにこれをうくるにもうをもってす。
もうとはおろかなり。
もののおさなきなり。
ものおさなければやしなわざるべからず。
ゆえにこれをうけるにじゅをもってす。
じゅとはいんしょくのみちなり。
いんしょくすればかならずうったえあり。
ゆえにこれをうくるにしょうをもってす。
うったえにはかならずしゅうのおこるある。
ゆえにこれをうくるにしをもってす。
しとはしゅうなり。
しゅうなればかならずしたしむところあり。
ゆえにこれをうくるにひをもってす。
ひとはしたしむなり。
したしめばかならずたくわうるところあり。
ゆえにこれをうくるにしょうちくをもってす。
ものたくわえられてしかるのちにれいあり。
ゆえにこれをうくるにりをもってす。
ふんでしかるのちにやすし。
ゆえにこれをうくるにたいをもってす。
たいとはつうずるなり。
ものはもってついにつうずべからず。
ゆえにこれをうくるにひをもってす。
ものはもってひにおわるべからず。
ゆえにこれをうくるにどうじんをもってす。
ひととおなじくするものはものかならずこれにきす。
ゆえにこれをうくるにたいゆうをもってす。
だいをゆうするものはもってみつるべからず。
ゆえにこれをうくるにけんをもってす。
だいをゆうしてよくけんなればかならずよろこぶ。
ゆえにこれをうくるによをもってす。
よろこべばかならずしたがうことあり。
ゆえにこれをうくるにずいをもってす。
よろこびをもってひとにしたがうものはかならずことあり。
ゆえにこれをうくるにこをもってす。
ことはことなり。ことありてのちにだいなるべし。
ゆえにこれをうくるにりんをもってす。
りんとはだいなり。
ものだいにしてしかるのちにみるべし。
ゆえにこれをうくるにかんをもってす。
みるべくしてのちにあうところあり。
ゆえにこれをうくるにぜいこうをもってす。
こうとはごうなり。
ものもっていやしくもあうのみなるべからず。
ゆえにこれをうくるにひをもってす。
ひとはかざるなり。
かざりをいたしてしかるのちにとおればつく。
ゆえにこれをうくるにはくをもってす。
はくとははぐなり。
ものもってつくるにおわるべからず。
はくはうえにきわまればしたにかえる。
ゆえにこれをうくるにふくをもってす。
かえればみだりならず。
ゆえにこれをうくるにむぼうをもってす。
むぼうありてしかるのちにたくわうべし。
ゆえにこれをうくるにだいちくをもってす。
ものたくわえられてしかるのちにやしなうべし。
ゆえにこれをうくるにいをもってす。
いとはやしなうなり。
やしなわざればうごくべからず。
ゆえにこれをうくるにたいかをもってす。
ものもってすぐるにおわるべからず。
ゆえにこれをうくるにかんをもってす。
かんとはおちいるなり。
おちいればかならずつくところあり。
ゆえにこれをうくるにりをもってす。
りとはつくなり。
〔大意〕
乾坤あってそうしたあとで万物が産み出された。
乾坤の間にみちるものはただ万物だけである。
ゆえにこれを受けるに屯をもってする。
屯とはみちるである。
屯とは物が始めて産み出されることである。
物が産み出されればかならず蒙である。
ゆえにこれを受けるに蒙をもってする。
蒙とはおろかである。
物がおさないのである。
物おさなければ養わなければならないのである。
ゆえにこれを受けるに需をもってする。
需とは飲食の道である。
飲食すればかならずうったえがある。
ゆえにこれを受けるに訟をもってする。
うったえにはかならず大衆がたつことがある。
ゆえにこれを受けるに師をもってする。
師とは大衆である。
大衆はかならず親しむところがある。
ゆえにこれを受けるに比をもってする。
比とは親しむことである。
親しめばかならず蓄えるところがある。
ゆえにこれを受けるに小畜をもってする。
物が蓄えられて、そうしたあとで礼がある。
ゆえにこれを受けるに履をもってする。
履んで、そうしたあとでやすらか。
ゆえにこれを受けるに泰をもってする。
泰とは通ずることである。
物はもって終には通じなくなる。
ゆえにこれを受けるに否をもってする。
物はもって否で終わらない。
ゆえにこれを受けるに同人をもってする。
人と同じくする者は、物かならずこれにかえる。
ゆえにこれを受けるに大有をもってする。
大いに有してよく謙であれば、かならずよろこぶ。
ゆえにこれを受けるに豫をもってする。
よろこべばかならず従うことあり。
ゆえにこれを受けるに随をもってする。
喜びをもって人に従う者は、かならずことがある。
ゆえにこれを受けるに蠱をもってする。
蠱とはことである。
ことがあって後に大にできる。
ゆえにこれを受けるに臨をもってする。
臨とは大である。
物大なら、そうしたあとで見ることができる。
ゆえにこれを受けるに観をもってする。
見ることができて、後に合うところあり。
ゆえにこれを受けるに噬嗑卦をもってする。
嗑とはあうことである。
