ザ・メンタルモデルについて(その15)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり」
2026/06/30
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の事前準備を兼ねて、
著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。

昨日までに投稿してきた記事を未読の方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
・ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
・ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③
・ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』
・ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」
・ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」
・ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」
・ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」
・ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」
・ザ・メンタルモデルについて(その13)「〝源(みなもと)〟とは何か?⑤」
・ザ・メンタルモデルについて(その14)「吉本隆明『共同幻想論』に重ね合わせてみて」
さて、この連載記事も回を重ね
この記事で第15回となりました。
これまでの記事で、
由佐さんの〝ザ・メンタルモデル〟について、
〝源〟に立ち戻りながら
すこしずつ理解を深めて来られたように
感じているんですが、いかがでしたでしょうか。
今日からは、数回にわたって、
自分の内面を紐解くザ・メンタルモデルと
〝経営〟とのつながりについて
考察してみようとおもいます。
『学習する組織』と『U理論』について
触れたんですが、そこで
ピーター・センゲ著『学習する組織』について、
〝自己マスタリー〟というワードに触れました。

『学習する組織』における「自己マスタリー」とは、
単なる自己啓発や能力向上のことでなく、
自分が本当に創り出したいものを明確にし、
その実現に向けて、現実を直視しながら
学び続ける姿勢・実践のことなんですね。
センゲはこれを、学習する組織を支える
五つのディシプリン(原理)の
一つとして位置づけています。
この自己マスタリーの中心には、
「個人ビジョン」と「現実認識」の
二つがあります。
個人ビジョンとは、自分が心から望む未来像、
人生や仕事において実現したい目的のことです。
一方、現実認識とは、現在の自分や組織の状態を、
都合よく解釈せず、ありのままに見る力です。
未来デザイン考程においても、
結局のところ組織がどこへ向かおうとしているのか
理念の重要さは言うに及ばず、
現状を正確に把握した上で未来を予測したとき、
可能的将来像と、成り行き的将来像との間に
ギャップが生まれます。
センゲはこのギャップを「創造的緊張」と呼びます。
つまり、自己マスタリーとは、
この創造的緊張を保ちながら、
焦って妥協したり、現実を否認したりせず、
少しずつ望む方向へ進んでいく力だと
言ってよいでしょう。
ここで重要なのは、自己マスタリーは
「完全に自分を支配する」ことでない、という点。
むしろ、自分の内面にある固定観念、
防衛反応、恐れ、諦めのパターンに自ら気づき、
それらに駆り立てられたり
無自覚に突き動かされたりしないことです。
たとえば、「自分には無理だ」
「どうせ組織は変わらない」といった
おもい込みがあると、人は本当に望む未来を描く前に、
自ら可能性を狭めてしまいます。
つまり、自己マスタリーとは、
そうした内的制約を見つめ直し、
自分の選択の自由を回復するプロセスなんだと。
また、自己マスタリーとは
個人主義とは違うものなんですね。
自分だけが成功するための技術でなく、
一人ひとりが自分の志や目的を深めることで、
組織全体の学習能力が高まるという考え方です。
とりわけ、組織の舵取りを行う経営者の影響は、
おのずと組織全体に及ぶわけですが、
明確なビジョンを持ち、
現実から学び続ける人が増えるほど、
組織は命令や管理だけで動く集団ではなく、
自律的に考え、協力し、
変化に適応する場になっていきます。
つまり、自己マスタリーとは、人生や仕事において
「何を本当に望むのか」を問い続け、
その望みと現実の差を
学習のエネルギーに変える習慣のことと
言えるんじゃないかと。
けっして完成された状態でなく、
生涯にわたる修練であり、
学習する組織の出発点となる
〝個人のあり方〟なのです。
そんなふうに捉えると、
寺子屋塾の場がまさにそうであり、
またこうして記事を連載している
〝ザ・メンタルモデル〟の世界に
そのままつながっているんだっていうことを
感じていただけたでしょうか。

