ザ・メンタルモデルについて(その40)「Co-Creationという世界の生き方⑥最終回」
2026/07/25
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に開催した
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の準備を兼ねて、
著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いてきました。

昨日までの投稿記事に未読分がある方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
・ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
・ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③
・ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』
・ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」
・ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」
・ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」
・ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」
・ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」
・ザ・メンタルモデルについて(その13)「〝源(みなもと)〟とは何か?⑤」
・ザ・メンタルモデルについて(その14)「吉本隆明『共同幻想論』に重ね合わせてみて」
・ザ・メンタルモデルについて(その15)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その16)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その17)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その18)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり④」
・ザ・メンタルモデルについて(その19)「ライフタペストリーとプロセスデザイン」
・ザ・メンタルモデルについて(その20)「ライフタペストリーと親鸞上人」
・ザ・メンタルモデルについて(その21)「価値なしモデルと愛なしモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その22)「欠陥欠損モデルとひとりぼっちモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その23)「実存的変容とのつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その24)「実存的変容とのつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その25)「実存的変容とのつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その26)「動物脳と人間脳①」
・ザ・メンタルモデルについて(その27)「動物脳と人間脳②」
・ザ・メンタルモデルについて(その28)「動物脳と人間脳③」
・ザ・メンタルモデルについて(その29)「脳と心の関係について」
・ザ・メンタルモデルについて(その30)「原生的疎外と純粋疎外」
・ザ・メンタルモデルについて(その31)「反応しちゃう自分の扱い方」
・ザ・メンタルモデルについて(その32)「生存本能は痛みの回避が目的」
・ザ・メンタルモデルについて(その33)「身体を使って感じる体験がモト」
・ザ・メンタルモデルについて(その35)「Co-Creationという世界の生き方①」
・ザ・メンタルモデルについて(その36)「Co-Creationという世界の生き方②」
・ザ・メンタルモデルについて(その37)「Co-Creationという世界の生き方③」
・ザ・メンタルモデルについて(その38)「Co-Creationという世界の生き方④」
・ザ・メンタルモデルについて(その39)「Co-Creationという世界の生き方⑤」
さて、7/20に『レゾナント・コミュニケーション』
第1回の読書会も無事開催し終え、
この連載記事も回を重ね40回めとなり、
締め括りのステップに入りました。
それで7/20からは、この長い連載記事で触れた
重要ポイントがほぼ網羅され、
しかも実践するアプローチのヒントも含んでいる
総括篇の素材として
由佐美加子さんがCCCを立ち上げられて
間もない2015年2月のタイミングで行われた
公開セッション(全篇2時間48分)
「Co-Creationという世界の生き方、リーダーシップ」
の文字起こしテキストを紹介しています。
・【公開トークセッション】Co-Creationという世界の生き方、リーダーシップ
4回めの昨日は、1時間29分30秒あたりから
1時間52分30秒あたりまでを書き起こしたので、
今日はその続きになりますが、
まずは復習から。
昨日の記事で文字起こしした範囲内では、
〝恐れ〟の扱い方がハイライトでしたね。
恐れが湧いたらやることは明確。
「突っ込め!」と。
19世紀おアメリカの思想家エマソンは、
「恐怖は常に無知から発生する」という言葉を
残しているそうです。
・【名言・格言解説】「恐怖はつねに無知から発生する」by エマソンの深い意味と得られる教訓
つまり、恐れの根底には「無理解」があるんですね。
次のつぶやき考現学も参考までにどうぞ!
