トーマス・J・ワトソン『IBMの5つの言葉』(今日の名言・その120)
2024/12/25
1.本を読め
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わたしがこの言葉を知ったのは、
『自己啓発百科』というビジネス本に
ジャーナリストの扇谷正造さんが書かれた
まえがきに紹介されていたからでした。
50年以上も前に出版された書籍なので
こんにちではさすがに中味は古びているように
感じられるんですが、
それでも、まえがきの文章は
今でも十分通用する内容というか、
時代に関係無く大事な視点を含むもので、
寺子屋塾では、
未来デザイン考程のワークを行うときなどに
よく紹介しています。
全文を引用して紹介しますので、
まずは読んでみて下さい。
(引用ここから)
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序に代えて———70年ビジネスマン像 扇谷正造
招かれてよく会社へ工場へ講演に出かける。 講演はまァありきたりのことで、別にとりたてて、いうこともない。そのあとで、会社の人事部長さんや、役員の方と食事をする。いろいろな話がでる。そのとき、私は、つとめて、「おたくの、このごろの合言葉はなんですか?」と聞くことにしている。
昨年のニクソン・ショック以来、どうやら、各企業の合言葉は〝変化に適応できる人間〟ということのようである。すこし、オーバーにいうならば、70年代の理想のビジネスマン像というものは、この一行に要約できるように思われる。
「では……」と内容を聞くと、マチマチである。意味や解釈に深浅がある。ときには、社内の幹部のだれかが、ひょいと思いついたか、何かで読んだかして、たちまちのうちに、社内を風靡してしまったというような趣の会社もある。しかし、この言葉は、たしかにいい言葉だ。モウレツとかド根性という、ひところの合言葉に比べると、幅も広く、フクミも深い。
で、すこし、この言葉について考えてみたい。
まず第一に、変化に適応するということはどういうことか?それは、一言にしていうと「状況が変化した場合に、その変化した状況において、何が、いちばんたいせつかということを、即座に判断し得る能力」ということじゃあるまいか。ということは、具体的には、マルチ・チャネル型人間像ということである。頭の中にいくつもスイッチがあって、そのときどきの状況の変化に応じてチャネルを第1、第2、第3と切り替えられる能力である。それにはダイヤルがなくてはいけない。
よくひき合いに出される例に王冠を賭けた恋のイギリスのウインザー公の例がある。皇太子のころの公は、ハンサムでシャープで、しかも愛嬌があって、なかなかの人気者だった。イギリスの王室では、そのころインドの土侯を招き、ロンドンで毎年晩餐会を開くことになっていた。お相伴には、ロンドンの紳士淑女が招かれる。ある年、いつものようにコースが終わって、フィンガー・ボールが運ばれた。銀の食器にたたえられた水はキラキラ光っている。
インドの土侯さんたちは、それを見て、手にするや否や、ガブリと飲んだ。陪席の連中は、ハッと驚いた。ところが、ウインザー公はすこしも騒がず、土侯さんたちと同じように、ガブリと、それを飲んだ。で、一同、ガブリ、ガブリとやって、無事に晩餐会を終わらすことができた。インドからのお客様たちは上機嫌で帰って行った。
この話、茶事でいう〝気働き〟の好例としてよくあげられるのであるが、実は『変化に適応する』ということを、単純かつ明快に説明しているように思う。
いったい、人を招いて食事をする場合、最もたいせつなことは何か? それは、お客様に料理をおいしく気持よく食べてもらって、上機嫌で帰ってもらうということである。とすれば、この場合、
⑴もし、ウインザー公が、苦い顔をして、
「ああ、それは、食事のあとの手を洗うものですよ」
といって、目の前で、フィンガー・ボールに指をつっ込んだら、お客さんは、どういう思いをするだろうか。
⑵それはイギリスの食事のマナーかもしれないが、国がらの違うインド人にそれを強制できるものか。
⑶その水には、まさか、バイキンははいっていないだろう。
3つのことが、〝接待の精神〟と同時にピカピカパチパチと頭の中にまたたいて、ウインザー公をして、この行動をとらせたものであろう。つまり、トッサの決断である。その決断の基本は、〝接待の本義〟を公が身につけていたからである。もうすこし、広げていうならば、公は広い意味での人間としての価値尺度をもっていたからともいえるだろう。
