6/1〜6/29に書いたblog記事ふりかえりとタイトル一覧
2023/06/30
今日は6月最終日なので、
月末恒例の、今月に書いた記事すべてを
読み直してのふりかえりと
記事一覧の投稿です。
それにしても
これで今年も半分過ぎてしまいましたね。
私事で恐縮ですが、
2008年秋に義父が亡くなって以後
妻の実家でひとり暮らしをしていた義母が
今年は87歳になり、
元気ですごしてはいるんですが、
足腰が弱ってきていることもあって
その義母と同居できるように、
自宅をリフォームすると決めたのが
今年の3月のことです。
今月下旬からは自宅のリフォーム工事が始まるので、
その準備のための片付け作業もいよいよ
追い込みを迎えることも事前にわかっていて、
blogを書くための時間を捻出するのが
難しくなることが予想していたので、
一つのテーマをじっくりと掘り下げて書くのが
よいように感じていました。
そもそも、今年の1月末まで、
曜日別にカテゴリーを変えながら
日々の記事を書くやり方で投稿していた理由は、
わたしはもともと何事ものめり込んでしまう
性格の持ち主であることを自覚していて、
自分の書きたいことばかりに集中して
書き続けてしまうことにならないよう
制約を設けるためだったんですが、
その制約を外して5ヶ月が経ち、
今月は、複数のカテゴリを同時に意識しつつ、
ちょうどいいぐらいのバランスで
書けるようになってきた実感があったからです。
たとえば、先月は、3日に寺子屋デイがあり、
インタビューゲームを行ったことを発端に
インタビューゲーム、対話的コミュニケーション、
対幻想的やりとりと続き
「対話」というテーマにスポットが当てながら
書き続けてみたんですが、
今月は1ヶ月間を通してのテーマが
「書くこと」に集中することになった
一番のモトとなる発端を探ってみると、
6/3に 字を書くとは身二つになること という
記事を書いたことにあったとわかってきました。
なぜなら、わたし自身が分身の術を使いたいくらい
自宅の部屋の片付けで
タイトな毎日を過ごしていることに
その伏線が潜んでいて
5/4に 1円切手の人物・前島密 という
記事を書いて、その終わりに
前島密が母親に宛てて書いた手紙を紹介し、
さらに、塾生の板倉くんが書いた
という記事を読んだことと結びついて、
改めて「書くこと」と
「教えない教育」との関係について
というテーマが浮き彫りになったようです。
いや〜 ふりかえってみるというのは、
本当にオモシロイですねぇ〜
どうして24回も書き続けられたのか、
自分でもフシギだったんですが、
丁寧に観察すればちゃんとその理由は
見えてくるわけで。
あと、中味についても、
なるべく準備をせず、考えずに
その時々で閃いた言葉を紡ぎ出していくという
考現学のスタンスは大事にしてきたつもりです。
もちろん、下旬にさしかかって、
塾生たちのblog記事を紹介していたあたりでは、
今月いっぱいこのテーマで書き続けられるという
見通しはもっていたんですが、
6/24にインタビューゲームのセッションを
寺子屋塾で行ったときには
インタビューのまとめを書く姿勢がまさに考現学
という、そのとき意識にのぼったナマの気づきを
リアルタイムにちゃんと組み込みながら
書くこともできました。
ただ、最後の方で、吉本隆明さんのことや
ウィトゲンシュタインのことを
書いておきたいということは
途中から何となく朧気に
脳裏に浮かんでいたことだったとはいえ、
ウィトゲンシュタインの言語ゲームが
それまで書いてきた話を
すべて包括してしまうくらいの
とてつもない大きな概念で、
「教えない教育」のコンセプトそのものまでも
含んだものであることは、わたし自身
書きながら新たに気づいたことで、
今回の連投記事を書き始める前から
わかっていたことではありません。
ひとつ心残りだったことを敢えて挙げるなら、
塾生の本田さんが主催した
『世界は贈与でできている』の読書会が
5/27に終了し、
9回にわたって行われた読書会での気づきを
印象が薄れてしまわないうちに
整理してまとめておきたいとおもいつつ、
書けなかったことがあったかな、と
書こうとしたんですが、
それもこうしてふり返ってみて、
結果として、
あくまで結果として、なんですが、
24回の記事中に
その記事で自分が書きたかったことの多くは
書いてしまっていたことに気付かされたのです。