物もってかりそめにも合うだけではいけない。
ゆえにこれを受けるに賁卦をもってする。
賁とは飾ることである。
飾りをしてそうしたあとで通れば尽きる。
ゆえにこれを受けるに剥卦をもってする。
剥とは剥ぐことである。
物もって尽きて終ってはいけない。
剥は上に窮まれば下にかえる。
ゆえにこれを受けるに復卦をもってする。
かえればみだりにならない。
ゆえにこれを受けるに无妄卦をもってする。
无妄あって、そうしたあとで蓄えるべきである。
ゆえにこれを受けるに大畜卦をもってする。
物が蓄えられて、そうしたあとで養うべきである。
ゆえにこれを受けるに頤卦をもってする。
頤とは養うことである。
養われないなら動いてはいけない。
ゆえにこれを受けるに大過卦をもってする。
物もって過ぎて終わってはいけない。
ゆえにこれを受けるに坎卦をもってする。
坎とはおちいることである。
穴におちこめばかならず麗(つ)くところがあり。
ゆえにこれを受けるに離卦をもってする。
離とはつくことである。
「序卦伝(下)」
〔白文〕
有天地然後有萬物。有萬物然後有男女。
有男女然後有夫婦。有夫婦然後有父子。
有父子然後有君臣。有君臣然後有上下。
有上下然後禮儀有所錯。
夫婦之道不可以不久也。故受之以恆。
恆者久也。物不可以久居其所。故受之以遯。
遯者退也。物不可以終遯。故受之以大壯。
物不可以終壯。故受之以晉。
晉者進也。進必有所傷。故受之以明夷。
夷者傷也。傷於外者必反其家。故受之以家人。
家道窮必乖。故受之以睽。
睽者乖也。乖必有難。故受之以蹇。
蹇者難也。物不可以終難。故受之以解。
解者緩也。緩必有所失。故受之以損。
損而不已必益。故受之以益。
益而不已必決。故受之以夬。
夬者決也。決必有所遇。故受之以姤。
姤者遇也。物相遇而後聚。故受之以萃。
萃者聚也。聚而上者謂之升。故受之以升。
升而不已必困。故受之以困。
困乎上者必反下。故受之以井。
井道不可不革。故受之以革。
革物者莫若鼎。故受之以鼎。
主器者莫若長子。故受之以震。
震者動也。物不可以終動。止之。故受之以艮。
艮者止也。物不可以終止。故受之以漸。
漸者進也。進必有所歸。故受之以歸妹。
得其所歸者必大。故受之以豐。
豐者大也。窮大者必失其居。故受之以旅。
旅而无所容。故受之以巽。
巽者入也。入而後説之。故受之以兌。
兌者説也。説而後散之。故受之以渙。
渙者離也。物不可以終離。故受之以節。
節而信之。故受之以中孚。
有其信者必行之。故受之以小過。
有過物者必濟。故受之以既濟。
物不可窮也。故受之以未濟終焉。
〔読み下し文〕
天地(てんち)ありて然(しか)る後(のち)に万物(ばんぶつ)あり。
万物(ばんぶつ)ありて然(しか)る後(のち)に男女(だんじょ)あり。
男女(だんじょ)ありて然(しか)る後(のち)に夫婦(ふうふ)あり。
夫婦(ふうふ)ありて然(しか)る後(のち)に父子(ふし)あり。
父子(ふし)ありて然(しか)る後(のち)に君臣(くんしん)あり。
君臣(くんしん)ありて然(しか)る後(のち)に上下(じょうげ)あり。
上下(じょうげ)ありて然(しか)る後(のち)に礼儀(れいぎ)錯(お)くところあり。
夫婦(ふうふ)の道(みち)はもって久(ひさ)しからざるべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに恒(こう)をもってす。
恒(こう)とは久(きゅう)なり。
物事(ものごと)もって久(ひさ)しくその所(ところ)に居(お)るべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに遯(とん)をもってす。
遯(とん)とは退(しりぞ)くなり。
物(もの)もって遯(とん)に終(おわ)るべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに大壮(たいそう)をもってす。
物(もの)もって壮(そう)なるに終(おわ)るべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに晋(しん)をもってす。
晋(しん)とは進(しん)なり。
進(すす)めば必(かなら)ず傷(やぶ)るるところあり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに明夷(めいい)をもってす。
夷(い)とは傷(やぶ)るるなり。
外(そと)に傷(やぶ)るる者(もの)は必(かなら)ずその家(いえ)に反(かえ)る。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに家人(かじん)をもってす。
家道(かどう)窮(きわ)まれば必(かなら)ず乖(そむ)く。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに睽(けい)をもってす。
