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内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その14)

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内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その14)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その14)

2024/08/29

昨日8/28に投稿した記事の続きです。

 

響月ケシーさんが8/14にインスタで配信された

動画『自分の神様の育て方』の内容を

取っ掛かりにして書いた記事が発端となって、

「内的観点と外的観点の両方を同時にもつ」

というテーマで記事を書き始め、

今日が14回目となりました。

 

8月も月末が近づいてきていますし、

末日は恒例となっている

1ヶ月間のふりかえりを投稿するので、

明日の記事にて締めくくる予定です。

 

これまでに書いてきた内容を前提として

話を進めることがあるので、

未読分のある方は、

まずそちらから先にお読み下さい。

ケシーさんの8/14インスタライブ『自分の神様の育て方』

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その1)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その2)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その3)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その4)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その5)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その6)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その7)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その8)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その9)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その10)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その11)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その12)

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その13)

 

さて、昨日投稿した記事では、

一昨日まで投稿してきた池谷裕二さんの

『単純な脳、複雑な私』を紹介しながら

コメントしてきたこと等もふりかえりながら、

「心の構造化」というテーマのつながりで、

吉本隆明さんの〝心〟の捉え方を紹介しました。

 

この『吉本隆明〝心〟から読み解く思想』という

宇田亮一さんの優れたガイド本との出会わなければ、

おそらくわたしは、

吉本代表三部作を読み解くための

鳥羽口に立つこともできなかったことでしょう。

 

内的観点と外的観点の両方を同時にもつ

というテーマを意識しながら、

『共同幻想論』序の冒頭部分なども紹介して

三部作相互の関係についても

示してみました。

 

こんな風に

「言葉」の存在を中心に置いて

内的観点と外的観点という指標があると、

その骨格が見えやすくなってきます。

 

でも、「自己表出」「指示表出」などは

いわゆるアカデミックな言語学の世界では

まったく語られていないことでもあり、

「心の構造化」というテーマについては

具体的にイメージ

しにくかったのではないでしょうか。

 

それで、その辺りをもうすこし

掘り下げてみようというのが、

本日のメインコンテンツです。

 

 

心理学という学問は、ひとことで言うなら

人間の心の仕組みを理解するという意味で、

「心の構造化」を目指しているものと

言っていいでしょう。

 

しかし、現実には

多くのクライアントが

個別に異なる状況において

個別に体験し実感したことを

臨床事例、経験則として積み重ねながら

研究が進められてきた側面が強く、

世の中に「〜心理学」と名の付く学問や

心についての理論、治療の方法論が

たくさん存在しているのは、

内的観点が土台の学問だからでしょう。

 

また、心理学の難しさというのは、

個々の多様性にどう向き合うかということや

心についての厖大な情報を

どのように咀嚼するかというだけでなく、

心は眼に見えないという

雲を掴むようなところにもあるんですね。

 

宇田亮一さんが、吉本さんのガイド本を

出版するに至った経緯が

『吉本隆明「心的現象論」の読み方』の

まえがきに書かれているんですが、

臨床心理士を目指したときの戸惑いと不安が

正直に吐露されています。

 

次の記事でまえがき全文を引用したので

読んでみて下さい。

朗報!5/26宇田亮一『吉本隆明「心的現象論」の読み方』新版発行!

 

 

さてそれで、本日の記事の冒頭にある画像が

フレミング左手の法則になってましたが、

まずはそれが何故かってことから。

 

このフレミング左手の法則とは、

磁場中の導体に電流が流れるときに、

その導体に力が作用する現象において、

「磁場」と「電流」と「力」の向きが、

各々90度になるという関係と方向を

わかりやすく示したものでした。

 

吉本さんは、「(わたしの主要三部作の関係は)

フレミングの法則のようなものだ」

語られたことがあったのです。

 

つまり、主要三部作は、

もともとひとつにつながっていて、

それは人間の〝心〟の構造を表しているんだと。

 

次の図は宇田亮一さんの2冊目の著書

『吉本隆明「共同幻想論」の読み方』

紹介されている図版なんですが、

人間の心のはたらきは

・分かろうとする(了解論)ー 時間軸

・関わろうとする(関係論)ー 空間軸

・深めようとする(心的疎外論)ー 時空変換

という縦、横、高さの三軸で表現できるんだと。

 

「え? ど〜ゆ〜こと?」っておもうでしょうが、

正直、吉本隆明さんの文章は

読む人にわかるようにと考えて

書かれていないようなところもあって、

宇田亮一さんのガイド本4冊も、

解説書であるのに、

その解説書の解説書が必要なくらい

ひとりで読み解こうとするのは大変です。

 

