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ザ・メンタルモデルについて(その35)「Co-Creationという世界の生き方①」

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ザ・メンタルモデルについて(その35)「Co-Creationという世界の生き方①」

ザ・メンタルモデルについて(その35)「Co-Creationという世界の生き方①」

2026/07/20

6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会

の事前準備を兼ねて、

著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された

〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。

 

昨日までの投稿記事に未読分がある方は

まず次から先にどうぞ!
ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」

ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」

ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①

ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②

ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③

ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』

ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」

ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」

ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」

ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」

ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」

ザ・メンタルモデルについて(その13)「〝源(みなもと)〟とは何か?⑤」

ザ・メンタルモデルについて(その14)「吉本隆明『共同幻想論』に重ね合わせてみて」

ザ・メンタルモデルについて(その15)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり①」

ザ・メンタルモデルについて(その16)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり②」

ザ・メンタルモデルについて(その17)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり③」

ザ・メンタルモデルについて(その18)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり④」

ザ・メンタルモデルについて(その19)「ライフタペストリーとプロセスデザイン」

ザ・メンタルモデルについて(その20)「ライフタペストリーと親鸞上人」

ザ・メンタルモデルについて(その21)「価値なしモデルと愛なしモデル」

ザ・メンタルモデルについて(その22)「欠陥欠損モデルとひとりぼっちモデル」

ザ・メンタルモデルについて(その23)「実存的変容とのつながり①」

ザ・メンタルモデルについて(その24)「実存的変容とのつながり②」

ザ・メンタルモデルについて(その25)「実存的変容とのつながり③」

ザ・メンタルモデルについて(その26)「動物脳と人間脳①」

ザ・メンタルモデルについて(その27)「動物脳と人間脳②」

ザ・メンタルモデルについて(その28)「動物脳と人間脳③」

ザ・メンタルモデルについて(その29)「脳と心の関係について」

ザ・メンタルモデルについて(その30)「原生的疎外と純粋疎外」

ザ・メンタルモデルについて(その31)「反応しちゃう自分の扱い方」

ザ・メンタルモデルについて(その32)「生存本能は痛みの回避が目的」

ザ・メンタルモデルについて(その33)「身体を使って感じる体験がモト」

ザ・メンタルモデルについて(その34)「仏教との関わり」

 

(その26)の記事から継続して考察してきた

その人の生存本能とその人自身をどう区別するか

というテーマについては、

昨日投稿した仏教の話題にて

一区切りとしました。

 

本日7/20午後『レゾナント・コミュニケーション』

読書会の第1回を中村教室で開催したので、

報告記事は後日に投稿する予定です。

 

さて、この連載記事も回を重ねて

35回めとなりました。

 

この記事を書き始める動機となった読書会も

本日無事に開催することができ、

こうしてブログ記事として書けることとして

重要なことには

ほぼ触れられたようにおもっているので

そろそろ締め括ろうかと考えているんですが。

 

それで、わたしがこの長い長い連載記事で触れた

重要ポイントがほぼ網羅され統合され、

しかも実践するアプローチのヒントも含んでいる

総括篇の素材として選んだのは、

由佐美加子さんがCCCを立ち上げられて

間もない2015年2月のタイミングで行われた

公開セッション

「Co-Creationという世界の生き方、リーダーシップ」

の動画です。

 

全篇で2時間48分ある長いセッションなので、

数回に分けてテキストを書き起こし

紹介するつもりですが、

第1回の今日は冒頭から37分40秒あたりまで。

 

〝ザ・メンタルモデル〟の一番土台となる

世界観を提示されている箇所です。

 

【公開トークセッション】Co-Creationという世界の生き方、リーダーシップ

 

(文字起こし・ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

由佐:

ありがとうございます。今日、ここに来るにあたって出てきたこと、聞いてみたいこと、話してほしいこと、あるいは「このことについて考えてみたい」という問いがあれば、最初に少し挙げてもらえたらと思います。順番に一人ずつでもいいですし、どこからでも大丈夫です。チェックインがてら、さっといきましょう。誰からでもどうぞ。

 

