ザ・メンタルモデルについて(その39)「Co-Creationという世界の生き方⑤」
2026/07/24
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に開催した
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の準備を兼ねて、
著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いてきました。

昨日までの投稿記事に未読分がある方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
・ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
・ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③
・ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』
・ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」
・ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」
・ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」
・ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」
・ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」
・ザ・メンタルモデルについて(その13)「〝源(みなもと)〟とは何か?⑤」
・ザ・メンタルモデルについて(その14)「吉本隆明『共同幻想論』に重ね合わせてみて」
・ザ・メンタルモデルについて(その15)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その16)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その17)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その18)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり④」
・ザ・メンタルモデルについて(その19)「ライフタペストリーとプロセスデザイン」
・ザ・メンタルモデルについて(その20)「ライフタペストリーと親鸞上人」
・ザ・メンタルモデルについて(その21)「価値なしモデルと愛なしモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その22)「欠陥欠損モデルとひとりぼっちモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その23)「実存的変容とのつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その24)「実存的変容とのつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その25)「実存的変容とのつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その26)「動物脳と人間脳①」
・ザ・メンタルモデルについて(その27)「動物脳と人間脳②」
・ザ・メンタルモデルについて(その28)「動物脳と人間脳③」
・ザ・メンタルモデルについて(その29)「脳と心の関係について」
・ザ・メンタルモデルについて(その30)「原生的疎外と純粋疎外」
・ザ・メンタルモデルについて(その31)「反応しちゃう自分の扱い方」
・ザ・メンタルモデルについて(その32)「生存本能は痛みの回避が目的」
・ザ・メンタルモデルについて(その33)「身体を使って感じる体験がモト」
・ザ・メンタルモデルについて(その35)「Co-Creationという世界の生き方①」
・ザ・メンタルモデルについて(その36)「Co-Creationという世界の生き方②」
・ザ・メンタルモデルについて(その37)「Co-Creationという世界の生き方③」
・ザ・メンタルモデルについて(その38)「Co-Creationという世界の生き方④」
さて、7/20に『レゾナント・コミュニケーション』
第1回の読書会も無事開催し終え、
この連載記事も回を重ね39回めとなり、
締め括りのステップに入りました。
それで7/20からは、この長い連載記事で触れた
重要ポイントがほぼ網羅され、