そのため、どんなテーマについても

自由に対話できる寺子屋塾のような場を設け、

読書会を開催したりしているんですが、

それでもアカデミックな世界との

落差が大きいところは否めません。

 

そこで、吉本さんの心についての捉え方に

親和性の高い考え方をベースにしていて

しかも、もうすこしわかりやすく

アプローチできるものはないかとおもっていて、

ちょうど1年ほどまえに出会った書物が、

2023年読書ふりかえりでセレクトした

24冊の中の1冊、吉家重夫さんの

『統一場心理学総論 意識の姿』でした。

 

その記事に書いた紹介文を

こちらにも転載しておきます。

 

⑤吉家重夫『統一場心理学総論 意識の姿』

吉本隆明さんの『心的現象論』には、

フロイトやユング、アドラーなどによる

心理学がたどりつけなかった

心についての独創的な見方がありますが、

アカデミックな世界とは隔絶したところで

執筆されたため、

『心的現象論』をもとに心のしくみを

解き明かそうとする心理学者や精神科医は

ほとんど存在していません。

本書も『心的現象論』とは直接関わりなく

執筆されたものですが、

人間の意識を物理現象として捉え

その構造と原理を明らかにしょうという

スタンスは吉本さんに近いものを感じました。

まだ拾い読みをしただけの段階で

細かい所までしっかり読めていないので、

ざっくりとした印象しか書けませんが

しっかりとした手応えはあるので、

今年は本書を時間をかけて

じっくりと読み解いていくつもりです。

 

 

ということで、その記事に書いた通り、

この半年ほどわたしは、読書の時間の7〜8割を

統一場心理学関連の事柄を読み解くことに

費やしているんですが、

今日は、統一場心理学のYouTubeチャンネルに

アップされている

「心を図解するとこうなる」という

17分強の動画を文字起こししてみました。

 

このシリーズの動画は5本アップされていて、

動画中に語られているとおり、

この回は3回目にあたるんですが、

5本全部ご覧になると、

統一場心理学の基本的な内容の入口部分は

ほぼ理解できるとおもいます。

 

統一場心理学・心を図解するとこうなる

 

(文字起こしここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

吉家&浅川:こんにちは!

 

吉家:統一場心理学の吉家重夫です。

 

浅川:ナビゲーターの浅川芳恵です。今回もご視聴ありがとうございます。先生、今日は・・・

 

吉家:はい。

 

浅川:統一場心理学による「心を図解するとこうなる~!」というお話を伺っていきたいなぁと思うんですが、統一場心理学って、まさに図解が特徴的ですよね?

 

吉家:そうですね。図解をして分かりやすく示すことができるというのが、とても大きな特長の一つだと思います。で、このシリーズは3回目で、1回目は、アナザー・サイコロジー・・・

 

浅川:アナザー・サイコロジー

 

吉家:・・・ということで、つまり従来の心理学が、ほとんど経験則―――断片的な経験則を積み重ねていくという手法をとっていたのに対して、統一場心理学は、完全に統合された理論である。そうすると、新しい初めての出来事でも、考えれば分かるみたいな、

 

浅川:考えれば分かる・・・

 

吉家:つまり、物理学とか数学とか、そういう類の体系なんだということなんですね。

 

浅川:一貫性のある理論があるから、きちんと紐解いていけば、解決方法が見つかるっていうことですよね。

 

吉家:そうです。それから2回目が「心は物理現象だ」ということで、この辺に心があるよ、みたいなね。

 

浅川:ここら辺に~

 

吉家:ただ、脳神経系では、心をつくるのは不可能であるみたいな、そんなお話をしました。

 

浅川:はいはい。目隠しのサッカーの話とかですね。

 

吉家:で、今日は、心の中と外に関して、今まで打ち破れなかった壁を統一場心理学がぶち破ったぞという、他の従来の考え方と統一場心理学の決定的な違いの3つ目ということが言えます。

 

浅川:なるほどなるほど!また今日は、違った視点から統一場心理学の、他の心理学との決定的な違いがどんなことなのかっていうことが聞けるということですね。はーい。じゃあ、さっそくよろしくお願いします。

 

吉家:よろしくお願いします。

 

吉家:まずですね、心というものを描いてしまいましょう。

 

浅川:来ました!早速、図解です。

 

吉家:早速!例えば、単純に、これが心ですと。

 

浅川:心です!

