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ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」

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ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」

ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」

2026/06/27

6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会

の事前準備を兼ねて、

著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された

〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。

 

昨日までに投稿してきた記事を未読の方は

まず次から先にどうぞ!
ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」

ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」

ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①

ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②

ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③

ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』

ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」

ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」

ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」

ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」

 


さて、この連載記事も回を重ね

12回目となったんですが、

一昨日から「〝源(みなもと)〟とは何か?」

というテーマで書いています。

 

〝ザ・メンタルモデル〟そのものについて

解説されている情報については、

毎回冒頭に挙げている由佐さんの著書2冊を始め

関連する著作や、

ネット上にもわかりやすい動画等の

コンテンツが少なからずありますので、

関心のある方はそちらをアクセスして下さい。

 


さて、昨日投稿した(その11)の記事では、

「源から生きる」という姿勢が、

これまでのわたしの人生を形づくってきた

主軸としてあったことや、

寺子屋塾で提供できる学習ツールの一つひとつが

「教育」「学習」というテーマの

〝源〟を意識していること、
そして、日々の教室の場が

わたし自身にとって

〝源から生きる姿勢〟の実践道場でもあること、

さいごに、

わたしが20歳のときに

「わたしたちの内側の世界が外側を創っている」

という考えに初めて触れ

「源から生きる」という姿勢を意識する

きっかけの一つとなった書物の1冊として、

J.クリシュナムルティの

『既知からの自由』という著書を紹介しました。

 

現在、日本語翻訳版は残念ながら

絶版状態で入手が難しいようですが、

クリシュナムルティ財団の出版による

英語の原書はネットからダウンロードできるので、

次からアクセスしてみて下さい。

 

Freedom From The Known J.Krishnamurti

Notion AIに尋ねてみました。

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Q:クリシュナムルティの著作『既知からの自由』の中味に関して、書物全体を1200文字以内で要約することと、重要ポイントを10項目に絞って箇条書きにしてください。

 

A:本書は、メアリー・ルティエンスがクリシュナムルティの講話を編集したもので、人間の苦悩・恐怖・関係・思考・愛・自由・瞑想などを一貫して扱う思想的エッセンスの集成です。

 

『既知からの自由』の中心テーマは、私たち人間が「既知のもの」、つまり過去の記憶、経験、知識、文化、宗教、社会的条件づけ、恐怖、欲望、快楽、自己イメージに縛られて生きている、という洞察です。クリシュナムルティは、人間の混乱や苦しみは外部の制度だけでなく、まず自分自身の内面の分裂、比較、恐怖、依存、思考の反復から生じていると見ます。

 

人は真理、神、救済、愛、平和、幸福を求めます。しかしその探求自体が、しばしば恐怖や不安から生まれています。人は権威、宗教、思想、教師、組織、理想、信念に頼ろうとしますが、それらはかえって人間を依存させ、分裂させます。クリシュナムルティは、真の自由は誰かに従うことでも、理想を追うことでも、方法を実践することでもなく、自分自身の心の動きを直接観察することから始まると説きます。
 

本書で繰り返されるのは、「観察すること」の重要性です。怒り、嫉妬、恐怖、快楽、悲しみ、孤独、愛着、野心などを、善悪で裁いたり、抑圧したり、分析したりせず、そのまま見る。そのとき、観察者と観察されるものの分裂が消え、思考が作り出していた心理的葛藤が終わる可能性が開かれます。

 

クリシュナムルティにとって、思考は記憶と時間の産物です。実用的な領域では思考は必要ですが、心理的な領域では、思考が「私」という中心を作り、過去を引きずり、未来への不安を生み、比較や欲望を絶えず発生させます。したがって、思考によって自由や愛や真理に到達することはできません。

 

愛についても、本書は非常に厳しく問い直します。通常「愛」と呼ばれているものの多くは、依存、所有、嫉妬、快楽、安心への欲求、義務、責任感、自己憐憫にすぎないとされます。愛は訓練や意志によって生まれるものではなく、恐怖や依存や自己中心性が終わるところに現れる、生きた現在のものです。