しかも実践するアプローチのヒントも含んでいる
総括篇の素材として
由佐美加子さんがCCCを立ち上げられて
間もない2015年2月のタイミングで行われた
公開セッション(全篇2時間48分)
「Co-Creationという世界の生き方、リーダーシップ」
の文字起こしテキストを紹介しています。
・【公開トークセッション】Co-Creationという世界の生き方、リーダーシップ
4回めの昨日は、1時間29分30秒あたりから
1時間52分30秒あたりまでを書き起こしたので、
今日はその続きになりますが、
まずは復習をかねて
昨日投稿した記事についてわたしのコメントを。
「Co-Creativeなリーダーってどうあるのか?」
という問いに対し、
「すべきことは何もありません!」という
初っぱなから衝撃的な回答でしたね。
でも、〝教えない教育〟をカンバンに
寺子屋塾を30年以上主宰してきたわたしなので、
もし誰かから
「何をどのように教えるべきでしょうか?」
と問われたなら、同じように
「教える〝べき〟ことなんて何もありません!」
と答えるでしょう。

「余計なことをしないこと」が
いかに大事かという話は、
長男の書いたブログ記事を紹介した次の記事で
ほぼ書き尽くしたと感じているので、
未読の方はご覧ください。
・「断片で届く世界を生きる」とは?──長男の書いたブログ記事を読んで
「耕さない」「草を取らない」
「肥料をやらない」「農薬を撒かない」という
自然農法を実践された福岡正信さんのことも
関連する内容なのでシェアしておきます。
抑止力の大切さというようなお話に
わたしが初めて触れたのは、
50年前に読んだ庄司薫さんのエッセイでした。
善悪の二元論をいかに超えるかは
易しくない課題ですが、
わたしの場合は20代の頃から
古代中国の易経に触れてきたことが
かなり大きかったように感じています。
さて、5回目の今日は1時間52分30秒あたりから
2時間17分15秒あたりまでを文字起こしします。
(文字起こし・ここから)
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参加者R:
途中から聞いていたのであれなんですけど、いいですか?Co-Creationの場には、これまでも何回か参加させていただいています。今、わたしは会社を辞めて、組織を移っているんですけど、実際にこういうことが起こってきています。恐れからやっている昔の組織と、今いる組織の違いをすごく感じています。●●さんという方、もしかしたらご存じかもしれないですけど、そのリーダーについてきて、今、小さな組織を立ち上げています。本当にワクワクだけで頑張っているんです。一方で、恐れからやっている組織は、もうそのうち自滅し始めているんですね。やっていることが支離滅裂になっていて。時代って、そういうふうに来ているのかなと思いながら聞いていました。
由佐:
恐れは、エネルギーを出すのがすごく難しいんです。恐れは、やっぱりエネルギーを止めるんですよね。怖いと、人はやらなくなります。エネルギーを切っていく、止めていく力として働く。だから、創造的なエネルギーとして循環させることが、恐れの中ではすごく難しい。怖いから、みんな言わなくなる。喋らなくなる。本当のことを言わなくなる。基本的に、止めていく方向に人間の行動はなっていきます。あるいは、怖いから逃れようとして、過剰に何かを無理にやり出す。止まるか、突っ込むか。そういう歪な形になってしまうんです。そこに、自然に循環して、調和して流れていくエネルギーにはなりにくい。
だから、組織として、恐れがあり、かつ自由である組織は、ほとんど多分、自滅すると思います。ただ、恐れと統制が掛け合わされている場合は、少し違うストーリーです。コントロールというシステムを明確にして、指令系統を明確にして、上下を明確にする。いわゆる普通の会社は、そういう感じですよね。恐れをドライブにしているけれど、明確なシステムの中で、それを機能として回しているから、崩壊はしない。そういう組織は、もしかしたら業績的には発展しているかのように見えるかもしれません。
でも基本的に、人間はコマなので、一人ひとりの充足や、本当の創造性は、たぶん開かない。ただ、恐れのもとで、その機能をしてくれる人は、取引のもと、お金との取引のもとにできる。そういうシステムができているんです。さらに、そこにモチベーションを自分で作れる人たちがいると、会社としては一番いい。そうすると、持続していきます。
でも源泉は変わらない。やっぱり恐れとコンプレックスなんです。会社の中で偉くなる人たちは、コンプレックスの強い人たちが多かったりします。充足している人は、偉くならない。だって、認められたいというモチベーションもないですからね。そういう人たちは、違うものを見始めます。あるいは、本当にこういう世界をもたらしたいから、上に上がってやる、というふうに手段としてやらない限り、多分起こらないですね。