さて、今日と明日は、
出版された直後の2021.12.14に行われた
トークライブの内容を
文字起こし付きでお届けしようと。
長時間のイベントでしたので、
今日は前半部のダイジェスト①です。
前半部だけでも文字起こしの分量は
9000文字ほどになってしまったんですが。(^^;)
【手放すTALK LIVE#26】自分を「観る」と、生き方が変わる。経営が変わる。 〜由佐美加子の全てが詰まった集大成をひもとく!〜ダイジェスト版①
(文字起こし・ここから)
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乾:
では、斬られた人の代表としてですね、僕の方から由佐さんの紹介をさせていただきます。
板東:
はい。
乾:
由佐さんはですね、U理論やNVCの第一人者の方なんですけども。細かいことはここに書いてあることを読んでいただいてですね、僕の個人的な由佐さんの紹介をさせていただきます。。
由佐さんは、僕を人間に戻してくれた恩人だと思っています。これまで、結構、感情を押し殺すような社会の中で生きてきて、なかなか自分の感情を表に出すのが難しかったんですけども、由佐さんに出会って、いろんな講座でも勉強させていただいた中で、「良い感情も悪い感情も、全部あっていいんだよ」ということを教えてもらって、ちょっとずつ僕が人間らしさを取り戻せているんじゃないかな、と。そんなことを伝えてくれる方が、由佐美加子さんだと思っています。
由佐:
ありがとうございます。
乾:
それとですね、『ザ・メンタルモデル ワークブック』という新しい本が出版されましたので、そちらの話も聞けるんじゃないかなと思います。
板東:
ということで、(このメンバーで)お送りしていきます。よろしくお願いします。えっとですね、ここからはざっくばらんにいきたいと思うんですけれども。まずは『ザ・メンタルモデル ワークブック』ですね。これ、先月発売になりましたね、みーちゃん。
由佐:
はい。
板東:
これ、めちゃ分厚いですよね。
由佐:
そうなんですよ。気がついたら。
乾:
僕も最初見たとき、びっくりしたんですよ。いろいろ講座を受けさせてもらってて、講座で教えてもらったことがもう全部入ってるから、「大丈夫なのかな?」って思って。いやいや、こんなに全部本に出しちゃったら、講座とかどうするんだろう、とか思って。本のほうが講座より詳しいんじゃないかと思って、ちょっとビビったんです。
板東:
講座っていうのは、何の講座だったんですかね?乾さん受けられたのは?
乾:
僕はいろいろ受けさせていただいているんですけど、NVCの講座だったりとか、JTSっていう〝紐解き〟の講座なんかを受講させてもらってます。
板東:
なるほど。JTSの略は何でしたっけ?
由佐:
Journey to the Sourceです。
板東:
ジャーニー・トゥ・ザ・ソースですね。
由佐:
「源(みなもと)に帰っていく」っていう意識を育てたくて作った4つの講座からなる一つのジャーニーなんですけど。すごいシンプルに言うと、外側に合わせて適合しようとして、抵抗を原動力として、「何かあるものに変えよう」とか「こうなっていこう」っていう意識状態があるんですけど、そこから「あるものは全部内側にある」というところから創造していく、現実を作り出していくという意識———ある意味、それこそ「自然(じねん)」と言われている自然に帰っていく。
そのプロセスに、意識的に人間がそこに戻れるように、講座というか、プロセスとして必要なパーツがあるんですけど、それを組み立てて編集して、4つの講座にしているんですね。最初のいちばん長いやつがあってそれが教科書みたいになってるんですけど。そのあとは合宿。リアルでやれてた頃は合宿で、2泊3日の合宿を2回その後は月1で集まるという形でやってたものがあって。それを一つの「Journey to the Source(ジャーニー・トゥ・ザ・ソース)」という、源に帰っていく。人間が分離の意識から———身体として個体としては分離しているけれども、実はすべてとつながっている中で、自分はこの世界に本当に魂としてもたらしたいものを、現実として作り出していくっていう意識まで、橋渡ししている、みたいなことをやってるんですね(笑)。それがジャーニー・トゥ・ザ・ソースなんですね。そう。ひとつの、なんか長い旅なんですよ。
板東:
『ザ・メンタルモデル』っていうものについては、知ってる方が多いと思うんですけど、これも読んでですね。「メンタルモデル ワークブック」って書いてるんですけど、メンタルモデルのこと、ほとんど出てこないんですよ。
由佐:
そうです。
板東:
こんな分厚いのに。まずそれが不思議だったんですよ。「メンタルモデルのワークブックじゃないんだ」みたいな。
由佐:
メンタルモデルのワークブックなんだけどね(笑)。
板東:
「メンタルモデルに至るまで」っていう言い方、されてましたよね。だから、なぜこれを出そうと思ったのかなって、乾さんがちょっと心配してた。こんなに全部出しちゃって大丈夫?みたいな。みーちゃんが集大成って言われてましたね。
由佐:
うん。人は知識とか情報で変わるんじゃない、ってすごく思っていて。組織もそうなんだけど、じゃあ何で変わるのかというと、〝気づき〟によって変わっていくんですよね、人間って。
板東:
なるほど!