 

最終的に本書が示すのは、真の変容は時間をかけて徐々に達成されるものではなく、自分自身の全構造を一瞬にして見る「洞察」によって起こる、ということです。自由とは、社会から逃避することではなく、既知の心理的束縛から解放されて、いまをまったく新しく見る精神の状態です。その静けさの中に、愛、美、瞑想、真の宗教性があるとクリシュナムルティは語ります。

 

 

☆重要ポイント10

1.人間は「既知のもの」に縛られている

 記憶、経験、文化、宗教、知識、自己イメージが、私たちの見方や行動を条件づけている。

2.外的な権威に従っても自由にはなれない

 宗教、教師、思想、制度、理想に依存することは、真の理解ではなく新たな束縛を生む。

3.自己理解が変容の出発点である

 世界の混乱は自分自身の内面の混乱と切り離せない。社会を変えるには、まず自分の心の動きを見る必要がある。

4.観察は判断や分析ではない

 怒り、恐怖、嫉妬、欲望などを「良い・悪い」と裁かず、逃げず、抑えず、そのまま見ることが重要である。

5.思考は過去の産物であり心理的自由をもたらさない

 思考は記憶から生まれ、時間・比較・不安・葛藤を作り出す。思考によって真理や愛に到達することはできない。

6.恐怖は時間と思考から生まれる

 「失うかもしれない」「こうなるかも」という未来への投影が恐怖を作る。恐怖を理解するには、それを直接見る必要がある。

7.快楽の追求は苦しみを伴う

 快楽を記憶し、それを繰り返そうとする思考が、執着・依存・不満・恐怖を生む。

8.愛は依存・所有・嫉妬・義務ではない

 相手を自分の安心や快楽のために必要とする関係には自由がなく、したがって愛もない。

9.真の変化は時間によってではなく洞察によって起こる

 「いつか変わる」のではなく、自分の心の全体構造を今この瞬間に見ることが、根本的変容につながる。

10.瞑想とは方法ではなく静かな気づきである

 訓練や技法としての瞑想ではなく、思考が静まり、観察者の中心が消えたところに、自由・愛・美・宗教性が現れる。

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さて、一昨日投稿した(その10)の記事の最後に

参考関連記事としてシェアした

情報洪水の時代をどう生きるか(その8)

に次のようなことを書きました。

 

「初源を問う」姿勢において、

一番徹底されていたのは吉本隆明さんでした。

わたし自身、「初源を問う」姿勢については、

大事にしてきたつもりでしたが、

吉本さんほど徹底している人はいません。

したがって、2016年頃から吉本さんの著作に

手が届くようになって以降は、

それまでの思索が集約されていったのみならず、

根底から揺さぶられ見直しを迫られたわけです。

 

「〝源〟とは何か?」という問いを立てて

考える上で欠かせない人物が吉本隆明さん。

 

臨床心理士、カウンセラーの宇田亮一さんは

吉本さんの著作解説本を

5冊上梓されています。

『吉本隆明「心的現象論」の読み方』

『吉本隆明「共同幻想論」の読み方』

『吉本隆明〝心〟から読み解く思想』

『吉本隆明「言語にとって美とはなにか」の読み方』

『吉本隆明「マスイメージ論」を読む』

 

 

 

20代の頃に手に入れた吉本さんの三部作に

まったく歯が立たなかったわたしが

多少なりとも読める入口に

立てるようになれたのは、

宇田さんの本に出会えたお陰です。

 

三部作の解説本としては

宇田さんが一番最後に出版された

『吉本隆明「言語にとって美とはなにか」の読み方』

の冒頭に置かれた第1部には

吉本さんの思想がどういうところから生まれたか

まさに、吉本さんの〝源〟は何かという話で、

100ページほどの分量が割かれています。

 