 

吉家:心にくっついているところに、脳があるよということを前回申し上げたわけです。

 

浅川:それが、ここらへんに心があるよっていうことですね。

 

吉家:この辺の心がこっちで、中味の脳の神経系がここだと。ここに目玉が付いていて、リンゴを見ている。わたしの図には必ずリンゴが出てきます。これが心の中に入ってきて感じますよ。そういう話なんですね。で、ここまではいいんですが、実は従来絶対に打ち破ることの出来なかった壁がここにあるんです。

 

浅川:壁・・・

 

吉家:すごい壁があるんですね。これがなんだと言うと・・・この壁の正体が何かということを、今これからお話しします。

 

浅川:はい。

 

吉家:これは、こっちから、内側、つまり心に関しては、ちょっと難しい言葉で「内的観点」といいますね。

 

浅川:心の中のこと?

 

吉家:心の中については、内的観点からしか見ることができない。

 

浅川:はい。

 

吉家:実感、体験ということですね。

 

浅川:はい。実感や体験のこと。

 

吉家:つまり実感、体験としてしか心の中のことを語ることができないと思います。楽しいとか。

 

浅川:うん。

 

吉家:それは体験じゃないですか。で、「3cm楽しい」と言わないんですね。

 

浅川:言わないです。

 

吉家:人に見せることができないから。つまり、私の中のこととして、この内的観点というものがあるわけです。自分で自分の心の中を感じる、実感体験するという、そういう形でしか語ることができないということなんですね。それに対して、ここから外側―――脳神経系とか、手足の神経とか、あるいは外の世界とか、これは「外的観点」なんですね。

 

浅川:心の外、身体も含めて・・・

 

吉家:はい。観察なんです、これは。実感、体験ではないんですね。

 

浅川:観察・・・

 

吉家:観察するしかないんです。例えば、このペンが悲しいというのはないんですね。このペンは、見た通りのもので、ここに黒い部分があってとか、いろいろ観察した結果を話すことができるのですね。

 

浅川:うんうん。

 

吉家:他の隣の人にはどう見えますかというと、同じように見えるから、これは客観的な事実だとかっていう話になるんですね。で、観察対象が、心と脳よりも外側に完全に分かれていて、なおかつ、観察する手段が内的観点と外的観点に分かれちゃっていると、この間が繋がらないんですよ。

 

浅川:うん。

 

吉家:なおかつ、論理、論理的にものを考えるというのは、ここから外のことだけしか、つまり観察したことだけしか論理的な扱いができないという性質があります。例えば、「私は自分のことを偉いと感じた。だから(自分は)偉い!」って言ったら、笑われちゃいますね?

 

浅川:はい。

 

吉家:ここから内側に関しては、論理が使えないんです。もちろん、経験的に多くの場合こういう傾向あるんじゃないかなぁみたいなことは言えるかもしれないけど、それがどのくらい確かかという保証はどこにもないんですね。

 

浅川:うん。例えば、リンゴは赤くて、何グラムで、数がいくつあってとか言えるけど、それをそのリンゴを見た人が、例えば、食べたらおいしいと感じるみたいなことっていうのは、多くの人は美味しいって言うよね?みたいなことはあっても・・・

 

吉家:だから、私はすっごく美味しいと感じた。だから、あなたよりも私は美味しいと感じたよねっとは、分からないじゃないですか。

 

浅川:うん。わからない!

 

吉家:比較ができないと、論理っていうのは構築できないんですね。

 

浅川:なるほど!

 

吉家:あなたは2センチおいしいと思った。私は3センチおいしいと思った。だから、(あなたよりも)私の方がおいしいと思ったなんていう、そういう論理には結びつかない。

 

浅川:なるほどなるほど!それでそれで?

 

吉家:ところが、心理学というと、例えば精神分析的なことだと、その内的観点の体験から出発することが多いわけですね。例えば、フロイトさんが「階段を上っていたら私はセックスを感じた!」みたいなこと言うわけですね。

 

浅川:うん。

 

吉家:そこから、「だから」って言った途端に、これ論理なんですよ。だから、その論理展開した途端に、それはおかしい話になっちゃいます。

 

浅川:そもそも論理では語れないのに、論理で語ろうとした時に、もう矛盾が生じているということ?