由佐:
で、その気づきって、じゃあどこで起きるのか、ということと、どうしたらその気づきを日常で起こせるのか、というのが、すごいテーマとしてあって。わたしもおかしいぐらい、あの、自己啓発オタクだったわけですよ(笑)。ほとんど世の中でやってないものないというくらい、学びまくってきたし、いろんなものを試しました。それで、そうしたものは大抵「学びに行く」という、特別な場を設けているんですよね。研修とかいろんな修行っぽいやつとか自己啓発とか。講座を受けに行ったり、なにかを体験しに行ったりする。もちろん、そこでの気づきは大きいんだけれども、日常に帰ってくるとみんな揺り戻されるんですよね。
もちろん、一過性の気づきであっても、それはそれで素晴らしいんだけれども、たとえば、「瞑想を習慣にしましょう」みたいな古来からのやり方はあったとしても、わたし、あまり瞑想が得意じゃないんですね。つまり、人間が日々、自分の身に起こること——たとえば「この人とうまくいかないなぁ」とか、「なんかこういうことがあるとムッとするなー」とか——日々の自分が生きていて起きることの中に、気づきをもたらすっていうのが、やっぱり本当にはあるべき姿で、そこが本当は本丸のはずだ、っていう風に思っていて。とはいえ「どう物事を認知したらいいのか」というところで、レンズが要るわけです。だから、『メンタルモデル ワークブック』は、日常の中で気づきを起こすために必要なレンズを12種類伝えてるんですね。
そのレンズから、自分が日々体験することを見てみたときに、どういう気づきがあなたに起きますか、という体験に誘っていくっていう仕立てになっているワークブックなんです。結局、気づきを起こすことによって、自分が自分について理解していく。それが自己統合のプロセスで、これはすごく個人の体験の中にあるんだと思ってて、知識とか情報を分かったからって、それが起こるわけじゃないから。その気づきを起こすためのレンズを提供し、それを自分でやってみて、見てみて、感じてみて、そこからそれぞれが「こういうことが自分の中にあるんだ!」ということ気づきを起こすために作った本なんですよ。だから、瞑想の代わりみたいな。
板東:
なるほど。講座を受けたら「こういうレンズで見ればいいんだよ」は教わったりできるんだけど、日常的にそれを使えるようにする、っていう感じなんですか?
由佐:
そう。やっぱり気づきって、どういうタイミングで起こるかって、人によって違うし、それは知識と情報で起こるわけじゃなくて、やっぱり認知なんですよね。「どう見るか」なんですよね。結局、気づきが起こしている根幹というのは。
板東:
自分自身が。
由佐:
そう。自分自身が。本の中に「嫌いな人ワーク」っていうのがあるんですけど(笑)、(目の前に)嫌いな人が出てくるじゃないですか。「もうこいつ、ちょっと付き合えない」とか、「この人とは仕事したくない」とか。そういうとき、いまの人間の認知の仕方って、嫌いな人としか見えないし、「こいつはなんでこうなんだ!」っていうふうにしか見えない。で、その認知だと気づきが起きないんですね。自己分離しちゃってるから。
だけど、ワークブックで何をしているかというと、嫌いな人が出現したときに、どういう風に認知すればいいのか——その〝ものの見方〟が書いてあるんですよ。それを通して見てみたときに、「自分はこの人の、こういうところが気に入らないって思ってる」ってことは、「自分は何を分離させているのか?」という内省につなげるっていう、物の見方のレンズと、そこからどういう風に自分が自分を振り返るのかっていうのを、セットで提供してるんですね。これがとにかく、テクノロジーとしてずっと伝えたかったやつなんです。
板東:
そうなんですね。
由佐:
ここが本丸!わたしの中では。わたしとしては、研修なんてやらなくてよくて、みんな日常の中で、その気づきの中で気づいていけるし、人間の器になっていくことができる、っていうのが一番人間として進化が遂げられると思ってるから。特別なことをやらないと、人間が成長できないとか、進化できないっていうのは違うんじゃないの? って思っている。
もちろん、素晴らしい学びの場はいっぱいあるし、そこからの恩恵はあるんだけれども、だけどそれだけじゃなくて、日々、自分が何に気づけるのかっていうところで、ものすごいブーストがかけられる、意識の進化っていうのは。この可能性に結構賭けているんですよ。
だから、JTSはもともと講座として作ったんだけれども、作ったときに、これはいつか内容をちゃんと本に編集して、テキストブックにしたかった。そしたら、講座じゃなくて、それでもかなり分厚くなっちゃったから、3000円弱するんですけど、それくらいのお金で、でもみんながそのテクノロジーに触れられる。そのレンズに触れて自己探求ができる。そういうものをとにかく社会に投げ込みたかった、っていう感じがあるかも。
板東:
「もう、講座とか研修とかは、なくなってもいい」っていうぐらいなんですか?