それで、第1部第2章の【1】

「初源ということ(吉本本質論)」の冒頭部を

以下に引用してご紹介することにしました。

 

途中で宇田さんも書かれていますが、

いわゆるアカデミックな学問世界とは

ある意味、隔絶した内容ということもあり、

意味を解釈しようとして読まれると、

たぶん、よくわからないとおもいます。

 

わたしも最初はよくわからず、

繰り返し繰り返し読み込んでいくうちに、

自分のそれまでの知り得た知識との接合が

すこしずつ起きていって

「ああ、ナルホド!そういうことか!」と。

 

ですから、言葉の意味にあまりとらわれずに、

エネルギーの流れを感じるように

「〝源〟を生きるとはどういうことか?」とか、

「初源を探索するとは?」といった

問いについて自ら考えるためのヒントとして

以下は読み進めていただければと。

 

(引用ここから)
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【1】初源ということ(吉本本質論)
昔、「思想の科学」という本がありましたが、思想と科学とは、いったいどういう関係にあるのでしょうか。輪郭がはっきりしているのは科学のほうです。〝測定可能なものを扱う〟という基本ラインがはっきりしているのです。「地球と月とはどのくらいの距離があるのか」という問いに科学は向き合うことができます。しかし、「幸せとは何か」という問いに科学は直接、向き合うことができません。この問いに答えるためには測定可能な形に問いを置き直すことが必要になります。いいかえれば、科学は測定できないものは切り捨てるのです。しかし、私たちの生きている世界は測定不能なもので満ちています。

 

実は、この測定不能なものをそのまま受け取り、これに論理を与える行為、これこそが思想行為だということができます。だとすれば、「思想の科学」は、測定不能なものを測定可能なものにする試みだったのでしょうか......そこのところはよくわかりませんが、こういうことは言えそうです。測定可能なものをあつかう科学では〝実証〟がベースになるが、思想はそうではないと。もちろん、〝実証〟は思想においても重要なのですが、思想そのものの根拠にはならないのです。吉本さんは言います。思想において最も重要なのは〝実証〟ではなく、〝初源〟だと。


吉本さんは主要三部作(『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現象論』)において、〝言語〟〝国家〟〝心〟と格闘しましたが、いわゆる人文科学では、〝言語〟〝国家〟〝心〟をすべて測定可能なものとして取り扱います。つまり、〝言語〟〝国家〟〝心〟の実在は疑われていないのです。もっといえば、〝言語〟〝国家〟〝心〟はまるで実証されたものであるかのように取り扱われます。


しかし、吉本さんはこの立ち位置を拒否します。吉本さんに言わせると、こういう考え方で積み重ねられる人文科学の知見は〈砂上の楼閣ともいうべき、とても頼りないもの〉ということになります。ですから、吉本さんは砂上の楼閣の土台を掘りかえし、確かな地面をみつけ、そこからさらに掘り下げようとするのです。この掘り返し作業が〝初源〟の探索ということになります。


では、〝初源〟の探索とは具体的に何を意味するのでしょうか。それは、〝言語〟〝国家〟〝心〟でいえば、以前の言語〟〝国家以前の国家〟〝以前の心〟を探しだすということです。そうしないと、〝言語〟〝国家〟〝心〟の本質へはたどりつけないというのが吉本さんの基本的な考え方なのです。このことは吉本理解において、はずすことができません。


ただ、ここではいったん、「〝初源〟とは何か」という問いは横に置いて、吉本さんの〝初源〟へのこだわりが何に由来するのかをみておきましょう。吉本さんは、なぜ、これほどまでに〝初源〟にこだわるでしょうか。砂上の楼閣とはいえ、人文科学というアカデミズムの学問体系の中で吉本さんが〝実証〟的な仕事をやっていれば、今頃、確実にいくつかの大学で〝吉本隆明研究〟という講座が成立していたと思います。しかし、吉本さんにとって、そんなことはどうでもよかったのです。吉本さんには〝初源〟にこだわらざるをえない切実な理由があったのです。その理由を一言でいうとすれば、「思想における〝党派性〟を超える」という課題にほかなりません。


