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攻乎異端、斯害也已矣(『論語』為政第二の16 No.32)

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攻乎異端、斯害也已矣(『論語』為政第二の16 No.32)

攻乎異端、斯害也已矣(『論語』為政第二の16 No.32)

2024/04/09

今日は古典研究関連カテゴリの記事で、

論語499章1日1章読解から。

 

孔子は今から2,500年ほど前の人物ですが、

論語499章を1日1章ずつ読んでみての

ふりかえり記事(その2)にも書いたように、

論語1冊全体から垣間見える

孔子の精神に近づくための重要な問いは、

「本(一番のモトとなる本心)とは何か?」でした。

 

「人間が生きて行くうえで、

 時代を経ても変わらない大事なこととは、

 結局のところ、何だろう?」

 

本心つまり、生きる方向軸を明確にすることは、

未来デザインで言えば、

理念設定のステップにあたるわけですが、

「何のために学ぶのか?」という動機次第で、

当然のこととして

学んだことの成果も大きく変わってきます。

 

とくに、昨今の世の中は

情報の絶対量が多すぎるので、

日々洪水のように流れ込んでくる情報に

振り回され押し流されてしまわないように、

自分にとって価値のないことや

必要のないことを止めていく上でも、

「自分の〝本心〟を問う」姿勢は

不可欠でしょう。

 

古典を読む行為は、

そうした問いを自分で考える

大きなヒントになるのではないかとおもうのですが、

今日の論語は、多くを学ぼうとしても、

二つのことを同時にやろうとすると

「虻蜂取らず」になってしまいかねない

という主旨の

為政第二の16番(通し番号32)を

ご紹介しようとおもいます。

 

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【為政・第二】032-2-16
[要旨(大意)]
博学のための博学は有害無益であり、ひとつに集中して本質をつかむこと。

 

[白文]
子曰、攻乎異端、斯害也已矣。
 
[訓読文]
子曰ク、異端ヲ攻ムルハ、斯レ害ナルノミ。
 
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、異端(いたん)ヲ攻(おさ)ムルハ、斯(こ)レ害(がい)ナルノミ。
 
[ひらがな素読文]
しいわく、いたんをおさむるは、これがいなるのみ。
 
[口語訳文1(逐語訳)]
先生が言った。「異様な新説を責めたところで、そこには害しかない。」

 

[口語訳文2(従来訳)]
孔子様がおっしゃるよう、「学者は正統な聖人の道を専攻すべきで、異端の学の横道に踏み込むのは、有害無益だからやめるがよい。」(穂積重遠『新訳論語』)
 
[口語訳文3(井上の意訳)]
先生(孔子)が言われた。「学術研鑽を行う場合は、ひとつの専門分野に集中しないと、すべて中途半端になって害しかない。」


[語釈]
異:常態に対する異常、違うもの、正統でない。
端:根本に対する末端。
異端:ここでは、織物の両端が揃わない様子。
攻:治める、専攻する、調べる、研究する。
也已:「のみ」と訓読し、断定をあらわす助辞。
斯:そうした
害:損なう
 
[井上のコメント]
従来訳にもあるように、この章についての伝統的な解釈は、「(正統な周王の道以外の)異端の学問を修めることは、益なくしてただ害悪があるだけだ。」です。また、攻を「攻める」「批判する」という意でとらえ、「他の学説を批判することは有害無益である」という訳(安冨)や、異端を「新しい流行を追いかける」とする解釈(宮崎)もあるようですが、そもそも孔子自身が決して正道を歩んだ人ではなく、異説を唱えた異端児だったことを考え合わせると、門人たちに「異端の学問はやめておけ」と説くこと自体あり得ないんじゃないかと。また、伊藤仁斎は、「異端」を織物の両端が揃わないたとえとして、「学問は根本に力を集中すべきである」と解していて、桑原武夫や貝塚茂樹もそれに倣っていました。

以上をふまえて本章は、孔子が子貢に向かって「予一以貫之」と話した衛霊公第十五の2番(通し番号381)の内容や、『書経』の商書・咸有一徳編にある「徳惟(こ)れ一なれば、動いて吉ならざるなし、徳二三なれば動いて凶ならざるなし」につながるものとして、「2つ以上の学問を同時に学び取ろうとしても、それぞれが中途半端に終わってしまいがちである」という意味合いで訳してみました。

 

 

●論語499章1日1章読解 過去の投稿記事一覧

論語499章1日1章解読ふりかえり(その1)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その2)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その3)

 

【学而・第一】008-1-08 君子不重則不威、學則不固

【為政・第二】020-2-04 吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑

【為政・第二】031-2-15 學而不思則罔、思而不學則殆

【為政・第二】033-2-17 由、誨女知之乎、知之爲知之

【八佾・第三】063-3-23 子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也

【里仁・第四】073-4-07 人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣

【里仁・第四】076-4-19 君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比

【里仁・第四】077-4-11 君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠

【里仁・第四】084-4-18 事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨

【公冶長・第五】096-5-4 或曰、雍也、仁而不佞

【雍也・第六】129-6-10 冉求曰、非不説子之道、力不足也

【雍也・第六】134-6-15 誰能出不由戸、何莫由斯道也 

【雍也・第六】136-6-17 人之生也直、罔之生也、幸而免
【雍也・第六】138-6-19 中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也
【雍也・第六】146-6-27 中庸之爲德也

【雍也・第六】147-6-28 子貢曰、如能博施於民、而能済濟衆、何如

【述而・第七】148-7-1 述而不作、信而好古、竊比於我老彭

【述而・第七】153-7-6 子曰、志於道、拠於德

【述而・第七】155-7-8 不憤不啓、不悱不發、擧一偶

【述而・第七】163-7-16 如我數年、五十以學、易可以無大過矣

【述而・第七】170-7-23 二三子以我爲隠乎、吾無隠乎爾

【子罕・第九】215-9-10 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前

【子罕・第九】228-9-23 法語之言、能無從乎、改之爲貴

【子罕・第九】234&235-9-29&30 可與共學、未可與適道、可與適道

【顔淵・第十二】279-12-1 顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁

【子路・第十三】323-13-21 不得中行而與之、必也狂狷乎

【子路・第十三】324-13-22 南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫

【子路・第十三】325-13-23 君子和而不同、小人同而不和

【子路・第十三】328-13-26 君子泰而不驕、小人驕而不泰

【憲問・第十四】337-14-5 有德者必有言、有言者不必有德

【憲問第十四】368-14-36 或曰、以徳報怨、何如

【衛霊公・第十五】381-15-2 賜也、女以予爲多學而識之者與

【衛霊公・第十五】384-15-5 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣

【衛霊公・第十五】396-15-17 君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之

【陽貨・第十七】443-17-9 小子、何莫學夫詩、詩可以興

【季氏・第十六】429-16-9 生而知之者、上也、學而知之者、次也

【陽貨・第十七】459-17-25 唯女子與小人、爲難養也

【堯曰・第二十】499-20-3 不知命、無以爲君子也、不知禮

 

【参考記事】

書経・商書「生きる方向軸が一つに定まっていれば吉」(「今日の名言・その7」)
顔回をめぐる問いと諸星大二郎『孔子暗黒伝』のこと
安田登『役に立つ古典』〜古典から何を学ぶか〜
情報洪水の時代をどう生きるか(その6)

問題解決ツールのコレクターになっていませんか?(つぶやき考現学 No.59)

 

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