こんばんは。どうぞ、空いているところに。はい。どんなことに関心があるか、何か関心がないと、ここに足を運んでくださっていないと思うんですよね。その関心を満たす形で話したいなと思っているので、よかったら話してください。何でもいいですよ。●●さん、どうぞ。はい。目が合ったからね。普段はあんまり指名しないんだけど、珍しく。

 

参加者A:

えっと、今日来たのは、みーちゃんがこのCCCを作った、そのタイミングで「なんで作ったのか」というのは何回も聞いたんですけど、どういうふうに人に会って、どういうストーリーでこれができてきたかというのは知らないので、それを聞きたいなと思いました。

 

由佐:

なるほどね。「なんでこの器を作ったのか」ということ?

 

参加者A:

どういう人と出会って、どういうふうな流れで。

 

由佐:

なるほど、なるほど。はい、分かりました。ほか、どうですか。

 

参加者B:

はい、●●です。正直、今日の対話のタイトルも忘れてしまっているぐらいなんですけど、何かの理由で来ているんだろうなと思っています。ただ、それはまだわたしにも分からない、というような感じです。

 

由佐:

ありがとうございます。いらっしゃい。「どんなことを聞いて帰りたいですか?」をやってます。

 

参加者C:

はい、●●です。ちょうど最初にお話があったとおりで、CCCという器を作られた。その中で「リーダーシップ」ということをキーワードに、たぶん展開されている部分があると思うんです。逆に、ご自身がそれを展開するにあたって、リーダーシップというものを、ある意味、実践しないといけない立ち位置になったと思うんですけど、そこでいわゆるビフォー・アフターでどんな気づきがあったのか。いわゆるリーダーシップの専門家が、実際にご自分でやってみて分かること、みたいなものがあると、すごくいいなと思っています。

 

由佐:

はい、分かりました。ありがとうございます。はい、どうぞ。

 

参加者D:

えっと、共創造とか共創って、自分の中で何となくイメージとしてはあるんですけど、でも「それを語ってください」と言われると、なかなかはっきり言えないんです。その共創造を生み出していきたいという思いはあるんですけど、普段やっていることは、何となくその場その場の感覚でやっていることで、それをしっかり掴みたいなと思っています。

 

由佐:

はいOK!うん、そうそう。はい、どうぞ。

 

参加者E:

●●です。今日は、世界観というのが最近の僕のキーワードで。情報がかなり多くなったりして、やっぱり自分の世界がしっかりしていないと流されるというか、なかなか自分の向かう先が見えないなと思っています。世界観をどう作ればいいのか。でも、それが独りよがりになると、人の幸せを犠牲にして、自分の世界観だけを守る、みたいなリスクもあるのかなと思ったりして。そこで、共創というか、そういう価値観や世界観をもとに作っていくと、実は一番いいんじゃないか、みたいなことを聞きたいと思っています。

 

由佐:

はい、素晴らしいです。ありがとうございます。はい、どうぞ。

 

参加者F:

名札を忘れたんですけど、すみません。●●●です。この1年少しぐらいで、CCCの皆さんがやられてきて、共創造というものの周りで何を見つけたのか、何を見出して、今どんな問いを持たれているのか。そんなところを聞いてみたいです。

 

由佐:

はい、分かりました。他にありますか?どうぞ。

 

参加者G:

一応チェックインという形で、ちょっと話させていただくと。ここに「Co-Creation」と書いてあって、それに単純にピンと来たというだけです。それで、何が出るのかなというのを聞いてみたい、というだけです。

 

由佐:

はい、ありがとうございます。では、●●さんいきますか。よろしくお願いします。

 

参加者I:

よろしくお願いします。ちょっと場違いだったらすみません、という感じなんですけど。

 

由佐:

何でも大丈夫ですよ。

 

参加者I:

最近の自分の在りように、何となく違和感を感じていて。めっちゃ頑張って仕事もしているし、目指していることと、仕事でやっていることがそんなにずれているわけでもないんです。でも、なぜだろう、この違和感、みたいなことを感じていて。●●さんから話を聞いたんですけど、何かそういうものを解決できるかもしれない、みたいなことを、よく分からないけど感じて来ました。