〝政治思想の党派性〟でいえば、戦争敗戦期だけでなく、現代日本の政治思想においても党派性は脈々とつながっています。憲法をめぐる政治的立場は大きく分けて二つあります。「護憲派」と「改憲派」の二つです。ここでいう「護憲派」と「改憲派」は、歴史をさかのぼっておおざっぱに言えば、「民主制」と「天皇制」という流れにおきかえることができます。第一章の言葉でいえば、「西洋近代」と「日本回帰」という言葉におきかえることができます。

 

わたしたちはともすれば、「どっちが自分の意見に近いか」、あるいは「どっちが本当なのだろうか」といったことを考えがちですが、吉本さんは「この対立構造はどこからやってくるのか」を考えるのです。そして、「どういう回路を用いればこの対立の構図から抜け出せるのか」を吉本さんは本気になって考えていくのです。これが〝初源〟への探求へつながっているのです。


〝党派性〟の問題をもうすこし枠をひろげていえば、吉本さんが生きた時代の世界思想は「観念論か、唯物論か」という二つの大きな流れがありました。この二つの大きな流れにおいて、熾烈な論争が繰りひろげられたのです。吉本さんは、この「観念論か、唯物論か」という二項対立的問題設定を乗り越えるために、観念論を時間概念でおさえ、唯物論を空間概念でおさえていきます。

 

ここから、吉本〝時空間〟思想ともいうべき考え方が生まれてくるのですが、日本の政治思想の党派性をここにざっくりと収束させるとすれば、天皇制は〝観念論(時間論)〟へ、民主制は〝唯物論(空間論)〟へと置きなおすことができます。いわゆる右寄りの人たちの史観は天皇制(日本的なもの)を基点にして、ものを考えますが、このことは〝時間性〟を重視するということであり、いわゆる左寄りの人たちの史観が近代西欧的な民主制(西洋近代的なもの)を基点にして、ものを考えるということは〝空間性〟を重視するということにほかなりません。

 

そして、大事なことは、吉本さんが、この〝時間性と空間性〟の両者をともに手放そうとしないことなのです。ただし、吉本さんの時間性と空間性は、いわゆる政治思想家のとらえ方とは全く異なります。時間でいえば、数千年単位の時間でなく、気の遠くなるような時間を吉本さんは問題にするのです。つまり、吉本さんは天皇制から始めるのではなく、根源にある自然宗教、原始宗教から考察をはじめるのです。『南島論』はそうした文脈の中にある論考です。いずれにしても、こうした探求の結果、生まれてきたのが共同幻想という概念にほかなりません。この概念によって、吉本さんは「天皇制」と「民主制」、あるいは「日本回帰」と「西洋近代」という党派性を乗り越えようとしたのです。


吉本〝時空間〟思想には〝時空転換〟という概念を用いて〝時間〟と〝空間〟とを転換するという際立った特色があります。いいかえれば観念論を唯物論に置き換え、唯物論を観念論に置き換えるのです。

 

この魔術のような〝時空転換〟を成立させるために、吉本さんは〝初源〟という場所に入っていくのです。時間(観念論)と空間(唯物論)とが未分化な〝初源〟に着目するのです。そしてそこから、今度は逆に、吉本さんはこの時間と空間を極限まで拡張していくのです。この結果、時間についていえば、吉本さんは〈未来を考えることは過去を考えることだ〉という地平にたどりつきます。つまり、〝これから先〟を考えることは、〝これまでのことを考えることと同じことだという考え方にたどりつくのです。

 