由佐:
「学びの場が特別な場所である」って、おかしいと思ってるんですよね、わたしは。学びの場って日常じゃないですか。一番、人間が葛藤を持つのって、その人の人生に起きている、人間関係、仕事、家族の話、会社の話———何が人間の学ぶ材料ですかって言ったら、その人が日々体験していること、やっぱりその関係性のなかにある、っていうのは、永遠に変わらないテーマだと思うんです、人間にとって。
板東:
変わらないですね〜
乾:
講座の中でも「今あなたは何を体験してますか?」みたいなことを、ずっと問いかけられているような感覚だったんですよね。
由佐:
そう、とにかく体験。
乾:
体験の中に、その〝感じているもの〟があって、そこに気づきがある、ということを、講座中ずっと教えてもらってたので。だから最近、日常でも「自分がどういう体験をして、何を感じているのか」っていう内側を見に行き易くなった。
板東:
なるほど、気づきが…。
大山:
気づきっていうのは、「自分ってどういう人間なのか?」という気づきなんですか?
由佐:
自分が知らなかった自分ですよね。
大山:
「自分ってこういう人間なんだ」っていうのを、日常で気づいていく回数がめちゃくちゃ増える、っていうような。
由佐:
人もそうだし、こんな風に反応するんだ、とか。「こんな言葉に反応するのは、こういうものを信念として抱えてるからなんだ」っていう、認知している自分に起きることの、何があるからそれが作り出されているのかっていうことが理解できる、っていうのが、人間にとってすごい大事だと思うんですよね。トカゲみたいに快・不快で反応してるのではなくて、「なぜこの体験をわたしはしているのか」を理解ができれば、全然違う対応がそれに対してできるんですよね。
例えば、嫌いな人だったら、不快だし、居ても心地好くない。そういうときに人間は「うまくやろうとする」か「距離を取る」か、どっちかしかできない、ってなりがちだけど、「ああ、この人は、自分がこういうところが自分の中で受け入れてないから、この人がこう見えてこういうところが気になるんだよな」って分かると、心地悪いから切り離す、もしくはうまくやろうとして我慢する、っていうのじゃなくて、全然違う、その自分の理解から、その体験は変えていけるんですよ。
大山:
へぇ〜
由佐:
分かると、なんとなく(反応が)なくなったり、そもそも(嫌いだと感じなく)なったりする。それって、現実を一番早く変えられるコツだし。人は、反応して逃げてるか、もしくはうまくやろうとしているか、っていうパターンから外に出るんだけど、違うものを作り出せるから。それが、自分の内側にある「何」が、それを外側の体験として作り出されてるのか、っていうことを人間が理解できたら、人間はどんなふうにでも現実を変えていける、っていうのに結構確信を持っているってところがあるから。
板東:
え〜 亜矢子さん、どうしたんですか?