変化に適応できる人間ということは、 だから、チョコマカ、チョコマカ動きまわるということではない。むしろ、逆ないい方をすれば、主体性のある人間にして、はじめて変化に即応できるともいえるだろう。ただし、この場合の主体性とは、頑迷固牢の石頭を意味するものでないこと、もちろんである。
主体性は、いったい、どこからでるか。 深い意味でのTPOを身につけることだと思う。TPOは、もとはファッションの言葉で、時、場所、場合という意味なのだそうだが、実は、この3つの中に主体性確立のカギがかくされている。
いったい、人間の位置というのは、何によって自己認識されるのか。 時間╳空間という関数によって措定される。企業でいうなら時間的とは会社の歴史(過去・現在・未来)であり、空間的とは、国際的、国内的需要の動向ともいえる。
図示すると(A)、この二つの接点に、会社でも、個人でもいる、それをハッキリみつめることによって、自分の置かれた立場(X)がわかる。私はこの二つをタテの座標ヨコの座標といっている。T、Pはすんだ。さてだが、この日は、この二つの座標の接点(X)を中心にして描かれた円内のできごとと考えるとわかりいいと思う。
╳つまり円の中心がハッキリ定まっているから、それを中心にした円形内のできごとなら、いかなることにも対処できるというわけである。だからTPOというのは、単に並列的にあるものでなくて、実は正確には(T+P)× Oと立体的運動的に考えたときが、変化に対応できるのではあるまいか。
╳は個人の場合には〝個性〟とし、企業の場合〝企業目標〟という言葉であらわしてもいいと思う。そして、70年代の後者の目標は、簡単にいえば、〝付加価値の高い商品〟あるいは〝人手のあまりかからぬ商品〟ということもできるだろう。
ソニー、日本電子、パイオニア、日本ミネチュアベアリング、松下系各会社等が昨年夏のニクソン・ショックや課徴金をどこ吹く風とすまし込んでいられたのは、つまりは╳という定点がしっかりしていたからといえるだろう。そして、逆に、あのショックであわてふためき、自分の定点を見失い(あるいははじめからもっていず)、定点以外のところで、何か勝負しようとしたところでますますパンチを食らい、いよいよ、あわてふためくだけのことだろう。
慣れぬ新商品開発や、思わくはずれの転換で中怪我大怪我の結果は倒産という事態をひき起こす。 その意味で、小林コーセー㈱が、女の化粧品の延長として、カツラや眼鏡に、着目、着手しているのは、フランチャイズで勝負するという安全にして確実な行き方というべきだろう。
いまの話は、企業についてのことだが、個人にとっても同じことである。それには、どうすればいいか。個人の╳(定点)は〝自分の頭でモノを考える〟人間ということである。
20世紀の偉大な個性”といわれるチャーチルの、それは、20歳前後の中尉時代、インドの辺境警備隊でつちかわれたといわれている。聡明で美しいチャーチルの母は、せっせと毎週彼に哲学、社会科学、歴史の本を送り、チャーチルが、それに一生懸命、よみふけったのが、素因だと、トインビーはいっている。
だから自己啓発のバネは、
1.本をよめ。(read)
2.事物を鋭く観察せよ。(hear)
3.人の話をよく聞け。(discuss)
4.なるたけ大勢の人と話し合え。(observe)
5.ときどき、たった一人になってモノを考えてみよ。(and think)
というIBMの5つの言葉につきる。この本はそのための手続を示す指南書といえるかもしれない。
※扇谷正造・本明寛編『自己啓発百科』(1972年・ダイヤモンド社刊)まえがき
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(引用ここまで)
変化に適応するということはどういうことか
主体性というものはどこから生まれるのか
人間の位置は何によって自己認識されるのかなど
本質を問う興味深い問いが
いくつも展開されていましたね。
人間の自己認識について、
時間╳空間という関数によって措定されると
書かれていた箇所などは、
吉本隆明さんの心的現象論に通じるものを
感じたんですが、
この話をここで展開し書き始めると
キリが無くなってしまうので、改めてまた!
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