ザ・メンタルモデルについて(その35)「Co-Creationという世界の生き方②」
2026/07/21
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に開催した
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の準備を兼ねて、
著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いてきました。

昨日までの投稿記事に未読分がある方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
・ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
・ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③
・ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』
・ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」
・ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」
・ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」
・ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」
・ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」
・ザ・メンタルモデルについて(その13)「〝源(みなもと)〟とは何か?⑤」
・ザ・メンタルモデルについて(その14)「吉本隆明『共同幻想論』に重ね合わせてみて」
・ザ・メンタルモデルについて(その15)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その16)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その17)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その18)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり④」
・ザ・メンタルモデルについて(その19)「ライフタペストリーとプロセスデザイン」
・ザ・メンタルモデルについて(その20)「ライフタペストリーと親鸞上人」
・ザ・メンタルモデルについて(その21)「価値なしモデルと愛なしモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その22)「欠陥欠損モデルとひとりぼっちモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その23)「実存的変容とのつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その24)「実存的変容とのつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その25)「実存的変容とのつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その26)「動物脳と人間脳①」
・ザ・メンタルモデルについて(その27)「動物脳と人間脳②」
・ザ・メンタルモデルについて(その28)「動物脳と人間脳③」
・ザ・メンタルモデルについて(その29)「脳と心の関係について」
・ザ・メンタルモデルについて(その30)「原生的疎外と純粋疎外」
・ザ・メンタルモデルについて(その31)「反応しちゃう自分の扱い方」
・ザ・メンタルモデルについて(その32)「生存本能は痛みの回避が目的」
・ザ・メンタルモデルについて(その33)「身体を使って感じる体験がモト」
・ザ・メンタルモデルについて(その35)「Co-Creationという世界の生き方①」
さて、読書会も無事第1回を開催し終え、
この連載記事も回を重ね36回めとなっているので、
締め括りのステップに入っています。
昨日からは、この長い長い連載記事で触れた
重要ポイントがほぼ網羅され統合され、
しかも実践するアプローチのヒントも含んでいる
総括篇の素材として
由佐美加子さんがCCCを立ち上げられて
間もない2015年2月のタイミングで行われた
公開セッション
「Co-Creationという世界の生き方、リーダーシップ」
の文字起こしテキストを紹介し始めました。
第1回の昨日は全篇で2時間48分ある
長いセッションの冒頭から37分40秒あたりまで
テキストを書き起こしたので、今日はその続きから。
昨日の記事で文字起こししたのは、
参加された皆さんの問題意識のシェアと、
〝ザ・メンタルモデル〟の一番土台となる
世界観を提示されている箇所でした。
さまざまな分断を生むモトが
結局のところどこにあるかを考えて行くと、
「善し悪し」の二元論に行き着くと。
では、その二元論という世界はなぜ生じるのか?
そこから生まれる反応をどう扱うのか?等々
由佐さんがの物事を俯瞰する
観察力と洞察力というか、
〝問い〟の立て方が何よりも素晴らしかったですね。
今日の文字起こしテキストは昨日の続きで
37分40秒あたりから1時間06分10秒あたりまで。
(文字起こし・ここから)
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由佐:
(こんなことがCCCを立ち上げた)背景としてあります。今の話を聞いていて、どんな感じがしたかでもいいし、隣の人とちょっと話してもらってもいいですか。とりあえず、分からないことがあったら、それをクリアにしたいと思います。どうですか?