大山:
過剰反応(笑)してます。わたしも『ザ・メンタルモデル ワークブック』やってみたんです。序盤しか全然やってないんですけど、気づきを得てて、「あ、そうだったんだ」って。それを今、みーちゃんが「現実を変えていける」って力強く言ってくれたから、「本当!」ってなったっていう、そういうことでした。
わたし、現実っていうか、「ダメな自分」っていうところの一番最初に、それってもう諦めてたんですね。もうダメなものとしてって。どうにかしようと努力もしないし、もうただ諦めてた。でも、変えていけるんだなぁ、って。今ちょっと希望が湧いた、っていう感じがしましたね。
由佐:
そうなんですよね。今の人間の「変えていける」の原動力は———亜矢子さんがやってるのは、「それはもう仕方が無いや」って諦めって要は見ないようにする。これって逃避ですよね。諦められない人は、これを変えにいくわけですよ、当たり前なんだけど、嫌だから。人間がやってるのは、このどっちかなんですね。
いずれにせよ、もともとあるものに対して抵抗していることは変わりないんですよ、どっちも。抵抗を起こしているものを、変化の起爆剤として、変える原動力に使ってるか、あるいは抑圧して、嫌なものをフタして押さえ込む力として使ってるから、どっちかになっちゃうんですけど。
でも、『メンタルモデル・ワークブック』に共通している普遍的な原理というのは、まず、あるものに抵抗するのをやめようと。「あるものはあるんだ、そうだよね」「そう思い込んだ」「そういうふうに信じた」「それが正しいと思ったし、そうに違いない」という風に自分で思い込みました、っていうのが真実であって、本当にそうかって言ったら怪しいんですけどね。
あれこれ考えて、これが真実だって判断したものを人間って何かしら持ってるわけですね、それが信念ってやつですけれど。で、その信念に抵抗するのを止めて、「ああ、わたしってそうやってそれ(自分の信念)を握りしめて生きてきたんだよね」っていうことを感じると、人間ってまずそれを受け入れられるようになるわけですよ、あるがまま。ここからしか始まらないと。ほとんどの変化は「抵抗することが変化だ」と思ってるんだけど、散々組織開発的なことをやってきて痛感して思い知らされたのは、人間は抵抗の中に変化を起こせない、ってことなんですよね。
板東:
ほぉ〜。でも、受け入れるってタイヘンです。
由佐:
頭はね。でも、感じる世界を使うと、全然大変じゃないんですよ。受け入れたくないものがある、っていうことは誰しも認めざるを得ないと思ってるんだけど、それを感じると、頭が発動して、「それは感じないように、なんとかしようよ」って(思考が)回っていく。でもその手前に、必ず「感じているわたし」がいるんですよ。必ずそれが、そのことに関して。それが不快だから、難しいっていうふうにして、みんなそこから逃げようとしたり、避けようとしたり、解決しようとしたりして、抵抗の行動を取ろうとするんだけれど、「とどまれここに」っていう話なんですよ。本当に嫌だ!痛いな〜って。
板東:
それが辛い!
由佐:
それは悲しいな〜とか。でもね、感じること自体は、頭が言うほど辛くはなくて本当は。感じるって、そんな痛みがあることでもないんですけど、頭は「そうに違いない」って判断しちゃう。だから、思考に入る前の、「本当はわたしの内側に何があるのか?」「何を感じているのか?」っていうところに踏みとどまることで、結局そこから人間って、いろんな智慧を得ることができるんですよ。ひとことで言ってしまえばこんな感じなんですけど、それをあ〜でもない、こうでもないって言ってる(笑)。
乾:
講座の中で、先の不快な感情——「怖い」とか、傷みの感覚を味わいに行くのってすごく怖い、っていう話をしていたときに、「感じに行ってみたら、2〜3分ぐらいしか持たない」みたいなことを言ってもらったんですよね。で、「2〜3分なら、もしかしたら我慢できるかもしれない」って思って、ちょっと感じに行けるようになった。実際にやってみたら、最初は「痛い」って思ってたのに、次の瞬間、本当に1分くらいで別のことを考え出す。味わってるのってほんと少ないな、っていうのは体感しました。
板東:
なるほどね。自分を見るっていうことを、まだしてない人——やろうと思う人ほど、手をつける人多いと思うんですけど。わたしも「自分を見る」っていうことが、本当に嫌だったんですよ。2年ぐらい前まで。だから、その時に「これしたら本当に、自分では絶対にできない」っていうか、したくないです。したくない。怖いんです。「自分を見る」のが。何が出てくるか分かんないから。そういう人はどうしたらいいんですか?