記事の終わりに関連記事もまとめてあります。
・恐怖心とは自分が大切にしたいものの影(つぶやき考現学 No.72)
を紹介しましたが、
もし、学習する動機として「恐怖」があれば、
学習すればするほど
恐怖心がどんどん強化されていくのですから。
起点のチェックがいかに重要かということは、
どんなに繰り返しても足りないことはありません。
「〜すべき」になっていないかどうか常にチェック。
「自分のやっていることをすごいことにしない」
「細かく、細かく日々お掃除していくような感じ」
という言葉もありましたね。
アタマでわかっているだけでは仕方がなく、
頑張らずに
行動、実践をいかに日常化するかに尽きます。
さて、今日は文字起こしの最終回で、
参加された方のチェックアウト部分
1時間52分30秒あたりから最後までを
以下にご紹介。
(文字起こし・ここから)
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由佐:
では最後に、隣の人と今日聞いて自分が何を持ち帰りたいか、思ったことを少し言葉にしてもらって、終わろうかなと思います。お願いします。
〔対話タイム〕
ありがとうございます。よかったら、一言ずつざっとチェックアウトを聞いて終わりたいと思います。USTREAMで聞いていただいた方も、本当にありがとうございます。チェックアウトを聞けないのは残念ですけど、よかったら後で感想などをください。
では、どなたからでも。一言、軽くお願いします。
参加者U:
はい、ありがとうございます。今の気持ちは、すごくすっきりしている感じです。特に二つあります。一つは、自分の起点がワクワクからなのか、それとも「何々すべき」からなのか、丁寧に自分を見ていくということを、明日から、いえ今日からやっていきたいと思いました。もう一つは、そんなふうにワクワクから、自分の願いの中で生きていったとしても、それを相手がどう感じるかは相手次第で、手放していいんだということです。ただワクワクを追求する自分であり続けた結果、どんなことになっていくのかを見ていく。そんな感じでいたいなと思いました。すごくいただきました。
由佐:
Co-Creativeに生きるって、そんな感じだと思うんですよね。重さがない。深刻さが減っていく。ありがとうございます。
参加者V:
何か最近、ワクワク指数みたいなものを気にするようになっていて、今日も「ワクワクの起点から」という話を聞いて、「これにもう少し自覚的になってやったら、もっと面白いことが起こるかも」と、ワクワクしています。結局は祈りなんだな、というところがすごく響いています。ありがとうございました。
由佐:
ありがとうございます。
参加者W:
わたしも、「祈り」という表現がすごく響いています。自分の正しさや正義のようなものを人に押しつけるのは違う、ということは、自分では分かっていると思っていました。でも、やっぱり環境のことや、人口のことなど、いろいろ考えていると、「早くしなきゃ!」という気持ちが出てきます。それが、どうしても押しつけの方向に行ってしまうなと思いました。でもそれをやると、また二元論のもとに戻るんだな、ということを、今日は改めてすごく感じたので、今から意識していきたいと思います。
由佐:
世界がどう見えたとしても、わたしたちは守られていると信じられるか。その力が試されているフェーズに入っているなと感じています。
もしこれで、人類がこの地球上で生きられないようなことが起こったとしても、それは大いなるものの意図があるよね、と思えるかどうかですよね。最後は。その、つながっている感じや、源を信じること。大きく動いているこの生命が、本当に命を守ろうとして動いている。その力は、どんなに破壊的に見えることであっても、命を守るために起こるものだ。その一部として、人間はただ生かされているにすぎない。そこを本当に信じられるか、という世界ですよね。そうでないと、人間はお互いを直すことで精いっぱいになって、自滅していってしまう。信じるということと、祈りということは、対だと思うんですよね。
参加者X:
