我未見好仁者惡不仁者(『論語』里仁第四の4 No.72)
2024/05/12
今日も昨日に続いて
論語499章1日1章読解から。
この記事が今月5回目の投稿になるんですが、
これまでは主に学習というテーマの
周辺に関連する章句を読んできました。
・不曰如之何如之何者(『論語』衛霊公第十五の15 No.394)
・學如不及、猶恐失之(『論語』泰伯第八の17 No.201)
・性相近也、習相遠也(『論語』陽貨第十七の2番 No.436)
今日は、寺子屋塾で
開塾時から基本教材として採用している
らくだメソッドの学習プログラムとも
関連が深いように感じた
里仁第四の4番(通し番号72)を。
本章は既にふりかえり記事(その3)でも
紹介したことがありましたが、
寺子屋塾ブログの毎日投稿を始めてから
間もない頃のことで、
2年半以上経過していますし
セルフラーニングの核心について触れている
とても大事な章ということもあるので、
若干リライトして再録しておこうとおもいます。
そのふりかえり記事にも書いたことですが、
論語499章を読み始める前には、
今までわたしが実践してきたこととは
対極に位置するとおもっていた孔子の世界が、
実はそんなに遠く
離れたものではないと気づいたことには
正直わたし自身、驚きすら感じました。
(引用ここから)
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【里仁・第四】072-4-06
[要旨(大意)]
仁に志す人は少ないが、その実践は1日1日の積み重ねであり、けっして難しいことではないことを孔子が述べている章。
[白文]
子曰、我未見好仁者惡不仁者、好仁者無以尚之、惡不仁者其爲仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者、蓋有之乎、我未之見也。
[訓読文]
子曰ク、我未ダ仁ヲ好ム者、不仁ヲ惡ム者ヲ見ズ、仁ヲ好ム者ハ、以テ之ヲ尚フル無シ、不仁ヲ惡ム者モ、其レ仁ヲ爲ス、不仁者ニシテ其ノ身ニ加ヘシメザレバナリ、能ク一日モ其ノ力ヲ仁ニ用イルモノ有ランカ、我未ダ力ノ足ラザル者ヲ見ズ、蓋シ之レ有ラン、我未ダ之ヲ見ザルナリ。
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、我(われ)未(いま)ダ仁(じん)ヲ好(この)ム者(もの)、不仁(ふじん)ヲ悪(にく)ム者(もの)ヲ見(み)ズ、仁(じん)ヲ好(この)ム者(もの)ハ、以(もっ)テ之(これ)ヲ尚(くわ)フル無(な)シ、不仁(ふじん)ヲ惡(にく)ム者(もの)モ、其(そ)レ仁(じん)ヲ為(な)ス、不仁者(ふじんしゃ)ニシテ其(そ)ノ身(み)ニ加(くわ)ヘシメザレバナリ、能(よ)ク一日(いちじつ)モ其(そ)ノ力(ちから)ヲ仁(じん)ニ用(もち)イルモノ有(あ)ランカ、我(われ)未(ま)ダ力(ちから)ノ足(た)ラザル者(もの)ヲ見(み)ズ、蓋(けだ)シ之(こ)レ有(あ)ラン、我(われ)未(ま)ダ之(これ)ヲ見(み)ザルナリ。
[ひらがな素読文]
しいわく、われいまだじんをこのむもの、ふじんをにくむものをみず、じんをこのむものは、もってこれをくわうるなし、ふじんをにくむものも、それじんをなす、ふじんしゃにしてそのみにくわえしめざればなり、よくいちじつもそのちからをじんにもちいるものあらんか、われいまだちからのたらざるものをみず、けだしこれあらん、われいまだこれをみざるなり。
[口語訳文1(逐語訳)]
先生が言われた。「私は仁を好み、不仁を憎む者を見たことがない。仁を好む者には、これ以上何も言うことはない。不仁を嫌う者は、それが仁の実践になる。不仁の行為がその身には起こらないからだ。たった一日その力を仁に向け切る事が出来る者はいるだろうか。私はその力が足りない者を見たことがない。いるのかもしれないが、私はまだ出会ったことがない。
[口語訳文2(従来訳)]
先師がいわれた。――
「私はまだ、真に仁を好む者にも、真に不仁を悪む者にも会ったことがない。真に仁を好む人は自然に仁を行なう人で、まったく申し分がない。しかし不仁を悪む人も、つとめて仁を行なうし、また決して不仁者の悪影響をうけることがない。せめてその程度には誰でもなりたいものだ。それは何もむずかしいことではない。今日一日、今日一日と、その日その日を仁にはげめばいいのだ。たった一日の辛抱さえできない人はまさかないだろう。あるかも知れないが、私はまだ、それもできないような人を見たことがない」(下村湖人『現代訳 論語』)