さっきの話は、その通りだと思います。自由で、恐れしかない組織は、多分崩壊していく。でも、それはそれでいいんです。自然の流れだから。そのプロセスで、人間が学べることはすごくいっぱいあります。うまくいかせようというエネルギーには、すごく気をつけなければいけないと思っています。
人は、何とか良くしようとします。でも、しないほうがいいときもあるんですよね。崩壊するのを見て、みんなで学んで、そこから何が起きていたのか、真実を見つけたほうがいいんじゃないですか、というときもあります。人はやっぱり、うまくいかせて延命しようとすることをやります。でも、それも二元論なんですよね。「続いたほうがいい」「みんな仲良くやったほうがいい」そういうものが、いろいろあるじゃないですか。
基本的に、ワクワクしないことはやめたほうがいい。「何とかしなきゃ」というところに、自分の効力感があったりするから、課題解決したくなる。もちろん、それは起こります。そういう組織を何とか助けたいと思うじゃないですか。でも、それも選択があるよね、ということです。ありがとうございます。
参加者S:
うまく質問できるか分からないんですけど。恐れの力って、そんなに一方的に悪いものでもないんじゃないか、という気がしています。
由佐:
(わたしの話すことが)恐れが悪いというふうに聞こえていたなら、それも二元論になってしまっていますね。恐れはもともと、物理的に人間を守るために存在しているんですよね。今の社会や文明がすごくややこしくなってしまったのは、その恐れが、もはや現実とは関係のないところから生まれているということです。要するに、シミュレーションで動いている。この思考の恐れを作り出す力が、ものすごく発達してしまっているんです。
昔マンモスが来て、踏み潰されそうだったら、人間は怖かった。この体験としての恐怖は、リアリティとしてすごく大事です。いのちを守らなければいけないから、恐れが発動する。でも今は、自分の生命の維持とは本当は何の関係もないのに、妄想だけが膨らんで、頭の中で恐れを作り出してしまう。そして、それに人生を左右させてしまう。本来やらなくていいことを、いっぱいやり始めてしまうわけです。「そんなことは起こらないのに」ということを、ものすごく真に受けているんです。
やっていくと分かるんですけど、たとえば、会社を辞めたいと思っている人がいるとします。「会社を辞めたい。でも怖くて辞められません」という相談は、よくされます。「辞めたいんです。でも怖いんです」と言うので、「分かった。じゃあ、会社を辞めるとどうなっちゃうの?」と聞く。すると、「一人になってしまいます」と言う。「一人になるとどうなるの?」と聞くと、「仕事が多分見つからない」と言う。「仕事が見つからないとどうなるの?」と聞くと、「お金が稼げない」と言う。「お金が稼げないとどうなるの?」と聞くと、「ホームレスになる」と言う。「路上で生活するしかなくなる」そして、「その後どうなるの?」と聞くと、「洞穴の中で、一人で死んでいく」というようなロジックが、けっこうまことしやかに頭の中では信じられているんですね。でも、それは何パーセントぐらいの確率で起こるのか。「会社を辞めたら一人になってしまう確率はどれぐらいあるの?」と聞くと、「でも、仲間とやろうとしているから、ないんじゃないかな」と言われるわけです。笑
面白いでしょう?でも、そんなものなんです。行動はどうしているかというと、その人は会社を辞めないんです。なぜなら、これがリアルだからです。この恐れの内容が暴かれる、ということをしないんですね。恐れは、抽象度が高く、曖昧で、現実性がありません。基本的に、暴けば暴くほどそうです。でも、人間は恐れを見に行く、踏み込んでいく、ということをしません。怖いから遠ざかるんです。お化けがいそうな部屋からは遠ざかりたいじゃないですか。
恐れは、そういう感じなんですよね。ずっと「開かずの扉」にしておきたいんです。何となく怖いから、見たくない。でも、それがここで起こしたい行動をしっかり止めるだけの力を持っているんですよね。その開かずの間が。恐れは、開かずの間を開いて、中にどんな動物や生き物やお化けがいるのか、見に行ってください、ということなんです。
でも、一人だとほとんどこれをやらないんですよ。ぐるぐるぐるぐる、違うシナリオを回す。そして次に何を考えるかというと、どうやったらこれを回避できるか、という思考をぐるぐる回す。プランするとか、予測するとかいうのは、この開かずの間で起こるであろう、根拠のない推測を避けるために、次の思考を回しているんです。もう、思考でいっぱいです。何ラウンドもやります。まず怖い。何が怖いのかをやって、すごく怖くなってしまう。