 

由佐:

はい。何がその虚無感を生んでいるのか、ですよね?はい、ありがとうございます。

 

参加者J:

はい、●●です。僕は、共創造で生きるという実践法みたいなものに興味があります。どうやって生きられるか、日々の実践ですね。

 

由佐:

はい。ほか、ありますか。はい、●●ちゃん、どうぞ。

 

参加者K:

創造の前に、すごい手放しとか、喪失感みたいな大きなものがあるのかなと、ちょっと思っていて。それをどう乗り越えるのか、そこからどう創造に行くのか、というところが知りたいです。

 

由佐:

はい、オッケーです。ほか、ありますか?大丈夫ですか?

では、ちょっと一方的に話すと、わたしも不安になるし、理解されているのか、されていないのかが掴めなくなってしまうので、インタラクティブ(双方向、対話的)にやりたいと思っています。まず、どういうふうにこの共創造の世界に行き着いたのか、という話をしたいと思っています。

 

わたしの問いは、「世界はどうしてこうなのか?」ということです。これは、ずっとずっと同じ問いなんですよね。いろんな今、会社というのは何をするところかというと、課題を解決するところなんですよね。いろんな仕事は、ほとんど課題解決をベースにしています。何か課題を見つけては、それを良くしようということに、みんなが必死になって頑張る。人と組織という仕事をし始めたときに、人間を課題解決というレンズで見ても、あまり何も良くならないんだなと思ったのが、一番最初にあります。

 

では、どうしてわたしたちは課題解決というレンズにはまってしまうんだろう、と思うわけです。今の世の中を見ると、「何が正しいのか?」「何がいいのか?」という問いがいつもあります。何か事象が起こると、たとえばこの間の●●さんの件でも、「どうすればよかったのか?」「何がいいのか?」「何が正しいのか?」みたいなことを、みんながそこでやいのやいのと言う。

 

わたしはそれを「二元論」と呼んでいるんですけど、「いい・悪い」「善・悪」「正しい・正しくない」というものは、何が起きるかというと、分断が起きてしまうなと思っています。人間は、分断が起きたとき、分断されたときの「何かが良くない」ということに、内側ですごく反応しているんですよね。反応するから課題解決になるんです。「あ、これは良くないんだ。だったら何とかしなくちゃ!」と。

 

それはどこから始まったのかと言われると、どうやらすごく小さいときに始まっているらしい。ずっといろんな人とセッションをしたり、相談に乗ったりしている中で、人はものすごく、自分の内側を「いい・悪い」というレンズでまず裁いているんだ、ということが明確になっていきました。では、どうして裁いてしまうのか。

 

人間は、元々どちらから始まっているのかと考えたときに、生まれた瞬間は、たぶん人間は完璧だったはずだとわたしは思っています。生まれた瞬間、何の思いもないときは、ただそのままで生まれる。でも、どこかから「これは良くて、これは悪い」とか、「こうしたほうが愛される」「こういうふうにしちゃうとダメと言われるんだ!」ということを学んでいくフェーズが、最初にある。で、それは発達上、必要なんですよね。なぜなら、何がいいか分からなかったら、社会に適合できないからです。

 

ただ、そのレンズを大人になるまでずっと使い続けると、人はどうなっていくかというと、自分の悪いところをずっと直していくことになる。会社の人事や人材開発というのは、悪いところを見つけて直す仕事なんですよね。「何々さんが部下をうまくマネジメントできません」「チームがうまくいっていません」というように、何か問題があるというふうに事象を捉えて、それに対して良くしていこうとします。

 

そうしたときに、人はどんなふうに反応するかというと、「自分は何かがダメなんだ」と思うし、そこを何とかしろと言われても、直されるというエネルギーは、やっぱりどこにも行かないと思うんです。人は直されたくないし、自分がダメだと思いたくない。何か欠陥だと言われると反応する。そういう意味で、どうして人間は、こんなに「ダメだ」と言われることに反応するにもかかわらず、この世界をずっと、その反応から生きることを続けていくんだろう?というのが、わたしのかなり根本的な問いとしてあります。それは、直せないものをずっと「直せ」と言われて駆り立てられて、最後にどこへ行くんだろう?という問いです。