睽(けい)とは乖(そむ)くなり。
乖(そむ)けば必(かなら)ず難(なん)あり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに蹇(けん)をもってす。
蹇(けん)とは難(なん)なり。
物(もの)もって難(なん)に終(おわ)るべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに解(かい)をもってす。
解(かい)とは緩(かん)なり。
緩(ゆる)くすれば必(かなら)ず失(うしな)うところあり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに損(そん)をもってす。
損(そん)して已(や)まざれば必(かなら)ず益(ま)す。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに益(えき)をもってす。
益(えき)して已(や)まざれば必(かなら)ず決(けっ)す。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに夬(かい)をもってす。
夬(かい)とは決(けつ)なり。
決(けっ)すれば必(かなら)ず遇(あ)う所(ところ)あり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに姤(こう)をもってす。
姤(こう)とは遇(ぐう)なり。
物(もの)相(あ)い遇(あ)いて後(のち)に聚(あつま)る。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに萃(すい)をもってす。
萃(すい)とは聚(じゅ)なり。
聚(あつま)りて上(のぼ)るものはこれを升(のぼ)ると謂(い)う。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに升(しょう)をもってす。
升(のぼ)りて已(や)まざれば必(かなら)ず困(くる)しむ。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに困(こん)をもってす。
上(うえ)に困(くる)しむ者(もの)は必(かなら)ず下(しも)に反(かえ)る。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに井(せい)をもってす。
井道(いどう)は革(あらた)めざるべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに革(かく)をもってす。
物(もの)を革(あらた)むるものは鼎(かなえ)にしくはなし。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに鼎(てい)をもってす。
器(うつわ)を主(つかさ)どる者(もの)は長子(ちょうし)にしくはなし。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに震(しん)をもってす。
震(しん)とは動(うご)くなり。
物(もの)もって動(うご)くに終(おわ)るべからず。
これを止(とど)む。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに艮(ごん)をもってす。
艮(ごん)とは止(と)まるなり。
物(もの)もって止(と)まるに終(おわ)るべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに漸(ぜん)をもってす。
漸(ぜん)とは進(すす)むなり。
進(すす)めば必(かなら)ず帰(き)する所(ところ)あり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに帰妹(きまい)をもってす。
その帰(き)する所(ところ)を得(う)る者(もの)は必(かなら)ず大(だい)なり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに豊(ほう)をもってす。
豊(ほう)とは大(だい)なり。
大(だい)を窮(きわ)むる者(もの)は必(かなら)ずその居(きょ)を失(うしな)う。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに旅(りょ)をもってす。
旅(たび)して容(い)るる所(ところ)なし。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに巽(そん)をもってす。
巽(そん)とは入(はい)るなり。
入(はい)りて後(のち)にこれを説(よろこ)ぶ。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに兌(だ)をもってす。