僕も、やっぱり祈りという言葉がすごく響きました。日本では、なかなか祈りという感覚がないと思います。キリスト教やイスラム教だったら、そういうものがあると思うんですけど、日本では神社などに行って、お願いしに行くという感覚がある。でも、その祈りというのは、願うというか、どう受け取られてもいいものなんだなと感じました。そこで自分本位になるのではなく、自分の世界を表現することだと思いました。祈りとは祈った相手に、いろいろ一生懸命考えてほしいとか、そういうことではない。自分一人が、自分で祈っているだけ。それがどうなるかは相手に託す。でも、自分の表現は続けていく。それが、Co-Creativeな生き方で大事なところなのかなと思いました。やっぱり表現ですね。よく「自己表現したい」と思うんです。みんな、個性を出さないといけない、と言われたりします。でも、自分の好きなものや嫌いなものを出していれば、絶対に個性は出ると思うんです。この話を聞いて、「ああ、祈っていいんだ」「自己表現していいんだ」と、すごく安心しました。
由佐:
自己表現を止めるのは、恐れだけですからね。それを外せば、本当に自由に表現できます。いくらでもクリエイティブに表現できるのは、人間の素晴らしいところだと思います。祈りに関して言うと、日本人には、お天道さまに手を合わせるような文化が、すごく染みついていると思っています。こんなにたくさんの神社があるということは、祈りが本当は一番生活に密着している民族なのではないかと思っています。ただ、それが自覚されていないだけなんですよね。今は神社に行っても、自分に関することを祈る、という形になっています。「こうなりますように」と、自分が欲しいものを言うような形です。でも、祈りの本当の力は、やっぱり別のところにあるんだと思っています。神社に行って、本当に真・善・美につながることを、神につながって祈る。そこには、本当に見えない力として何かがあるんじゃないかと思っています。この国に。それが開くといいなと、僕はすごく思っています。神というのは人格ではないけれど、本当に大いなる、目に見えないものを、日本人は敬ってきた文化を持っている。そこは本当に、祈りそのものだと思うんですよね。ただ、ありがたい。ありがたいですね。ただ、ありがたい。生かされていて。それが、日本人のつながっている感覚なんだろうなと思います。そこに、本当は世界の希望があるんじゃないかと思っています。ありがとうございます。
参加者Y:
最初に来たときは、明確に語れるようになりたい、みたいな気持ちがありました。でも今日聞いて思ったのは、あまり理解しようとか、整理しようとか、分かろうとかしなくてもいいんだな、ということです。別に、する必要はないなと。今日すごく思ったのは、本当にシンプルに、ピュアに生きるということ。それだけ持って帰れたのがよかったなと思います。
由佐:
そうだよね。もっと「こうならなくちゃ」とやらなくてもいいよね。
参加者Z:
今日聞いて、本当に近道はないなと思いました。最近、こういう体験ばかりなので、「やっぱりそうなんだよな」ということが、改めて深まりました。
由佐:
そうだね。近道というのは、Howの話だもんね。Howはないんですよね。
参加者AA:
一番心に残ったのは、起点の確認です。ワクワク起点なのか、恐れ起点なのか。きっと、恐れ起点のことが多いんだと思います。そう思ったときに、恐れてはいけないということではなく、恐れていることに対して自覚的であることが、多分一番最初の大事なポイントだと思いました。恐れているんだと思ったら、その恐れをちゃんと見に行く。まずはこれを注意深く確認することが、少し気持ちよく生きていくためのポイントかなと、今思っています。
由佐:
素晴らしいですね。
参加者AA:
あとは、僕のいる会社は今、「成長、成長」という言葉が大好きな会社なんです。その成長は、いったい恐れから来ているんだろうか、ワクワクから来ているんだろうか。同じ「成長」という言葉でも、だいぶ違うと思いました。どちらも「成長」という言葉に行き着く気がします。でも中身は、社員に与えている影響がだいぶ違う。そこをちょっと見てみると面白いかもしれないですね。
由佐:
素敵です。ありがとうございます。
参加者AB:
やっぱり、起点をチェックすることはすごく大事だなと思いました。あと、シンプルに生きられるんだけれど、そのために自分で捨てなければいけないことがいっぱいある。その中で、自分が捨てるときに一番引っかかるのは、「これを自分のしたいようにやったら、誰かに迷惑をかけるんじゃないか」「誰かのせいになるんじゃないか」「誰かに迷惑がかかるんじゃないか」ということです。それが自分の中にあって、すごくネックになっていると、今思っています。
由佐:
それが恐れなんだね。
参加者AB:
そうか。それも恐れなんですね。
由佐:
迷惑をかけてしまってから、心配したらいいんです。そのときに、「ごめんね」と言えばいい。それが本当に現実化したときに考えればいい。でも、それが起こる前に、それを起こすことを恐れて今の行動をやめるっていうのが恐れの作用です。だから、もったいないときがありますよね。
参加者AA:
ここに来る前に、会社の方から「トラブルがありました」という連絡がありました。その原因が、僕が散々「これはやってはいけないよ」と言っていたことをやらかした、というものでした。そのときの感情としては、まさに「コントロールしてやろうか」というぐらいの怒りでした。それがクリアにならないまま、こちらに来たんです。この話を聞いていたときに、触れたくないという反応として、眠たくなっていたんだな、ということをすごく観察しました。すごく眠いなと。「自分はこうしていたんだな」と見えたことが一つ。あと、やっぱり起点はすごく大事だなと思いました。ワクワクしていたほうが、自分はすごく気が楽なんです。本当はそうしたいなと思いながら、やっぱりできていない自分がいる。それはちょっと悲しい。そんなことを、改めて感じました。
由佐:
ありがとうございます。人間のデフォルトはワクワクなんですね。子どもがそうだからです。起きた瞬間から、人生にワクワクしているじゃないですか。あれが本当のデフォルトなんです。本当にそこに設定されているんだけれど、そのワクワクを阻んでいる、いろんな恐れがあるはずです。それを外していくだけです。ワクワクを作り出そうとするのではなく、放っておいたらワクワクなんです。そういうふうになるといいなと思うんですよね。
参加者AA:
シンプルに生きるって難しい、みたいなパラドックスに、すごく自分がはまっていたなということが、クリアになりました。ただそこに立つだけ、というのがすごくすっきりして、少し幸せな感じです。
参加者AB:
最後のほうになるにつれて、どんどんモヤモヤしてきました。それは何かなと思ったら、本当に恐怖があるんです。今、会社がすごい動物実験みたいな場所になっています。巨大なグローバルの動物実験をやっているような、恐怖の世界がまさにあります。人種の違いや、いろんなものが混ざり合い、言葉の壁もある中で、究極の恐れがある。そういうものを見ています。では、それをどうするのかと考えたときに、自分の「良い」から来る二元論で、「こんなにみんな苦しんでいるんだから、そこをどうにかしてあげないといけないんじゃないか」と思ってしまうところがあります。その痛ましさを見ていられないところと、実際にそれをどうにかしてくれよという周りの思いがある中で、「じゃあ、今の自分として、そこにワクワクするのか」と言ったら、実はしない自分もいます。それがまた、自分に対する怒りを出してしまっているところが見えました。それがいいか悪いかは別として、多分そこをやったほうがいいんじゃないか、恐怖なんじゃないか、というわけではないと思っています。そこが、ちょっとモヤモヤしてきたところだったのかなと。非常に強く、善悪、良い悪いをもし知っていたのなら、そういうことができるんじゃないの、というところ。ただ、それを持って、今本当にすることが自分にとって、自分が本当に望んでいるかというと、ギャップがある。そのときの心の持ち方というのは、意外に難しいかなと思いました。これは一旦持ち帰ってみます。違う問題かもしれないので、そこは拾って帰ろうかなと思いました。
由佐:
素晴らしいですね。その多面性が、いろんなところから俯瞰すると本当にそういうふうに見えてきますよね。リーダーの仕事で、世の中で誤解されているとわたしがすごく思っていることがあります。リーダーとは、人を幸せに快適にするものだ、という思い込みがあるんです。でも、わたしの感覚では、Co-Creativeなリーダーにとって一番大事なのは、体験したいことを体験させてあげるだけの安全な場を用意することです。それがすごく大事だと思っています。その体験をしていいと人間が思うには、そこに寄り添ってくれる人、共感してくれる人がいるから、その苦しみを体験できるんですよね。だから、その苦しみをちゃんと認知してあげる。たとえば、その苦しみが語れたり、本当に苦しいということを出してもいい、という安全な場が作り出せるか。その体験を苦しみから救うことではない、ということがすごく大事です。その器づくりが、Co-Creationの源であるわたしというところの、すごく重要な部分だと思っています。それも、一つの二元論ではない全体性の話です。その全体性をホールドしていける器を、リーダーがそこに提供できると、みんな安心して苦しめる。