 

それを課題解決、自分の内側の課題解決として、人生で何か満たされていないところを探す。「もっとこうであるべきだ」「こうあれるはずだ」みたいなことをやっていくことが成長だと言われています。その成長をどんどん追いかけていったら、もっといろんなものが手に入って、自分は何かすごいものになれて、幸せになれるはずだと言われている。

 

でも、わたしの体験では、自分はまったくそうはなれなかったんです。頑張って、頑張って、強くなるように頑張ったけれど、最後に体験したのは崩壊でした。虚無感だったし、自分は何のために生きているのかがよく分からない感覚だった。どうしてそうなってしまうのかも、よく分からない。でも、そのゲームに勝っていくことが、社会で大事にされているように見えていたんです、そのときは。

 

「なぜこの二元論があるのか?」これは根本的な問いなんですよね。どうして人は「いい・悪い」と言うのか。何が正しいとか、何が間違っているとか、あるいは「どちらのほうがより正しいか?」。この「より」というのがポイントなんですけど、「より正しい」に入ると、人はずっと戦うんですよね。なぜ、この「正しい」から人は戦うのか。なぜ戦うんだろう、ということです。

 

分裂するエネルギーが、社会の中に凄まじくあるなと思っています。同じようなことをやっている人たちって、お互いにだいたい好きじゃないじゃないですか。何か気に入らない。「あっちより、こっちのほうがこういう点でましだよね」「あっちより、こっちのほうがこういうものを持っているよね」「あいつらはこうだよね」と言って戦う。その対抗意識はどこから生まれるのか。こういう分断するエネルギーが、どうしてこんなに社会の中にあるのか。

 

問題というのは、ほとんど「分断」から起きていると思っています。そもそも、分断しないと問題にならないんですよね。何かから切り離して、事象だけを取り上げる。それが「問題」だからです。その問題を捉えてどうするかというと、人は描写するんです。「ああでもない、こうでもない」「これってこういうことだよね」と言う。その「これってこういうことだよね」と言った瞬間に、もう分断が始まります。「いや、俺にはそうは見えない」「わたしはそうは思わない」という人が出てくる。思考の世界で、それが意見として戦わされるんですけど、そこで引き付けられるのは合意の世界です。でも、ほとんどは反目する。

 

強い人が「とはいえ、こうだ」とか、「それはそういうものだ」といったやり方で、最後はどこかに落とすんだけれど、どうしてこれがまかり通ってしまうんだろう、というのが、一番最初によく分からないと思っていた根本でした。外側の二元論を追いかけていくと、やっぱり内側の世界にある分断にぶち当たるんですよね。どうして外側がこんなに分断してしまうのか。

 

それに対して、人間は内側で、そもそも自分のことも「いい・悪い」で見ているし、人のことも「いい・悪い」で見ています。その行動に対して、自分の「正しい」を発揮し始めると、描写が始まり、思考が動く。そこではだいたい、反目するか、分断していくか、もしくは合意するか。このサイクルだけが起こっている。

 

そんな社会はどこへ行くのかというと、最後はやっぱり分裂していくんだな、とすごく思うんです。これが一番最初の、いわゆる社会で「問題」と言われているものを追いかけていくと、必ずこのサイクルにはまっていく、というところです。途中で疲れてしまった、というのが、まず最初の体験としてあります。

 

組織と人事をやると、「今、何が問題なのか提案しろ!」と言われるわけです。「それに対するソリューションを出せ!」と。それはいつも、描写して、課題解決を出して、「これをやったら多分こうなります」と言わなければいけない。でも、実際にはそんなに単純にはならないんですよね。実際はこれが本当に限界だなと思ったことが、原点としてまずあります。もっと人間は複雑に見えるし、逆に言うと、つながっている。この単純なプロセスだけではないプロセスを起こすためには、どうしたらいいんだろう。これが、会社にいた頃の私の最初の問いとしてありました。