参加者L:
いいですか?聞いていて、自分の昨日と今日の会議のことをありありと思い出しました。外資系の企業に勤めているので、ある問題を解決しようということで、グローバルから本社からいろいろ来て、ああだこうだと話していたんですね。いろいろアクションプランは出てくるんですけど、全部、空虚に聞こえていて。「ん〜これって反応からやっているよね」というところで、本当に攻撃しかしていないなと、今の話を聞きながらすごく思っていました。それをやったところで、みんなが疲れていくだけで、そこからいったい何が得られるんだろう、と。やっぱり、行動している効力感しかなくて、それはいつか、アドレナリンが切れたときにバタッと落ちるんだろうな、ということに、聞きながら直面していました。
由佐:
ありがとうございます。この世界には、本当にクリエイティビティが宿らないんですよね。
参加者L:
そうなんですよ。それで、「クリエイティブに新しいものを生み出そう」という言葉が、全部空虚に聞こえてくるんです。
由佐:
この一部として話されているから。
参加者L:
そうそう。そうなんです。もうエコーしていくような感じなんですよね、その部屋の中で。
由佐:
イノベーションということを謳うのが、会社や社会は大好きだと思うんですけど、イノベーションはここからは絶対に起こらない。そのことを、本当に社会は掴んでいないなと、いつも思っています。反応というのは、本当にある種の思考停止状態に陥っているので、自分の過去にうまくいったことを、もっとやるということしかできないんですよね。
能力的に高めて、同じパターンをより高い技術やスキルでやる、という意味では可能です。でも、それ以外の方法はやっぱりないんです。クリエイティビティ、つまり全く違う方法から何かをやるということは、頭としてはすごく難しい。なぜなら、怖いところから逃れたい一心でやっているからです。恐怖からそれをやろうとしても、やっぱりアイデアはあまり浮かばないんですよね。
だから、恐怖を煽ると、だいたいみんな、過去に成功したパターンをより強化して、そこをやろうとします。そして、それで自滅していく、というパターンがすごく多い。しかも質が悪いのは、その自滅していること自体にも気づかないんです。自分はうまくやっていると思っているから。過去に成功しているからです。
とはいえ、周りからどんどんノイズが上がってくると、それをエスカレーションと呼んでいますが、エスカレートしていくんですね。そのインパクトというか、不本意度がどんどん上がっていく。それが本当に本人が耐えられないところまで現実として起こると、初めてその人の中で、何らかの矢印が内側にガッと向く。そこまで待たないとダメなの?というのが、リーダーシップの一番難しいところです。現実を突きつけられないと、この反応から降りられないのか。
そうではなくて、もっと自覚的に自分の行動を見ることができれば、そんなエスカレーションの極みまで行って、崩壊まで行かなくても、手を打てるでしょう、というのが、人間個人で見たときの基本的なプロセスとしてあります。では、それを地球単位に広げたときも、わたしはまったく同じだと思っています。もし人間が今、これをドライバーとして社会を動かしているのだとしたら、明らかに不本意な現実はエスカレートしているはずなんです。
いろんなグラフを見ても、システム思考をやっている人なら分かると思いますが、エスカレーションしていっていると思うんですよね。悪化していると思っています。悪化というのは、事象がより明確になっていっているということです。わたしたちが耐えきれないようなインパクトになった瞬間に、初めて、「自分たちは何でこんなことを引き起こしてしまっているんだろう」と見る。
それが一人の人生、ひとりのいのちなら、まだわたしが何か代償を払えばいいという話かもしれません。でも、人類がこれをやってしまったときに、人類の起こしている反応行動は、地球全体の生命に影響できるほどのインパクトを持っている。だから、それは普通、許容できないよねと思っています。
これだけの影響力を持っている人間が、このサイクルからどうしたら抜けられるのか。それが、個人のレベルでも、組織のレベルでも、社会のレベルでも、まったく同じ次元で、わたしがすごく関心を持っているところです。これを考えるときに、何に手を出すかというと、また課題解決しようとするんですよね。「これってどこが悪いんだ?」って。
「では、皆さんだったらどこに手を打ちますか?」人は、この恐れに駆り立てられて、ぐるぐる回っている状態です。事象はどんどん目に見える形になって、結果はいろんな意味で明確になってくる。その渦中にいるときに、自分はどうするのか?