ちなみにヘーゲルは、人類史をアフリカ的段階からアジア的段階へ、アジア的段階から西洋近代的な段階へと発展してきたものととらえますが、このヘーゲルの史観の特色は発展段階を劣悪なものから優れたものへの移行〉とみなすことにあります。これに対して、吉本さんはそうは考えないのです。「歴史は西洋近代的な段階の後に、アフリカ的段階、アジア的段階を再構成することになる」という未来予想図を描くのです。これが吉本思想の真骨頂です。第一章で述べた「日本回帰」と「西洋近代」を共に拒絶した吉本さんがたどり着いた場所が、ここだったのです。

 

たぶん、こういう歴史観は、吉本さんの着想になじみの薄い方からみると、「何のことか、さっぱりわからない」、あるいは「何をアホなことを」と思われると思います。しかし、その論理展開にはうなるものがあります。もし関心があれば、『〈新装版〉吉本隆明「共同幻想論」の読み方』(アルファベータブックス)を読んでみてください。〈未来を考えることと過去を考えることとは同じことだ〉という吉本さんの考え方を、わたしなりにわかりやすく解説したつもりです。

 
次に空間です。吉本思想の極めて重要なポイントは、空間を時間の転換としてとらえるところにあります。ひとつ例をあげるとすれば、都市論です。吉本さんは現在のナイロビをアフリカ的段階、北京、バンコクをアジア的段階、東京、ニューヨーク、パリを西洋近代的段階の都市というふうに時間に置きかえていくのです。これが吉本さんの時空転換〟です。

 

ここから〈いずれ、ナイロビ、北京、バンコクは西欧近代的な都市である東京、ニューヨーク、パリのような都市になっていくであろう〉という陳腐な発想を越えていくのです。つまり、吉本さんは逆方向も同時におさえるのです。〈いずれ、東京、ニューヨーク、パリという西欧近代的段階の現代都市は、ナイロビや北京、バンコクといったアフリカ的、あるいはアジア的段階の都市をみずからの都市内部に再構成していくことになるだろう〉と考察していくのです。

 

たぶん、こうした論理展開は、吉本さんの議論になじんでいない人には、全く意味が「分からない」と思います。なんで、「吉本さんが都市論にこだわるのかが、そもそもわからない」と思います。しかし、吉本さんはこうした論考によって〝国家〟を〝国家以前の国家〟から〝国家以後の国家〟までという気の遠くなるような悠久の時間の中でとらえようとしているのです。言い換えれば、〝国家以後の国家〟を都市論の中で展開しているのです。


ただ、本書の目的はそこにはありませんので、ここでは、もう一度、〝初源〟の話にもどります。わかっていただきたいことは、吉本さんの〝初源〟へのこだわりが、時間と空間がどのように分離するかを見極めるためにあるということです。そこを見極めて生み出された概念が『言語にとって美とはなにか』の自己表出、指示表出、『共同幻想論』の個人幻想、対幻想、共同幻想、『心的現象論』の原生的疎外、純粋疎外という概念なのです。〝初源〟における時空間の分離ということが分かっていないと、吉本さんがこれらの概念を何のために生み出したのかがチンプンカンプンになってしまいます。なぜなら、だれもそんなことを考えたことがないからです。逆にこのことをわかっていると、私たちはこれまで学んできた学問の世界とは隔絶した領域に足を踏み入れることができるのです。


ただ、ここでは、これらの概念を個別に取り上げません。個別概念は、それぞれの解説書に任せたいと思います。ここでは、これらの概念は、いったいどういう関係性をもっているのかということをおさえたいと思います。そうすることで、吉本〝時空間〟思想の全体像がもっともよく見通せるからです。〝時間〟〝空間〟〝時空転換〟という概念をもっとも大きな枠組みで見極めることができるからです。詳細は前著『吉本隆明〝心〟から読み解く思想』(彩流社)をご覧下さい。

宇田亮一『吉本隆明「言語にとって美とはなにか」の読み方』第二章 吉本思想とは、いったいどんな思想なのか より
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(引用ここまで)

 

 

この続きはまた明日に!(^^)/

 

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