 

この世界でできるのは何かというと、「何を、どうやって」を卓越させるしかないんですよね。いわゆるソリューションというものです。

「何を、どうやって」を散々やるんだけれど、問題の根はやっぱり何も変わらないんですよね。たとえば今の環境活動もそうだと思います。一所懸命、何かを解決しよう、もしくは止めようとして、いろんなことをやる。それをどうやってやるかも、いろんな人がいろんなふうにやる。でも、どうして元々の問題はずっとなくならないのか。もし問題が本当になくならないのだとしたら、じゃあ人間はどうしてこれをやりたいのか、という問いになります。

 

そのときに、自分ですごく発見したことがあります。これをやっている間、何が得られるかというと、意味不明な効力感だけはあるんです。「頑張っている」という感じはすごくある。「何かに向かっている」という感じもある。でも、それが本当に、この問題だと思っている現実を変えられるかというと、正直、あまりインパクトは起こせない。ただ、仕事をしているフリはすごくできるんですよね。「こんなにいろいろやっているから」と。だけど、世界はあまり変わらないな、という感覚がありました。ここが最初にまずあります。

 

 

今までのところを聞いてみて、感じていることはありますか。

 

「二元論という世界はどうして起こるのか?」というのが最初の私の関心になったんですけど、「正しい」が立ち上がると、同時に「間違っている」が立ち上がるんですよね。正しいが立ち上がると、賛同する・しないに分かれる。人はみんなが賛成することなんて、滅多にないんです。だから「落としどころ」という話になっていく。そして、合意を目指そうとする。それが、今の人間活動のほとんどの性質なんですよね。

 

この世界には、あまりクリエイティビティがありません。なぜないのかというと、意見には、その人のアイデンティティやプライド、いろんなエゴが絡んでいて、人はそれをすごく握りしめるからです。「それは違うでしょ」と言うと、まるで自分がダメだと言われたかのように反応してしまう。また「ダメだ反応」になって、戦争が開始されてしまう。

 

だから、この人の「二元論」から来る反応をどうしたらいいんだろう、と思うわけです。否定されたとき。何かがダメだと言われたと思ったとき。価値がないと言われたとき。何か欠陥・欠損があると言われたときに人はすごく反応する。人の仕事をしていると、ここが明確になっていきます。この欠陥・欠損への反応がどこにつながっているかというと、結果的には攻撃につながります。攻撃にはいろんな種類があって、パフォーマンスを出すというのも一つの攻撃なんですよね。「俺はこんなにやれるし」と反応する。

 

でもそれは、ダメだと言われたくないからやっていたり、「こんなにすごいんだ!」と見せつけるためにやっていたりする。その人の反応回避にはなるんだけれど、そこから生まれる結果はすごく歪(いびつ)になってしまう。周りの人が傷ついていったり、その人はすごく頑張っているんだけど、周りが全然育たなかったり。すごく自然ではないものになってしまう。みんながそれで幸せになる、というシナリオにはあまりならないんですよね。攻撃から生み出される結果というのは。

 

そして、反応したときにはもう一つのパターンがあります。これを「逃避」と呼んでいます。これは、逃げてしまうということです。会社で言うと、「もう僕は無理です」とか、病気になってしまうとか、「いやいや、わたしなんて無理です」と言って、戦わないで逃げてしまう。これも結果的には、その人は何の力も出せないで終わっていくことになります。反応という刺激があったとき、たとえば「あなたは欠陥・欠損なんです」と言われたときに、「そんなことないよ」と言って攻撃に出るか、「でも、そうかも」と言って引くか。この攻撃・逃避というパターンしかありません。

 

ここの行動に関してはいろんな表出の仕方がありますが、行動的にはいつも、二つのどちらかに割り振られます。「あ、攻撃なんだ」「あ、逃避するんだ」という、その人のパターンがあるんです。この反応を起こしている限り、結果は集合的に望ましいものにはあまりなりません。その人の不安を払拭しようという行動が、いろんな不自然さや不調和を生んでしまう。

 