わたしは今、自分がなぜこの時代に生まれてきたのかを考えると、このエスカレーションを、崩壊前に何とかならないかなとすごく思っています。人間が、切り離された恐れからの反応行動から出られるという可能性がない限り、あまり希望がないなと正直思っています。なぜなら、どんな小さい単位でも、それしかなかったからです。自分の結論としてあって、課題解決では出られなかった。
唯一、この現実を変える力を持てたときはどういうときかというと、この「反応行動に〝自覚的〟になったときだけ」だったんです。リーダーが変われたのは、そこでした。だから、人間が自分の内側で起こっているこの反応を、何らかの形でマネジメントできる力を持たない限り、衝動で攻撃か逃避かのどちらかをやって、その結果を起こしていく。そのサイクルがもたらす現実を、どこかで耐えられなくなって突きつけられていくんじゃないかなと思っています。
それは一人の人生上でもそうだし、集合的にも多分そうです。わたしはこれを、すごく悪いことだとは思っていません。これが人間の進化だと思っているんですよね。人間の進化は、卓越させた能力の成長だけではなく、この反応に自覚的になって、自分に起こっていることすべてに対して、反応行動ではない形で、自分はこの恐れをどう扱うのかを選ぶことだと思っています。
そこには「選択」という意思の能力がある。この選択をできる状態にするには、ここを何とかしなければいけない。これが、メンタルモデルと言われている領域に踏み込み始めた、一番の理由なんですね。
わたしたちは小さいころから、もう何回繰り返したか分からないぐらい、ものすごくこなれたシステムをここに作り上げています。ここが基本的にアイデンティティになっているので、人間はそこを見るのがすごく嫌なんです。潜在的に怖いし、暴かれたら死んでしまうと思っているし、自分が崩壊してしまうんじゃないか、ぐらいの感じになってしまう。だから、ここを触られることにすごく抵抗します。
でも、そこを本当に見ることができたときに初めて、人間として、反応ではない自分の選択から生きられるんじゃないかなと思っています、というのが、背景にあります。
人間が正しさを超えていくには、どうしたらいいのか?なぜ、正しさを主張しなければいけなくなってしまうのか?ここが、私がNVC、非暴力コミュニケーションをやっている理由です。人間が二元論を超えるには、正しさを主張する、その正しさの奥に、本当に大事にしている何かがある、というところにたどり着かない限り、「いい・悪い」「合っている・間違っている」「俺のほうが正しいんだ」という戦いは終わらないと思っています。それを「ニーズ」という、誰しもが共有している価値観よりも深いエネルギーのベースで言語化しているテクノロジーとして、NVCはすごく使えると思っています。それを皆さんに共有する活動をしているんです。
この二元論を超えていく力———つまり受容、全受容です。すべて「あることがある」という、深いところに行ったときに、すべては一つとして人間は共感できる。つながることができる。この〝全受容の世界〟と、この〝反応を超える〟こと。この組み合わせが、変化として起こせるポイントなんじゃないかなと思っています。この二つがすごく必須なんじゃないかなと思って、やれることを今やっているという背景があります。
わたしはあまり理論から入る人ではありません。とにかく、人の悩みや苦悩、相談、「どうしてこの人はこうなってしまうんだろう?」というところから、こういうことを考えていきました。だから、「論理的にこうあるべきだ」みたいなことはよく分からないんです。でも、実際にその人が変化したとき、現実が変わったときというのは、このセットなんですよね、どこからどう見ても。過去いろんな人たちと接してきて、そう思っています。
ここが変わると、「いい・悪い」をまず超えると、受容性が高まるんです。自分の内側で。「いい・悪い」という判断をしなくなると、この反応が起こりにくくなる作用があるんですね。反応が起こりにくくなると、心の中が少しずつより平安になっていく。いろんなことにざわつかなくなっていきます。
そうすると何が起こるかというと、ここにエネルギーを奪われなくて済むんです。自分の選択したことにエネルギーをかけられるようになる。ここには、ものすごい膨大なエネルギーが費やされています。基本的に、これしかやっていないから普段は気づかないんですが。
でも、このエネルギーが解放されたときに、クリエイティビティに割けるエネルギーがものすごく溢れてくるんですよね。そちらに回るわけです、簡単に言うと。