参加者AB:
それを踏むかどうかの選択の話ですね、まさに。すごくいいものをもらって帰れます。ありがとうございます。
由佐:
自分を大事にして、「そこにはいたくないんだ」でも全然いいんですよね。でも、すぐに「べき」になってしまう。「苦しんでいる人を見捨てるわけにはいかない」とか、「救うべきなんだ」とか、「力があるんだから、もっとこういうことができるはずなのに、できない自分はダメだ」とかいろんなことをやり出す。そこには行かず、本当にシンプルに、自分は何を望んでいるのかだけですよね。
参加者AC:
いいですか。今日は、真・善・美とか、一人ひとりが輝くという話がありました。わたしは今、PMとして活動しているので、そこはすごく同じだな、嬉しいなと思って聞いていました。わたしも恐れを手放そうと思っていろいろやってきて、とりあえず会社を辞めたので、いろいろあるなと思いつつ聞いていました。ただ、その中で、組織を移ったわけだから、そこの中で気に入られようとする恐れがあるなと思いました。全部を出せていないな、ということに気づいたので、そこをちょっと見ていきたいなと思います。あとは、恐れもあるけれど、戸惑いが結構この世界にはあるなと思っています。たとえば、すごくワクワクするから、「ここにあるお花がかわいいから、摘んであげよう」と思ったとしても、実際にはそこは誰かの土地で、花を取ったらまずい場所だったりしますよね。だから理性も常に一緒にないといけない。ワクワクだけではできない。どこまでやっていいか、ずっと探っているのかなと思いました。今の自分の職場での在り方も、Facebookの更新などで、どこまで書いていいのか分からなくて、自分を出せないということに、すごくもやっています。そこを早く突破したいな、というモヤモヤが今日ありました。
由佐:
人間の意識の中には、「許容される範囲で」というものが埋め込まれているんですよね。許される範囲でしか、自己表現はするべきではない、というふうにどこかで思っている。自分が自己表現したいときに、その手段としてやることの中に、誰かのニーズが含まれることがあるじゃないですか。さっきの花の話もそうですよね。自分はその花を取りたい。でも、その花を大事にしている人、育てている人のニーズもある。そのニーズも大事にした上で、そのワクワクをどう表現するかは、いつも変えたらいいんです。やることに固執しない。もしくは、表現する形に固執するのをやめる。表現の形は、何でもいいわけです。「どこまで書いていいのか」というより、たぶん、どこまで許容されるかが気になるんですよね。自己表現しようとしたときに、どこまで許容されるのか。でも、別にいいんです。一方で、「わたしは読む人のことも考慮したいんだよね」ということもあるんですよね。だったら、そのニーズも含めた上で、ワクワクする自己表現をしたらいい。何でもかんでも、ワクワクするからやってもいいでしょう、という話をしているわけではありません。どんなワクワクも作り出せる、ということです。それは、やることに依存していない。でも人間は、やることによってワクワクかどうかが決まると思っているんです。「ワクワクすること、ワクワクなることを探そう」みたいに。でも本当は、お茶を飲んでいてもワクワクできるんです。人間は、本当に。人と話していてもワクワクできる。それは、自分がそこに立ち続けられるかどうかです。だって、デフォルトがワクワクだから。でも、心配がやってくると、ワクワクはさよならでしょう。書こうと思ってワクワクしていても、「どこまで書いたらいいんだろう?」となった瞬間に、ワクワクはさよならですよね。その心配に行かせない。「書くことにワクワクしている。では、それをどう表現したいか」そこを自分で定めればいいと思います。
はい、大丈夫ですか?オッケー。では、今日はこれで終わりにします。USTREAMで聞いてくださっていた方々、長時間ありがとうございました。チェックアウトができないのは残念ですが、アンケートがあります。
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(文字起こし・ここまで)
この続きはまた明日に!(^^)/