兌(だ)とは説(よろこ)ぶなり。
説(よろこ)びて後(のち)にこれを散(ち)らす。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに渙(かん)をもってす。
渙(かん)とは離(はな)るるなり。
物(もの)もって離(はな)るるに終(おわ)るべからず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに節(せつ)をもってす。
節(せっ)してこれを信(しん)ず。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに中孚(ちゅうふ)をもってす。
その信(まこと)ある者(もの)は必(かなら)ずこれを行(おこ)なう。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに小過(しょうか)をもってす。
物(もの)に過(す)ぐることある者(もの)は必(かなら)ず済(な)す。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに既済(きせい)をもってす。
物(もの)は窮(きわ)まるべからざるなり。
故(ゆえ)にこれを受(う)くるに未済(びせい)をもってしてここに終(おわ)る。
〔ひらがな文〕
てんちありてしかるのちにばんぶつあり。
ばんぶつありてしかるのちにだんじょあり。
だんじょありてしかるのちにふうふあり。
ふうふありてしかるのちにふしあり。
ふしありてしかるのちにくんしんあり。
くんしんありてしかるのちにじょうげあり。
じょうげありてしかるのちにれいぎおくところあり。
ふうふのみちはもってひさしからざるべからず。
ゆえにこれをうくるにこうをもってす。
こうとはきゅうなり。
ものごともってひさしくそのところにおるべからず。
ゆえにこれをうくるにとんをもってす。
とんとはしりぞくなり。ものもってとんにおわるべからず。
ゆえにこれをうくるにたいそうをもってす。
ものもってそうなるにおわるべからず。
ゆえにこれをうくるにしんをもってす。
しんとはしんなり。
すすめばかならずやぶるるところあり。
ゆえにこれをうくるにめいいをもってす。
いとはやぶるるなり。
そとにやぶるるものはかならずそのいえにかえる。
ゆえにこれをうくるにかじんをもってす。
かどうきわまればかならずそむく。
ゆえにこれをうくるにけいをもってす。
けいとはそむくなり。
そむけばかならずなんあり。
ゆえにこれをうくるにけんをもってす。
けんとはなんなり。
ものもってなんにおわるべからず。
ゆえにこれをうくるにかいをもってす。
かいとはかんなり。
ゆるくすればかならずうしなうところあり。
ゆえにこれをうくるにそんをもってす。
そんしてやまざればかならずます。
ゆえにこれをうくるにえきをもってす。
えきしてやまざればかならずけっす。
ゆえにこれをうくるにかいをもってす。
かいとはけつなり。
けっすればかならずあうところあり。
ゆえにこれをうくるにこうをもってす。
こうとはぐうなり。
ものあいあいてのちにあつまる。
ゆえにこれをうくるにすいをもってす。
すいとはじゅなり。
あつまりてのぼるものはこれをのぼるという。
ゆえにこれをうくるにしょうをもってす。
のぼりてやまざればかならずくるしむ。
ゆえにこれをうくるにこんをもってす。
うえにくるしむものはかならずしもにかえる。
ゆえにこれをうくるにせいをもってす。
いどうはあらためざるべからず。
ゆえにこれをうくるにかくをもってす。
ものをあらたむるものはかなえにしくはなし。
ゆえにこれをうくるにていをもってす。
うつわをつかさどるものはちょうしにしくはなし。
ゆえにこれをうくるにしんをもってす。
しんとはうごくなり。
ものもってうごくにおわるべからず。
これをとどむ。
ゆえにこれをうくるにごんをもってす。
ごんとはとまるなり。
ものもってとまるにおわるべからず。
ゆえにこれをうくるにぜんをもってす。
ぜんとはすすむなり。
すすめばかならずきするところあり。
ゆえにこれをうくるにきまいをもってす。
そのきするところをうるものはかならずだいなり。
ゆえにこれをうくるにほうをもってす。
ほうとはだいなり。
だいをきわむるものはかならずそのきょをうしなう。
ゆえにこれをうくるにりょをもってす。
たびしているるところなし。
ゆえにこれをうくるにそんをもってす。
そんとははいるなり。
はいりてのちにこれをよろこぶ。
ゆえにこれをうくるにだをもってす。
だとはよろこぶなり。
よろこびてのちにこれをちらす。
ゆえにこれをうくるにかんをもってす。
かんとははなるるなり。
ものもってはなるるにおわるべからず。
ゆえにこれをうくるにせつをもってす。
せっしてこれをしんず。
ゆえにこれをうくるにちゅうふをもってす。