由佐:
板東さんが言うとおりで、ホントにそうだよね。あの、多くの人は人間の内側って「パンドラの箱」だ、みたいな感覚を持ってると思ってるんですね。開けたら、邪悪なもの、恥ずかしいもの、汚いもの、みたいなものがいっぱいあるんだ、みたいな感じをもっていて、もしくは弱い自分とか、ダメな自分がたくさんいる、っていう感覚がある。だから「その自分じゃダメだから」「今の自分じゃ十分じゃないから」って、みんなすごく頑張ってる、もちろん。でもね、本当は、どんなにその箱を開けても、汚いって見えてるものの奥って、何も汚いものなんて本当はない、ってことを伝えたいんだけど、でもそれは、開けて感じてもらうしか道がないんですよ。
板東:
道がないんですね。
由佐:
どんな自分も、いのちが作り出したもので、本当はちゃんと意味がある。目的がある。そういうふうに設計済みでデザインされている。その意味が分かると、人間がどれくらい美しく作られてるかが分かるよ、って言いたいんだけど。でも、この「概念」には意味がないって、分かってるんです。だって、世の中のほとんどの人がそう思ってないんだもん。なので、その自分の中にあるものが本当にいのちとして美しいものだって 美しいものがすべて美しくて、いのちに必要だからもっているっていうことを、自分で感じて理解してもらう以外に道がないんです。
でも、人間がそこにたどり着かなかったら、人は自分自身を愛せない。いつまで経っても。自分が愛せなかったら、もちろん受け入れられないわけですよ。自分が分離してたら、人のことも受け入れられないんですね。だから、内側を見てほしい。なんでって、いのちの世界が内側にしかないから、本当に知覚できるものとして。
板東:
たしかにたしかに。なにか手に入れられるんじゃないかって思っちゃう。さっき「器」って言いましたけど、みーちゃんが。受け入れる自分の器が必要っていうか…。なんだろうな、勇気っていうのかな(笑)。
由佐:
だからね、自分のことを受け入れれば受け入れられるほど、自分のことが絶対に愛おしくなる。自分のことを受け入れられるってことは、慈しめるようになっていく。でも、それは「甘やかす」とは違うんですよ。「あ、本当にこういうことなんだ」って感じる世界で自分の中で掴んでいくんですね、気づきの中で。で、それが結局、人間の意識を拡張させていく。いのちを理解していくっていうのは、自己理解そのものなので。
いのちが何を自分に問いかけていて、何を訴えていて、何を作り出したくて、どういうふうにこの人生を伝えたいのか、つくりたいのかっていう情報ってすべて内側にあるから、結局。そういうところへアクセスしていってほしいよね、って思うし。それって外側のものにひたすら抵抗して、自分のすごさを証明して、能力を証明して、所有物でなにかを証明して、何かを手に入れて…って外側に向いてやり尽くしたからこそ、「でも、なんかこれじゃないよね」ってなって。
じゃあ、「自分は本当には何で満たされるのか?」という問いをもった人しかベクトルは内側に向かないし、やりきってからで全然いいんだけれども。でも、こういう内側と外側の世界のつながり、「内側の世界が外側に現れてるんだよ」っていうことが分かると、めっちゃ生きやすくなるのになってことんですけど。(自分の内側を)見たくないって気持ちはすごく分かるんだけれど。
板東:
生きやすくなるんですね。
由佐:
生きやすくなります。理解って最高のやっぱり…理解、わたしは愛だと思っているので。理解があると、許せるじゃないですか。
「だからその人はそうせざるを得ないんだね」 「だから自分はそう考えるんだね」 「だからこういうことが起こるんだね」って分かったら、人生、生きやすいでしょう?
でも、ほとんどの人たちの不満は「なんで、わたしにこんなことが起こるの?」「なんであの人はこうなの?」「なんで、わたしはこんなことしかできないの?」ってこういう世界だから、それがよく理解できると、やっぱり平和につながっていくな、っていう感じは、あります。それで、そういう人たちを増やしたいんですよね。(続く)
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(文字起こし・ここまで)
※※NVC=Non Violence Communication(非暴力コミュニケーション)の略。1970年代に、アメリカの臨床心理学者マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系化され、提唱された、自分の内と外に平和をつくるプロセスを言う
この続きはまた明日に!(^^)/