それをどうやったら回避できるかを回す。それにどれだけ現実味があるのかを回す。でも、現実味なんてないでしょう、という話なんです。本当にそれに没頭するんですよね、人間は。怖いから。恐れには、それだけの引力があります。引きつけるわけです。それが怖いから、人は回避したくなる。
だから、恐れが湧いたら、やることは明確です。「突っ込め!」ということです。何が本当に怖いのか。これを書き出すのが、すごくおすすめです。必ずシミュレーションになっています。順番に、「こうなっちゃったら、きっとこうなって」「こうなったら、こうなって」となっている。それを全部書いて、ステップ・バイ・ステップで、それがどれだけ起こる可能性があるのかを自分でちゃんと見る。ほとんどの場合、確率はゼロパーセントです。そして最後は、必ず「死んでしまう」になります。笑
これを何百人もやっているんですけど、本当に人間が恐ろしいのは、最後は「死」なんですよね。なぜ怖いのか。ずっと考えたんですが、死だけが体験できないものだからだと思うんですよ。人間は、そのことが本当に起こったら対処できるんですね。たとえば、これが本当に「一人になる」という現実になったら、人は多分、仲間を作るために動くとか、現実として対処できる能力をほとんど持っています。でも、死だけは最後まで体験できない。帰ってくる人も、たまにはいるのかもしれませんが、ほとんどは帰ってこられない。だから、死だけが体験できないものとして、やっぱり怖いんですよね。自分の生命が断たれるということだからです。
今の文化的に、この死が「生命の一部なんだ」という倫理や概念もあまりありません。日本人にとっては、本当の意味での終わりなんですよね、いのちの。それがとにかく怖い。だから、死なないように、死なないように、一所懸命頭が動いています。でも、これを本当に受け入れられたら、恐れの現れ方は全然変わります。
ただ、それは概念の世界でやるのは本当に難しいですね。頭では分かっているじゃないですか。寿命が来たら死ぬんだ、と。でも、本当のところでは分かっていないんですよね。人間は、ずっと生きるかのように生きているからです。「あと何十年だよね」というふうに生きていないじゃないですか。「いつか死ぬんだろうな」というぐらいの予測の中に、死というものがあって、それがあまりにも今の現実からかけ離れていて、そして一番怖いものなんです。それが起こってしまったときに。それを回避しようというエネルギーとして、恐れはすごく死から供給されています。いつも。
社会から弾かれることも、一種の死なんですよね。今の脳みその中では。具体的に肉体生命が断たれることだけではなくて、弾かれる、仲間外れにされる、一人ぼっちにされる、ということを、死に相当するものとして人間は社会の中で考えています。この死のリアル感は、どんどん関係性の中にも入ってしまっていると思います。だから、人間は人間関係で揉めるのが嫌なんですよね。うまくやろうとする。怖いから。
それぐらい、恐れは元々人間に必要なものです。これがないと、もろに死んでしまう。恐れがなかったら、道路に飛び込んでしまうじゃないですか。危険だと具体的に知らせるものとしては必要です。でも、それ以上のものに暴走している。膨らんでしまっている。そこが、すごく厄介なんです。それはリアルではない、と頭の中で区別できれば、それに振り回されずに済みます。でも、それをやらないで勝手に妄想させておくと、頭の中で妄想と真実の区別ができないまま、行動を止められてしまうんですよね。
ちゃんとそのコツだけ掴んでおけば、恐れは全然あっていいんです。見ればいい。それが本当にリアルなのかを見ることが、いつも必要です。実態が分かってしまうと、全然怖いことではなくなるんです。本当は。体験してしまうとそうなんです。だから、会社を辞めた人が言うのは、会社は辞めてしまうと怖くなくなる、ということです。会社を辞める前が怖いんですよね。やったことがないから。人間は、体験していないものが基本的には怖いんです。その体験をしてしまうと、自分は命が断たれてしまうんじゃないか、あるいはこんなふうになってしまうんじゃないかと想像して予測してしまう。そうすると、そこに行けなくなる。そういう性質を持っているだけです。
だから、恐れがどんな性質なのかを知っていれば、恐れを恐れることは何もありません。ただ、恐れには行動を止める巨大な力があります。あるいは、人を駆り立てる力としても、すごく巨大です。そのパワーを上手に使えるようになるには、無自覚に止めさせておくのはもったいない。だから、理解して使えるようになろうね、ということです。分かりますか?
恐れだけでワークをやったりするんですけど、それは人生においてすごく大事なパーツです。自分の人生でやりたいと思うことは、ほとんどこれに止められているので。「家族を壊せないし」「今の仕事もあるし」「この年で転職なんてないよな」いろんなことを言うと思います。でも、それはすべて、過去からの自分の思い込みなんですけど。
大丈夫ですか?他ありますか?