そのまことあるものはかならずこれをおこなう。
ゆえにこれをうくるにしょうかをもってす。
ものにすぐることあるものはかならずなす。
ゆえにこれをうくるにきせいをもってす。
ものはきわまるべからざるなり。
ゆえにこれをうくるにびせいをもってしてここにおわる。
〔大意〕
天地があって、そうしたあとで万物がある。
万物があって、そうしたあとで男女がある。
男女があって、そうしたあとで夫婦がある。
夫婦があって、そうしたあとで父子がある。
父子があって、そうしたあとで君臣がある。
君臣があって、そうしたあとで上下がある。
上下があって、そうしたあとで礼儀をおくところあり。
夫婦の道はもって久しくないのはよくないことである。
ゆえにこれを受けるに恒をもってする。
恒とは久しいことである。
物事はもって久しくそのところにいるべきではない。
ゆえにこれを受けるに遯をもってする。
遯とはしりぞくことである。
物事はもって遯に終わってはいけない。
ゆえにこれを受けるに大壮をもってする。
物事はもって壮で終わってはいけない。
ゆえにこれを受けるに晋をもってする。
晋とは進むことである。進めばかならず
傷つくところがある。
ゆえにこれを受けるに明夷をもってする。
夷とは傷つくことである。
外で傷ついた者はかならずその家にかえる。
ゆえにこれを受けるに家人をもってする。
家の道が窮まればかならず背く。
ゆえにこれを受けるにけいをもってする。
睽とはそむくことである。
そむけばかならず難がある。
ゆえにこれを受けるに蹇をもってする。
蹇とはなやむことである。
物事はもってなやんで終わってはいけない。
ゆえにこれを受けるに解をもってする。
解とはゆるいことである。
ゆるくすればかならず失うところがある。
ゆえにこれを受けるに損をもってする。
損をして止めなければ、かならずます。
ゆえにこれを受けるに益をもってする。
まして止めなければ、かならず決(決壊)す。
ゆえにこれを受けるに夬をもってする。
夬とは決することである。
決すればかならず遇うところがある。
ゆえにこれを受けるにこうをもってする。
姤とは遇うことである。
物事、互に遇ってそうしたあとであつまる。
ゆえにこれを受けるに萃をもってする。
萃とはあつまることである。
あつまって上る者はこれをのぼるという。
ゆえにこれを受けるに升をもってする。
升りて已(や)まざれば必ず困(くる)しむ。
故にこれを受くるに困(こん)をもってす。
のぼって止めなければかならず苦しむ。
ゆえにこれを受けるに困をもってする。
上るに苦しむ者はかならず下にかえる。
ゆえにこれを受けるに井をもってする。
井の道はあらためないことはよくない(水が飲めなくなる)。
ゆえにこれを受けるに革をもってする。
物をあらためるものは鼎と同等であるものはない。
ゆえにこれを受けるに鼎をもってする。
器をつかさどる者は長子と同等であるものはない。
ゆえにこれを受けるに震をもってする。
震とは動くことである。
物事はもって動いて終わってはいけない。
これを止める。ゆえにこれを受けるに艮をもってする。
艮とは止まることである。
物事はもって止まるに終わってはいけない。
ゆえにこれを受けるに漸をもってする。
漸とは進むことである。
進めばかならずかえるところがある。
ゆえにこれを受けるに帰妹をもってする。
そのかえるところを得る者はかならず大きい。
ゆえにこれを受けるに豊をもってする。
豊とは大きいことである。
大を窮める者はかならずその居場所を失う。
ゆえにこれを受けるに旅をもってする。
旅していられるところがない。
ゆえにこれを受けるに巽をもってする。
巽とは入ることである。
入って後にこれを悦ぶ。
ゆえにこれを受けるに兌をもってする。
兌とは悦ぶことである。悦んで後にこれを散らす。
ゆえにこれを受けるに渙をもってする。
渙とは離れることである。
物事はもって離れるに終わってはいけない。
ゆえにこれを受けるに節をもってする。
節してこれを信じる。
ゆえにこれを受けるに中孚をもってする。
その信ある者はかならずこれを行なう。
ゆえにこれを受けるに小過をもってする。
物事に過ぎることがある者はかならずなす。
ゆえにこれを受けるに既済をもってする。
物事は窮まってはいけない。
ゆえにこれを受けるに未済をもってしてここに終る。
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・わたしが易経から学んだこと
・易経というモノサシをどう活用できるか
・天の時、地の利、人の和———運気を高める三才(響月ケシーさんのYouTube動画より)①
・天の時、地の利、人の和———運気を高める三才(響月ケシーさんのYouTube動画より)②
・ユング「易は自ら問いを発する人に対してのみ己自身を開示する」(今日の名言・その79)