これが起こったときに初めて、Co-Creationという世界が可能なんじゃないかと思っています。だから、この二つが来るまで、Co-Creationという世界にはならない。イノベーションとかクリエーションという世界は、やっぱり起こらないんですよね。
脅迫されたり、恐れていたり、不安だったりするエネルギーは、全部エネルギーを止めていく。怖いと身体も萎縮するじゃないですか。
一方で、創造性というのは、つながっていくエネルギーです。循環やつながりを、自分の中でも起こせずに分断している間は、クリエイティブに生きることは、そもそもできないんだと思うんですよね。
なぜって、反応に持っていかれてしまうから。それがダメだと言っているわけではないんです。人間の進化として、ということです。進化という言葉は少し変かもしれません。もしかしたら、縄文時代のほうが進化していたと思っているのかもしれません。つながっているという感覚から言うと、この文明の中で、人間はものすごく自分たちを分断してしまったと思っています。
そうやって生き残るなんて、そもそもできないんじゃないのか。少しジブリっぽいというか、ジブリの映画のメッセージはそこですよね。人間は自然とつながらないと生きられないでしょうというメッセージだと思うんです。生命の一部として人間がある。その生命の一部であることの自覚を失った瞬間に、人間は人間としての使命を何も果たせなくなると思っています。
世界人口のグラフ


今、驚愕していることがあります。今の人口の増え方を示すカーブがありますよね。それと、絶滅していっている種の数を示すカーブが、まったく同じ形をしているんです。それを見たときに、「ああ、人間はこれをやっているんだ」と思いました。つまり、人間は他の生命のいのちを奪って、いま増殖中だということです。
これがいったいどこまで続くのか。システム的に見ると、このままずっと行くってあり得ないじゃないですか。どこかで、ガクッと落ちないといけない。人間の人口と、他の生命の絶滅は、運命共同体だと思うんです。どこかでこの人口がガクッと落ちないと、他の生命は本当に滅びてしまう。ある一定層までいったら、多分、今度は人間が耐えられないですよね。生きていけなくなる。そういう時代に生きているわたしたちが、どう生きるのっていうのが今、すごく問われていると思っています。
もう一つ、わたしの中にあるのは、日本人というのは、多分、世界中のトップ0.何パーセントぐらいの豊かさの中にいる、ということです。いろんなニーズが充足されているという意味で、ある種の特権階級なわけです。わたしたちは、この島国の中で、今のところは。もちろん、これからどうなるかは分かりません。
でも、世界には本当に、1日2ドル以下で暮らしている人たちがマジョリティとしている。その中で、この豊かさと特権を持っている人たちが何をしたらいいのか。そこにこそ、リーダーシップがあるんじゃないかと思っています。どこにいるかは、どうでもいいと思うんです。企業の中でもいいし、個人でやってもいいし、NPOでも何でもいい。活動は自己表現であり、創造性そのものだから、自由だと思います。
自分はどこに立って生きるのか。人間として、どういうところに立って生きたいのか。それを一人ひとりが考えたらいいのにな、とすごく思っています。それは、日本人に生まれたということ、この時代に生まれたということでもあると思うし、それだけ自分が力を持っているということでもあるし、その力をどう使うのか。
それを、この反応に費やすのはもったいないでしょう、とすごく単純に思っています。それを反応以外の、本当に創造的な選択に使えたら、いろんな現実は多分変わっていくんじゃないかなと思っています。これが、自分の考えとしてあります。そして、それに必要なことを今やっています。CCCは、この二つをいろんな人が掴めるようにするための場です。
わたしは別に講座をやりたいわけではないんですけど、どこかでこれを共有したいと思っているから、今は講座の形でやっています。こういうことを自覚している人たちを、すごく増やしたいと思っています。本当に、創造して生きる。選択して生きる。人間は忘れてしまったのかもしれないそういう世界を。
もしかしたら、昔はそうだったのかもしれません。大きなものとつながって、その中で生かされて、いのちを感じて生きる。そういうふうに戻っていく流れの中で、とはいえ自給自足という道ではなく、自分の生き方として、どんなところにいても、創造的に選択して生きること。反応を扱えるリテラシーを持った人たちが増えていったらいいな、と思っています。
では、ちょっと一気に話してしまったので、よかったら隣の人と、今何があるか、少し話してみてもらっていいですか。