スタッフ:
USTREAMから、シェアが一つと質問が一つ来ています。
まず意見として、「祈りを生み出すことのできる器、というものを想像できるとすれば、そのような器を作り出せればと思う」というもの。
由佐:
素敵ですね。
スタッフ:
もう一つは質問です。「純度の高い祈りを維持する、自分のエネルギーとつながる道のコツがあれば知りたいです」
由佐:
純度を高めておくには、ひたすら自分を見るだけです。答えになっているか分からないですけど。やったらいいよ、という話は今日しました。何もすべきことはない。だから、自分がいつも「すべき」からやっていないかを、いつもいつもチェックする。「すべき」に入ったときは、瞬時にそこで止まるというテクノロジーがすごく大事です。そもそも、なんでこれをやっているのか。それをいつも自分の中で見直していく。
たとえば今、CCCという器を作っていますけど、わたしは毎日、いつやめてもいいと本当に思っています。この器をいつやめてもいい。なぜかというと、本当に世界がそうなったときには、これはもう別に必要なくなるからです。そのためにやっているから。それが真・善・美に貢献しないものになるなら、別に地球上で必要はないと思っています。だから、形にこだわらない。それを維持することに執着を持たない。これはすごく大事です。
自分のやっていることを、すごいことにしないことも大事です。人はやっぱり、すごくなりたいとか、何かを他の人に秀でたいという気持ちがあります。でもそれは、欠陥や欠損から来ているんです。自分は何かが欠損している。欠陥なんだ。十分ではないんだ。そこから来ているという自覚を、人はあまり持てていないと思います。もしそれが自分の中に起こっているとしたら、「自分は、元々何が至らないと思っているんだろう?」と、いちいち見に行く。
細かく、細かく、細かく日々お掃除していくような感じです。そこに関しては、意識の状態をいつもクリアにしておく。自分のエゴではなく、真・善・美のエネルギーと合致させていく。そうではなく、ずれたときには、それをやるのを止める。やめる。もしくは、そこに入る前に、自分はどこに立ってそれをやるのかを、いつも作り出す。起点のマネジメントだけです、基本は。
やることは、何でもいいです。本当に、どこに行ってもいいと思います。恐れにまみれた会社に行っている人のほうが、今の時代には、むしろ貢献できるのかもしれません。もし、このエネルギーが出れば。それも自分の選択なんだ。自分は自覚的にここを選んでいるんだ。そういう自覚と、そこから何を起こしたいのか、どこに立つのかということの精度。そのエネルギーを一定の状態にしていく努力を、いつもしていればいい。
「どうやって」「何を」というところは、どちらかというと神任せです。たぶんそういうふうにやったときに、最適なやることがやってくるし、思い浮かぶし、いろんな人とつながるようになります。そこで与えられた機会に感謝して、ただ自分ができることに最善を尽くす。すごくシンプルな流れになります。自分で何かをしなくちゃ、というものは、多分なくなっていきます。
だから、もし今この話をした後に、「やっぱり会社でこういうことをしなきゃいけないんじゃないかな」と思っていたら、それは手放してください。笑 何もすべきことはありません。まあ、禅問答みたいな話に聞こえるかもしれませんけどね。
参加者T:
「真・善・美」で、美というのは、人が芸術や美しいものに惹かれる、というイメージがあります。でも、真とか善というのは、どんなイメージなのでしょうか?
由佐:
真は、本当。真実の真、真理の真です。ものすごくシンプルな、生命を動かしている「原則」や「本質」があると思っています。それだけです。言葉を尽くして説明はしますけれど、本質的には、本当に「真」というところに人間が立てれば、ほとんどいろんなものは問題解決してしまうと思うんですよね。
人間が課題解決をやめて、たとえば課題解決の滑稽さみたいなものに気づいたときに、「本質は、ただ自分があるんだ」「そこから自分が何をするかを選ぶんだ」というのが「真」だとしたら、それだけに立っていればいいと思うんです。そのエネルギーでいられるか。「真」だけに自分が立てるか。それ以外の、いろんなエゴや偽り、どうでもいいごまかしのようなことに振り回されるのをやめて、そこに集中していられるか。わたしはそういうふうに使っています。
「善」もそうですよね。自分の今やっていることや立っているところが、人の幸福や、生命が輝くことにつながっているかどうか。こういう言葉は全部、センスチェックに使っています。自分の今やっていること。自分のエネルギーは、それを願いや祈りとして起こっているところにつながっているかどうか。そのチェックに使っているだけです。