一見すると、会社などではすごくパフォーマンスが上がったりもします。だけど、この反応は必ず誰かに対する攻撃になったり、本当は取らなければいけない責任が取られなかったりして、結構、不本意な現実になってしまうんです。これが、最初に組織の中でいろんな問題を見ていたときに感じ始めたことでした。

 

では、社会というふうにこれを広げたときにも、結局同じことなんだと思い始めました。組織の課題をやり始めて数年後、社会的にはどうなのかという、ソーシャルイノベーションの領域がそこから開けてきたときに、社会の中でも結局、正しいか間違っているかという論争が、ほとんど主戦場になっている。

 

その根本的に、この二元論を突き動かしているものは何なのかと言ったら、やっぱり〝恐れ〟なんだな、とどこかで思い始めたんです。これは全部、恐れです。「自分は否定される」「ダメだ」「欠陥・欠損なんだ」「価値がないんだ」ということが、行動の手前というか、奥に本当にある。でも、このことに関して、ほとんど自覚的なリーダーはいないんですよね。

 

リーダーがどこを見ているかというと、「What」と「How」をやっているつもりなんです。問題を解決しているつもりなんです。でも、その行動はどこから起きていますか、と見ると、「こんなふうになってしまったらどうしよう」という恐れがドライバーになっているんですよね。

 

考えてみれば当たり前で、たとえば今の企業では、株主に約束した業績を出せなかったら、社長はたぶん即、クビになったりするわけじゃないですか。だから、常にいのちの危険なんです。そういう意味では、常に「ダメだ」と言われることが怖い状態で、ほとんどの人たちは仕事をしています。今の社会で言うと、「いろいろ不安だよね」「こういう理由で世の中は危険だよね」「先行きが分からないよね」という、この恐れの浸透度は凄まじいと思っています。

 

ニュースをつけた瞬間に、ほとんどこの話しかしていないんですよね。怖いと思わせる情報を聞いたときに、何らかの不安や絶望や恐れを感じないではいられない状態になっている。ここから行動しないと生き残れないんじゃないか、と人間が思うような世界が展開されているんです。でも、それって本当にそういう世界なのか、よく分からない。だから、何が現実なのか、すごく分からないなと思っています。

 

外界の社会を見ていると、「これが世界だ」と人が描写している世界があります。でも本当のところ、それが本当にそうなのかは、よく分からないですよね。これに翻弄されていくと、何が起こるか。どんどん怖いし、不安だし、絶望する機会だけはいっぱいある。そこに反応してしまうんですよね。

 

人間は怖いと、反応せざるを得ないと思うんです。反応してしまうと、攻撃か逃避か、どちらかに出たくなる。多くの人たちは、生存をかけて戦おうとします。これをドライバーとして、成長神話が成り立っているんじゃないかなと、私はすごく思っています。「業績をここまで出さないと、ボーナスがもらえないよ」「評価されないよ」「ポジションが危ういよ」というふうに、達成や成長に向けて駆り立てるために、恐れを使っている。社会の中で、人事制度もすごくこれがベースになっていると思っています。

 

「みんなで成果を出せばいいよね」という時代があったのに、やがて「これはあなたの評価なんです」と言って個人評価になった。「あなたがどれだけできるかが問題なんです」と言って、どんどん分断されて、「自分」になっていってしまった。他の人とのつながりや、「頼っていい」という安心感は、ここ何年かでかなりなくなっていったと思うんですよね。社会は多分、安心からどんどん不安へ向かっている。

 

わたしは、人間が一番不安になるのは、ひとりぼっちだということ、あるいは自分が何からも切り離された存在だということなんだと思っています。それはなぜかというと、人間はつながって生きている、というのが元々の真理だからだと思うんですよね。人間は多分、あらゆる生命と本当はつながっている。

 

その生命のシステム、人間がその一部でいられるシステムが壊れたら、人間の生命なんて、多分すごく脆いものだと思います。でも、そのつながりすら感じられないぐらい切り離されている。切り離されていたら、潜在的にはものすごい恐怖です。だから、それを何とかしようと思って、社会の中でひたすら行動して、頑張るというふうにしか駆り立てられない。