ありがとうございます。出ていることを教えてください。どんなことが出ていますか。「よく分からない」でも全然大丈夫です。
参加者M:
これを見ていると、会社の中にこれがずっと動いているなと思います。そうすると、会社の中にいて、何とか居心地のいい場所を作ろうとか、そういうことをしようと思うと、結構大変だなとすごく思いました。これって、すなわち評価のシステムとつながっているわけじゃないですか。これ以外のことで、自分が人に対していいことをするとか、会社にとって過ごしやすい場所を作るとか、お互いにつながろうと思ってやることは、全部、評価以外のことなので、評価に関係してこない。ということは、一所懸命そこをやりながら、評価の部分も作らなければいけない。それがすごく大変だなと思いました。
由佐:
このシステムが顕著に見える場所の典型が、会社組織の中だと思うんです。さっきリーダーシップについて聞きたいというお話があったと思うんですけど、今、このシステムの中にいるリーダーが、一番リーダーシップとして貢献できるのはどこか。それは、この恐れの反応から外れたリーダーが出現する、というところなんですよね。
この恐れが何につながっているかというと、「攻撃」と「逃避」です。攻撃と逃避は、権力を持つと「コントロール」という世界を操るようになります。人をコントロールする。人を使う。もちろん、人を使うこと自体が悪いわけではありません。でも、この恐れのために人を使う、ということです。自分の恐れのために。
やっていることは、外側から見るとまったく同じかもしれません。たとえば、営業成績を叩き出すとか、目標を達成していくとか。でも、そのプロセスでやっている行為のエネルギーの質が、この恐れから来ているのか。それとも、「自分はどういうリーダーでありたいのか」「そのために、これをやっているんだ」という選択と創造の起点から来ているのか。独自の世界観を作り上げたリーダー、つまり恐れから解放された人ですよね。
恐れそのものはなくならないけれど、その恐れから行動するのをやめたリーダーが組織の中に現れるとき、組織はものすごく変わります。エネルギーが変わるんです。わたしは、究極的な希望は今そこにしかないと思っています。恐れをマネージできるリーダーたちを、どれだけ据えられるか。そこがすごく大事だと思っています。
目標を追ったり、パフォーマンスを出したりすることは、全然悪くありません。ただ、それを恐れからやらなくなると、そこに起こるいろんなことがまったく変わっていきます。一人のインパクトはものすごく変わるし、実際にはもっといい成果が出せます。解放された人たちが、こういうふうに仕事をし始めると、周りはすごくクリエイティブになっていきます。その人は、その人自身であっていい、という世界を作るからです。
今の世界に入ると、自分の成功パターンを人に押しつけたくてしょうがなくなりますよね。「俺のやり方」「俺の頑張り方」「俺がいいと思う方法」それで人を操りたくなる。成功したいから。その世界からリーダーが解放されたとき、本当に人は、そのリーダーの器というか、スペースというか、場の中で自由に生かされて、創造性を発揮していく。そういう場を作れる可能性は、いつもあると思っています。
ただ、それには、いわゆる「一匹目の猿」という表現がありますが、恐れにまみれた組織の中に、誰か一人、違う意識をもたらす人がどうしても必要なんですよね。CCCが個人向けだけでなく法人向けの活動もやり続けているのは、わたしはそこに理由があると思っています。そういうリーダーを組織の中に据えたい。そこの変化を起こせる人たちを増やしたい。
変化というのは、その人が何か特別なことをやるということではありません。その人が行動している起点が、恐れではないところからになっている。そういう人たちを増やしたいと思っています。恐れがあっても、その恐れをマネージできる状態になったらいいなと思うんですよね。
今、何が起こっているかというと、恐れは上に行けば行くほど、実は強いんです。責任が大きいからです。クビを切られ突き落とされるリスクも、どんどん上がっていく。そうすると、上から何か指令が落ちてきたときに、まるで熱くて痛くて怖いボールを受け取ったようになる。怖いから、「はい、次」と下に回す。そうやって、ボールがずっと下まで転がっていく。でも、下に来たときには、そのボールはこんなに大きくなっている。恐れが大きくなっているんです。それを「何とかしろ」と言われて、下の人たちがまたその恐れにまみれながらやる、ということになってしまう。
