ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」
2026/06/23
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の事前準備を兼ねて、
著者のおひとり由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。

昨日までに投稿してきた記事を未読の方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
・ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
・ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③
・ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』
さて、今日の記事もザ・メンタルモデルの
中味についての話ではなく、
その前段に関係する話を書きます。
昨日は『学習する組織』『U理論』についてでしたが
今日はわたし自身が体験したことを
とっかかりにして書き始めてみようかと。
一昨日6/21午後に本田信英さんが主催され
名古屋の大曽根で開かれた
参加しました。
この本を読むのは今回が2回目で、
6/21に読んだのは43ページの終わりから四行目から
73ページの終わりまでです。
その日読んだ箇所に、
著者が朝日新聞に寄稿し
2021.9.16に社会季評欄に掲載された
があり、その文章ではメルケル首相が
テレビを通じて行った演説に触れられていました。
本書内にも引用されているその記事には
次のような文章があります。
「刺すような痛みに踏みとどまることには報酬がある。そこで感じる孤独が、相手の中にあった孤独を想像することを、ほんの少しではあるにせよ可能にしてくれるからだ。遠くの耳にまで届く言葉が生まれるのはそういうときだ。思い出してほしい。東独で育ったメルケル首相は、自身がかつて移動を制限されていた痛みに言及しながら、人々が感じているであろう痛みを言葉にしていた。シビアな痛みから生まれる言葉だけが、孤独の向こうにまでたどり着ける。」
この、東畑さんが書かれた「刺すような痛みに
踏みとどまることには報酬がある。」を読んだとき、
(その3)の記事で紹介した
由佐さんのTEDx Talksプレゼン動画の内容が
蘇ってきました。
とりわけ、色濃く響いてきたのは、
由佐さんが人事の仕事をされるようになり、
多くの人の相談に乗るようになった際、
どんな人の中にも〝痛み〟があるという真実を
見出したと話された箇所です。
そして、
その内側の〝痛み〟を二度と味わいたくないと
痛みを避けたり、克服しようとしたりして
行動すればするほど、
そこからは、〝痛み〟を感じるような現実を
創り出してしまうと。
つまり、まさにこれは
「わたしたちの内側の世界が外側を創っている」
ってことなんですね。
何度も何度も繰り返し書いていますが、
ジョージ・ウェインバーグの言うように、
人間の行動は、その背後に隠された動機を強化する
わけですから。
非常にシンプルな構造で
別段難しい話ではありません。
刺すような痛みを回避しようとして行動すれば、
その痛みが増幅されてやってくるだけなので、
痛みを感じる状態でぐっとこらえて
そこで踏みとどまれる人には
〝報酬〟があるんだと。
結局のところ、わたしたちは
この〝痛み〟を
ちゃんと受け止められていないというか、
何のために痛みがあるのかが
よくわからないまま
機械的に反応してしまっているのではないか
という疑いがあるんですね。
たとえば、身体がケガをしたとき
わたしたちの身体がもし、
痛みを感じられなかったらどうでしょう?
ナイフでちょっと傷つけたぐらいならまだしも
大ケガで出血量が多いような時には
気がつかずに放っておいたら命を失いかねません。
つまり、この場合の〝痛み〟とは
身体に危険が迫っていることを教えてくれる
有難いメッセージであるわけで。
この〝痛み〟とどう向き合うかという問題は
ネガティブな感情との付き合い方にも
つながります。
でも、ネガティブな感情との付き合い方って、
学校ではほとんど教わりません。
そういうこともあって、
寺子屋塾の学習においては、
かねてから
苦手意識との向き合い方を例にして、
ネガティブな感情との付き合い方の大切さを
折に触れて話すようにしてきました。
・苦手意識を持ち続けるメリットとは?(つぶやき考現学No.71)
勉強するのが苦手だとか、
人前で話すのが苦手とか、
お金の計算をするのが苦手とか、
この、苦手意識ってごく当たり前に存在し、
枚挙にいとまがありません。
でも、その苦手意識って裏返してみれば
その奥にあるのは、
本当はできるようになりたいっていう
〝意欲〟そのものなんですよ。
「裏返す」とか「裏側や奥を見る」というのが
本当は誰でもできることなんだけど、
自分の内側とか内面を観るっていうのは、
習慣化されていないばかりか、
そのこと自体に慣れていない人がほとんど。
つまり、そのハードルを超えるのに、
ちょっとだけ技術が要るので、
観察力の解像度を磨く必要があって、
そこで引っかかってしまう人、
諦める人がすくなくないんですが。

これって結局、易経でいえば、
陰と陽の関係であり、
心の仕組みとして捉えるなら、
顕在意識と潜在意識の関係とも言えるので、
両者はもともと表裏一体だったって見做せると、
きっと納得できるはずです。
本心ではできるようになりたいから、
苦手に感じるというのは、
ごく当たり前の帰結であるわけで、
もし、どうでもいいようなことなら、
苦手意識すら湧かないことでしょう。
つまり、苦手意識の正体って結局
感じ方が過敏すぎるから
過剰反応を引き起こしているとも言えるし、
それを克服しようと頑張るのも
目を反らして逃げようとするのも
実は、その根っこはいずれも
抵抗する心理にもとづく回避行動なんですね。
心理学、行動学カテゴリで
〝馴化(じゅんか)〟という言葉があるんですが、
過敏すぎて過剰に反応してしまうのなら
何とかしようとするのを止め、
動かずにそのままとどまって
〝鈍感〟になっちまえばいいんだと。笑
つまり、どんなに恐い雷おやじのお説教でも
毎日のように聞いていれば
そのうち慣れてしまいますから。
頑張らず、特別視せず、かといって遠ざけず、
目の前にあるできることだけを
坦々とやり過ごすというか、
学習そのものを無理なく
日常化してしまって、
自分を馴らすようにすればいいわけで。
つまり、寺子屋塾の理念であり戦略でもある
「学習活動の日常化」とは、
克服しようと頑張るのでも、
避けたり逃げたりするのでもない
〝第三の道〟なんです。
わたしの勝手な見方でしかありませんが、
寺子屋塾で実践している
この第三の道的アプローチというのが、
〝ザ・メンタルモデル〟の考え方に
通じているように感じているということから
背景部分の理解を深めるのに
わずかなりとも資することできればという想いから
今日はこんな記事を書いてみました。
ちなみに、冒頭に書いた本田さんの読書会は
次回は7/12(日)13:30〜に開催予定とのこと。
東畑開人さんの本、面白いですよ。
興味ある方、ぜひご参加ください。
続きはまた明日に!(^^)/