 

吉家:ただ、さっきも言ったように、多くの場合こういうふうに経験してるから、たぶん、こういうことだろうなということを、予想することが間違っているとは言えないんですよ。

 

浅川:うん。

 

吉家:だけれども、厳密に言うとここは論理で扱えない世界であると。本来そういうもんだということがいえるわけですね。

 

浅川:うん。

 

吉家:今度はこの脳のほうから心に接近しようと思っている人たちは、脳の神経を一所懸命分析しまして―――例えば、アドレナリンが出る、興奮するとアドレナリンが出るとか言いますが、だから、アドレナリンが出たから興奮したとっていうこともあるんだけど、それはわからないですね。興奮したからアドレナリンが出たのかもしれないし、アドレナリンが出たから興奮したのかもしれないとか。それから、脳内モルヒネとかね?

 

浅川:言いますね。

 

吉家:脳内モルヒネがイッパイ出たからとっても気持ちがいいでしょ?ていうけれど、気持ちがいいから脳内モルヒネが出たかもしれないですね?

 

浅川:うーん。

 

吉家:わからないんですよ。この感じたことと、ここで起きていることとの因果関係っていうのは語れない。

 

浅川:うん。

 

吉家:こっちから始まった人は、何とかこちらに攻め入ろうとするんだけど、それは論理的に不可能なことなんですね。AIが人間と同じような事やってるとか言うけれど、全然違うんですよ、あれはね?形が人間に近い、観察すると人間に近いけれども、実感体験してませんから。

 

浅川:AIね・・・そうか。

 

吉家:AIは形は真似られても、実感できないですよね。ですから、ここの壁というのは、今まで誰も超えた人がいないんです。

 

浅川:なるほど!

 

吉家:そこで、統一場心理学は決定的に違うところは何かというと、こっちに論理を持ち込んだ―――外的観点を持ち込んだと。ここが違う!

 

浅川:内的観点のエリアに、外的観点を持ち込んだというのが決定的な違い。

 

吉家:人類史上たぶん初めて。

 

浅川:人類史上初めて。

 

吉家:外的観点をこんな風に持ち込むと、どういうことが起きるかというと、一つの出来事に対して、二つの観点から観察することができるんですね。

 

浅川:なるほど。

 

吉家:例えば、私が嬉しいと思ったと、これは内的観点からの実感体験ですけれども、その時、心の中でこういうことが起きているよということを、図解して示しちゃうと、これは外的観点なんですね。第三者の立場から見ることができる。

 

浅川:外的観点の具体的なやり方というのが図解ということですね?

 

吉家:そうです。

 

浅川:なるほど!

 

吉家:そうすると、一つのことを2つで眺めることができるので、内的観点と外的観点をすり合わせることができます。これを例えば、わかりやすくたとえ話にすると、巨大迷路っていうのがありますね。

 

浅川:はい。

 

吉家:早く出てきたら勝ち!みたいな。最初に出て来た人に聞くと、「赤い扉があって、それを開くと外に出られるだよ!」って教えてくれたと。それで、「そうか~!」と思って入ってみたら、そこら中に赤い扉があるわけですよ。

 

浅川:うん!

 

吉家:ねっ?ということは、これは、内的観点であって、迷路の中に入った人の観点なんですね。

 

浅川:赤い扉があるよ~って。

 

吉家:迷路の中に入っちゃった人がそう感じたと。で、私たちは、嬉しい時は「こうだよ」と言われちゃうと、「そうか!」と思うけど、いろんな時にうれしくなるでしょう?赤い扉があちこちにあると言うのと同じようなことになっちゃうんですね。

 

浅川:はぁ~なるほど!ほうほう。

 

吉家:そうすると、一概に論理的には使えないって話になってしまう。

 

浅川;うん。

 

吉家:ところが、そのときにもしも、仲間が頭上でですね、ヘリコプターに乗ってて、双眼鏡で見てくれましてね、でスマホでもって「君は今迷路の東側にいるよ」とか教えてくれるとします。そうすると、内的観点見ると、3つの赤い扉があって、東側にいるって事は、多分2番目の扉がいいだろうとかって、ちょっと考えられますね?

 

浅川:うん。

 

吉家:だから、この時、外的観点と内的観点のすり合わせが起きたということなんです。同じ赤い扉でも、外的観点から眺めた視点があれば、正しくその迷路を進むことが出来る、みたいな。

 

浅川:中にいながら、外から見た情報も同時に得ていくというようなことですね。

 

吉家:このことが可能になったというか、可能にしたのが、統一場心理学ですよ、みたいな話なんですね。

 

浅川:なるほど!