つまり、わたし自身が
何を書こうとしているのか
わたし自身すらわからない状態で、
日々書き続けていることほど
わたし自身にとってワクワクする
刺激的な時間というのはないわけで、
考現学を書くこと、書き続けることの面白さを
改めて再確認できた感じがしました。
それにしても、同じテーマで24回連続で書くのは
このblogでも過去最高の長さで、
おそらくその記事だけ取り出しても、
通して読めば、ぶ厚めの新書本1冊分くらいの
分量になるんじゃないかとおもいますし、
このようなタイトで時間がないときこそ、
書く分量は減るどころか、ドンドン増えてゆき、
平常時よりも中身の充実した記事が
書けるものだということです。
この〝充実した記事〟という表現については、
今月中旬頃から、blog記事へのアクセスも
比較的最近になって更新した記事に対する数値が
うなぎのぼりに増加する傾向がでてきていて、
わたしだけの主観的意見というか、
独りよがりなおもいこみではありません。
次の画像は6/21時点で
1日の間でのページビューランキングです。
結局、時間があるかないかということと
書ける、書けないということは
まったく関係が無いんですね。
以下、5/31から6/29までに投稿した
記事タイトル一覧です。
6/6以降24回連続で書いた同タイトルの記事には、
何が書かれているか概略がわかるように
記事の中味を示す言葉を補いました。
5/31 5/1〜5/30に書いたblog記事ふりかえりとタイトル一覧
6/1 2023年5月度の易経実践ふりかえり
6/2 どん底まで落ちたらあとは浮上するだけ(つぶやき考現学 No.23)
6/3 字を書くとは身二つになること
6/4 OPENな場で書くことはなぜ大切?
6/5 ブレヒト「真実を書く際の5つの困難」より(今日の名言 その60)
6/6 改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その1)
平井雷太『「〜しなさい」と言わない教育』より①
6/7 (その2)平井雷太『「〜しなさい」と言わない教育』より②
6/8 (その3)平井雷太『「〜しなさい」と言わない教育』より③
6/9 (その4)今和次郎の考現学について
6/10 (その5)月刊通信『楽々かわらばん』第18号より
6/11 (その6)その4〜5のふりかえり、補足
6/12 (その7)塾生Mさん(1996年当時高3女子)の考現学
6/13 (その8)『生きるとは、生かされること』の解説・加藤哲夫
6/14 (その9)『加藤哲夫のブックニュース』より①
6/15 (その10)「自分の頭で考えるために一番大事なことは、自分の頭だけで考えないこと」加藤哲夫
6/16 (その11)『加藤哲夫のブックニュース』より②
6/17 (その12)本当の自分って何?目隠し構造って何?
6/18 (その13)塾生・坂田美佐子さんのblog記事
6/19 (その14)その13へのコメント+塾生・塩坂太郞くんのblog記事
6/20 (その15)その14へのコメント+塾生・岡本怜奈さんのblog記事
6/21 (その16)その15へのコメント
6/22 (その17)塾生・廣安裕文くんのblog記事
6/23 (その18)その17へのコメント
6/24 (その19)松岡正剛事務所ニュースレター〝一到半巡通信〟より平井雷太氏の記事
6/25 (その20)ナタリー・ゴールドバーグ『書ける人になる 魂の文章術』の紹介
6/26 (その21)その20の補足、日本語文章術を実践する上で推薦する良書3冊の紹介+異世代間の相互理解をすすめるために
6/27 (その22)『吉本隆明 自著を語る』から〝自己表出〟と〝指示表出〟について
6/28 (その23)ウィトゲンシュタインの言語哲学について
6/29 (その24)その23へのコメント+全体の総括
※リフォーム準備で、
自宅の裏庭にあった紫陽花も抜根して
なくなってしまったため、
冒頭の写真は
毎朝散歩で歩いている住吉神社の紫陽花です
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寺子屋塾に関連するイベントのご案内
7/30(日) 易経初級講座 第13回
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