 

これを全部踏まえたときに、では、この時代に生きている私たちが、本当に取り組まなければいけない観点は何なのか。私はやっぱり、人間の意識が「つながり」から切り離されてしまった、というところにあると思っています。「すべての生命につながっているよね」という感覚を喪失すると、人間にはもう恐怖しかないんだと思います。「ひとりで生き残らなければいけない」

 

それはどこにいても一緒です。どんなに人がたくさんいても、多分一緒です。「自分は何とかひとりで生きていかなければいけない」という、分断の恐れがすごくあるんじゃないかと思っています。そうすると、もうこのプロセスしか起こらない。では、その安心をどうやって獲得するのか。

 

わたしたちはどういうふうに育っているかというと、「あなたが強くなれば安心できるんです」と、多分言われてきたんですよね。「あなたが優秀で、もっと力があって、いろんなものを得て、その力さえあれば、安心して幸せに暮らせるんだよ」そういうふうに言われてきた感じが、私個人にはあります。でも本当はそうじゃなくて、自分の内側で、「私はすべてとつながって生かされている」という感覚があるかどうかだと思っています。

 

けれど、教育は全然そうなっていない。比べられて、「あの子よりできない」「あなたにはこれがない」というようなことを匂わされる。比較や競争の中にさらされていく。そうすると、基本的には、この分断の恐怖から頑張るということだけが、小さいころから入ってしまう。競争は、クリエイティビティという意味では、すごく有意義だと思います。でも、恐怖から起こる競争は、駆り立てられている。ある種、消耗していくプロセスになってしまう。

 

本当のクリエイティビティには向かわないと思うんです。怖いから、アドレナリンで走るだけ。それは、本当の創造性からはかけ離れていくと思うんですよね。なので、この世界にずっと住んでいて、このまま次の社会はどこへ行ってしまうのかと考えると、わたしはやっぱり、人間だけが切り離されて、いつか地球上で人だけが生きられなくなる、というシナリオしかないんじゃないかと思っています。

 

基本的に、自分の内側や自分に起こっていることの本質を見ていくと、組織という単位で起こっていることと、自分に起こっていることは本当に同じなんですよね。相似形だったりします。それをもっと広げて、社会というレンズで見たときも、やっぱり本質的なことは、すごくシンプルなメカニズムで動いていると思っています。それが何なのかを、ずっと探してきた。それが、元々この新しい場を立ち上げる前のプロセスです。

 

この反応がどれぐらいノイズを起こすか。その相談窓口が、人事という仕事なんですよね。誰の話を聞いても、結局根本はこの話なんです。どれだけ駆り立てられているのか。自分のメンタルモデル、つまり、「自分は欠落している」「欠損している」「このままじゃダメだ」

ということに対して、どうやったらそれを払拭できるのか、回避できるのか。

 

それを、無自覚に猛烈にやっている行動が、実際の現実の中でだんだんうまくいかなくなってくるんですよね。リーダーという意味で言うと、リーダーのトランジション、つまりリーダーシップのフェーズが変わるとき。一人で成果を出しているときは、まだそれでいいんです。分断の世界に生きていて、「あなた個人のパフォーマンスだけが、あなたの価値なんです」と言われているときには、それが猛烈にうまくいったりする。

 

でも、切り離されていたものが、今度は管理職になりなさいと言われ、つながりで勝負しなければならなくなると、ほとんど通用しなくなる。つながりでパフォーマンスを出す。つながりでクリエイティビティを発揮する。そういう部分で勝負しなければいけなくなったときに、このトランジションがうまくいかないと、リーダーはやっぱり破綻していくんですよね。

 

人事の仕事というのは、ほとんどそのリーダーたちを、どうやって分断から、本当につながりの世界へ変容していくことができるのか、ということが、いつもかなり大きな命題になっているんじゃないかなと思います。ここまで、何かありますか。

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(文字起こし・ここまで)

 

 

この続きはまた明日に!(^^)/

 

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●2021.9.1~2024.12.31記事タイトル一覧は

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 2025年に投稿した365記事はすべて

 今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載

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