 

吉家:だから、心の中っていうのは、今までは真っ白だったのが、図解をして、あたかも外から第三者が眺めているかのように表現できます。そうすると、例えばカウンセリングするときとか、あるいは自分の心を整える時に、図解を見ながら、ここはこうすればいいんだということがすぐ分かってしまう。

例えば、今までは内的観点だけだと、「平常心を保て!」とかっていうんですね。「平常心を保て!」っていうのは、まあ、言われてみて、(言葉の)意味はわかりますよ。普段の落ち着いた状態を保てと言われていることはわかります。ところが、平常心というのは、内的観点からの実感ですから、外から見た時、それがどうなってるかとわからないんですね。

 

浅川:それこそ、人によって、その平常心が違うみたいなことですよね? それぞれだったりとか、平常心かなって感じても・・・

 

吉家:そもそも、自分が平常心を保つためにどうしたらいいかなんてことは、どこにも書いてないんですね。

 

浅川:たしかに、言われてみたら、知らないし習ったことないと思います。

 

吉家:だから、結果として平常心を保ったような状況になれと言われても、どうしたらいいかを誰も言わないのに、できるわけないだろ!みたいな。

 

吉家:たとえば、「感情的になるな!」とかね?

 

浅川:言いますねぇ。

 

吉家:感情的にならないということは、結果としてなってない状況を想定することはできるけれども、いつも感情的になっちゃう人が、どうやったら感情的にならないかっていうのも、分からないですよね?それはノウハウみたいなことは、外的観点から論理的に考えなければ、解き明かせないからなんですね。

 

浅川:なるほど!

 

吉家:だから、無茶を言われているわけです。

 

浅川:なるほど!無茶を言われているんだ。無茶を言われていたんだ!

 

吉家:例えば、100メートルを速く走るっていう時に、「もっと速く走れ!」と言われているようなものなんですね。「君はここが足りないから、こういう筋トレをやって、このへんの反射のスピードを速くするトレーニングをやって、ここでこういうところでこのメニューをこなしと速くなるよ」って言われたらわかりますけども、そういうメニューが一切ないんです。結果しか言われない。それが従来のやり方だったわけです。

 

浅川:なるほど!じゃあ、やり方だと思って聞かされていたようなことも、実は、結果の状態のことを言われてるみたいなことがたくさんあるってことですね。

 

吉家:たくさんあるんですね。例えば、いわゆる成功本なんていうのがあって「情熱を燃やせ!」とか書いてあるんですね。情熱が燃えないから困ってるみたいな。笑

 

浅川:確かに!笑

 

吉家:そういうのを統一場心理学では、「情熱を燃やせない人はこうやったらいいですよ。」「だから、Aという状況になれない人は、Bをやったらいいですよ。でも、Bにもできないという人がいたら、それはCがいいですよ」って言って、最後まで「手を動かしましょう」ぐらいの、誰でもできるところまで噛み砕いていくことが可能になるなんですね。

 

浅川:なるほど!、さらにさらにさらにさらに細分化された原理原則の心の状態がすごく細く見えるようになる・・・

 

吉家:そうです!どこまでもその方ができるところまで、現実に下りてくることができるんです。

 

浅川:「現実に降りてくる!」すごく現実的な言葉ですね。なるほど!それが統一場心理学でいう、心を図解するとこうなる!

 

吉家:そうですね。

 

浅川:これも一つの図解ですね。

 

吉家:今までなかったわけですからね。今まではこのような、脳に接していて心があるなんていう図は、誰も書いてないわけですよね?

 

浅川:たしかに!

 

吉家:とても単純だけど、これがないと内的観点も外的観点もあまり論じられないとか、その辺で相当混乱している。例えば、有名な哲学者であるとか、心理学者なんかも、相当混乱してる人が多いんですね、そのベースのところを整えるという意味でも、是非ともこういうところから出発して欲しいわけです。

 

浅川:なるほど!わかりました。何だかあっけにとられるような内容だったんですけど、私にとっては。だってとっても単純だけど、とても整理される感じがしますよね。これがモトにあれば、いろんなことが考えやすいし、実際にやることをやりやすいのかなぁという感じがしましたね。はい。ということで・・・

 

吉家:よろしいでしょうか?

 

浅川:統一場心理学で心を図解するとこうなる、吉家重夫先生からお話を伺いました。

 

吉家:これからも色々勉強していただきますけれども、よろしくお願い致します。

 

浅川:はい!ありがとうございました~

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(文字起こしここまで)

 

 

この続きはまた明日に!

 

 

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