「美」というのは、美しさに自分が触れ続けていると、いつも元気なんです。わたしにとって、人間の美というのは、最善の自分にとっての喜びであり、感動なんです。自分はそれを本当に愛しているから、人間の美しさを世界に表したくてしょうがない。だから、その美につながる仕事をしたい。人に関わる仕事がやっぱりしたいんですね。
自然を見たとき、人間は美しいものを見て、本当に美しいと感じるじゃないですか。わたしは、それとまったく同じものを、そこの植木にも感じるし、人間にも感じるんです。それが自分のものすごいドライバーだから、そこを原動力としてエンジンにして回しています。人間の美しさを地球に表したくてしょうがない。「本当は美しいのにな」と、いつも思っているんです。そこに光を当てたいんですよね。自分は。
もちろん、人間には闇もあると思います。人を貶めること、殺意、嫉妬、いろんな闇があります。でも、全体性の中で、それらすべてがあっていいとした上で、自分はどこに光を当てたいのか。それは自分の自由だと思っているわけです。わたしの場合は、人間の美しさに光を当てたいとすごく思っている。だから、そこに光が当たる仕事、そこに光を当てられる仕事がしたい。自分はその美しさに触れていたい。それが自分の祈りとしてあります。大きな流れは、いつも本当に人間がそれに気づけるように促していると、わたしはすごく思っています。
自分の人生も、すごい闇を彷徨っていた時期がありました。でも、やっぱりそういうものに流されてきていると思っています。その意図を信じているというか。どんなに世界が破滅的に見えたとしても、必ず何か美しいものに向かって、大きな流れは動いているんじゃないかなと思っています———そうかどうかは分からないけれど、そう思っていることで、今の自分のエネルギーは持続していけるんですよね。そこをシンクロしていると、一番エネルギーが整っている状態になる。体感的にも、そう感じています。
だから、真・善・美という言葉でなくてもいいと思うんですけど、わたしの体験としては、そこを持っていると、大きなものとシンクロしやすいなという感覚がすごくあります。いつも助けられている感じがあります。何か大きな存在に。一人で頑張っている感じが、あまりないんです。その仕事が無用になったら、多分やらなくなると思うんですよね。ただ単純に。自分で何かをしなければ、という「すべきこと」に立たなくても、自分の本当にワクワクする衝動として起きていることでいいんじゃないかな。
何かありますか?USTREAMは大丈夫ですか?
スタッフ:
はい、大丈夫です。
由佐:
もっとシンプルに生きられると思っています。人は、もっとシンプルに生きられる。本当は、いろんなものはいらないと思います。今度サティシュ・クマールさんが来られますが、もっと、もっと、という欲の世界が早く終わるといいなと思っています。それは、エコ意識を高めて物を買うのをやめましょうとか、不必要なものを買うのをやめましょう、という論理や正しさから迫っても、何も変わらないと思っています。
子どもを見ていると、すごく明確です。子どもって、「早く片付けなさい」「早く起きなさい」と言っても、全然言うことを聞かないじゃないですか。でも、それが本当に何が大事なのかということにつながったときには、ちゃんと聞く耳を持っているんです。だからわたしは、正しさを訴えることは何にもならないと思っています。反戦運動や環境活動にも、懐疑的なんですよね。それをやっている人たちがどうということではありません。
ただ、正しさを主張するところから出ないと、次の道はないんじゃないかと、直感的に思っています。正しさを主張した瞬間に、その活動家同士で分裂したり、同じ領域の人たちがつながれなくなってしまったりする。その悲劇を何とかしたいと思っています。それには、正しさではない違うものが必要だと思っています。それが、共感だったり、人間が誰しも渇望しているニーズという世界でつながれるテクノロジーだったりする。そこに、すごく魅了されています。
戦うのをやめるべきだと思っています。それは結局、エネルギーが割れてしまうからです。早く、本当にいろんな人が一つにつながれるといいなと思います。正しさを主張している人たちにも、本当に願いがあって、それをやっている。それが戦いや分裂のエネルギーではなく、本当につながっていけるエネルギーとして使えるようになったらいいなと、すごく思っています。でも、そのためには、人間の反応衝動を超えていかなければいけないから、難しいですよね。「俺が一番いいことをやっている」って思いたいからね、自我は。はい。こんな感じかな。(2時間17分15秒あたりまで)
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(文字起こし・ここまで)
この続きはまた明日に!(^^)/