わたしはリーダーたちに、いつも言うんです。その火傷しそうなボールを、自分のところに抱え続けてください、と。そのボールが何なのかを触ってみる。自分のところに留めておいて見る。自分は何が怖いのかを見る。そのボールが冷えるまで、次に渡さないでください、と言うんです。その保留力というか、反応が早すぎるので、すぐにやらないこと。そこで(ボールを)留められること。そういう人たちが組織の中に増えていくと、もっと組織は変わるんだろうなと思っています。それにしても、この力はすごく必要です。
リーダーはやっぱり、この恐れの反応が強いからリーダーになっている、という面があります。今の組織では、欠陥・欠損の感覚が強いから、ものすごく頑張ってのし上がっていく人たちが偉くなっている。その力はものすごくあるんです。そのモデルを超えようとして身につけてきた力は、すごく高い。でも、反応行動もすごく強い。だから、そこに自覚的になってもらう必要があります。そこからやってしまうと、こういうインパクトが起きてしまうんですよ、ということを可視化して、選択してもらえるようにしていく。それが、大きく言うと、リーダーシップのトランスフォーメーションというプロセスにすごく必要なことだと思っています。
これから何が問われるか。組織にあることは、社会にぐっと広げたときにも、まったく同じだと思います。外側で何が起ころうとも、恐れに翻弄されずに、どうしたらいいかを選択し、創造的にどうするかを考えられるリーダーたちが育っていないと、まずいように思っています。
多分、これから相当刺激されることが、外界で起こり始めると思うんです。時代的にも。そういうときに、みんなが反応してしまったら、本当にまた昔と同じ文明崩壊になってしまう。だから、そういう状態においても、本当に「自分は誰であるか」というところに立って、選んで、どうしていったらいいかをクリエイトできる人たちが本当に必要になるだろうな、と直感的に思っています。とにかく、そういう人を一人でも増やしておきたい。増えるといいなと思っています。何が起こっても、本当におかしくない感じがあると思うので。(1時間06分10秒あたりまで)
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(文字起こし・ここまで)
結局のところ、「何が正しいのか?」という風に
善悪を切り分けて思考する限り、
わたしたちは
分断、分裂の世界から逃れることができない。
とすると、いかに一つ一つのことを
〝統合〟して捉える姿勢が大切となるわけです。
では、具体的にどうやって統合するのか?
でも、そもそも別々のものを統合して
新しいものをつくり出そうとしているのでなく、
もともと統合された状態だったので、
「このどうすればいいのか?」と問う姿勢自体
現状との分離を招いてしまいかねないので、
注意しなければいけないんですが。
2024年9月に〝統合するということ〟をテーマに
全24回にわたる連載記事を書いたことがあり、
未読の方は次からどうぞ。
・「統合する」ということ(その1)栗本慎一郎『パンツをはいたサル』①
・「統合する」ということ(その2)栗本慎一郎『パンツをはいたサル』②
・「統合する」ということ(その3)安冨歩『合理的な神秘主義』
・「統合する」ということ(その4)池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』
・「統合する」ということ(その5)森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』
・「統合する」ということ(その7)よしもとばなな『花のベッドでひるねして』
・「統合する」ということ(その9)雲黒斎「フラットランドについて」①
・「統合する」ということ(その10)雲黒斎「フラットランドについて」②
・「統合する」ということ(その11)クリシュナムルティ 『既知からの自由』①
・「統合する」ということ(その12)クリシュナムルティ 『既知からの自由』②
・「統合する」ということ(その13)吉富昭仁 『BLUE DROP』
・「統合する」ということ(その16)M.C.エッシャーの不思議な世界
・「統合する」ということ(その17)清水幾多郎 『論文の書き方』
・ジェームズ・ミッチェナー「生きることの達人は仕事と遊びの区別をつけない」(今日の名言 86)※「統合する」ということ(その19)
・「統合する」ということ(その20)エッシャーの自画像から見えてくること
・「統合する」ということ(その21)雲黒斎 「〝自我〟は手放せるか?」①
・「統合する」ということ(その22)雲黒斎 「〝自我〟は手放せるか?」②
・「統合する」ということ(その24 最終回)これまでのまとめ
この続きはまた明日に!(^^)/