[口語訳文3(井上の意訳)]
先生がいわれた。「私は、仁を好む人も不仁を憎む人もいたって少ない。仁を好む人は、もうそれ以上文句のつけようがない最上の価値だ。不仁を憎む人も、(消極的であっても結果として)仁を実践している。なぜなら、そうすれば不仁の人から影響を被ることがないからだ。今日1日、そしてまた1日とその日その日に仁を実践すればいい。私は、力の足りなくて仁が1日実践できない者を見たことがないからだ。いや、あるいはそうした人もいるかも知れないが、私はまだ見たことがない。」
[語釈]
我未見:私はまだお目にかかったことがない。
無以尚之:何物もこれに加えることができない。最上の価値がある。「之」は仁を指す。
尚:加える。
為仁矣:仁を行なうだろう。
不使不仁者加乎其身:不仁な人から自分の身に悪い影響を及ぼさない。
蓋:あるいは。
有之矣:「之」は力の足りない者。
[井上のコメント]
この章は問答形式にはなっていませんが、「不仁者にそれ以上の悪行を重ねさせず、仁の実践に努められるようにするためには、どうしたら良いでしょうか」と問われ、孔子が答えた章ととらえてみてはどうかとおもいました。この世の中ではけっして多数派ではないけれど、仁の徳を好んで体得しようとする人も、人としての道(仁)を踏み外す不仁者を憎む人も、同じように「仁」を志しているんだと孔子は言います。そして孔子は、まず「たった1日」でいいので、仁を実践してみることを提案します。
その理由として、「たった1日の仁の実践に必要な力も持っていないという人間にはまだ出会ったことがない」と述べているんですが、これは、わたしが寺子屋塾の教室で常々、「大きな理想や目的なんて掲げる必要はなくて、まず目の前のプリント1枚をやることです。それなら誰にでもできるはずだから。1日24時間だれにも平等に与えられているわけですから、30分足らずで終わる目の前にあるプリントができない理由なんてどこにもないですよね? まずできることをやろうとしないのに、簡単に達成できないような大きな理想や目的を将来達せられるとおもいますか?」と話していることと重なりました。笑
そして、冒頭の問いに戻りますが、無道な振る舞いをする非常識な不仁者も、周囲の人たちの適切な教育や指導があれば、十分に改悛や更生の余地があることを示しているのではないでしょうか。千里の道も一歩から。なによりもまず今日1日を丁寧に生きようと心がけることからしか始まらず、人生というのは、結局そうした1日1日の積み重ねでしかないのですから。
あと、最後の「蓋有之乎、我未之見也」については、「いや、もしかするとそうした人もいるかもしれないけれど、わたしは見たことがないんだ」と、人間の多様性に想いを馳せて、断定的に語ったことを一旦ゆるめつつ、あくまで自分の経験してきた範囲内の話だからと念を押す含みのある表現に、孔子のもつ※アワ性(女性性)の豊かさが感じられました。
※サヌキ性(男性性)とアワ性(女性性)の対比については次の記事を参照下さい。
●論語499章1日1章読解 過去の投稿記事一覧
【為政・第二】020-2-04 吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑
【八佾・第三】063-3-23 子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也
【里仁・第四】073-4-07 人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣
【里仁・第四】076-4-19 君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比
【里仁・第四】077-4-11 君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠
【里仁・第四】084-4-18 事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨
【雍也・第六】129-6-10 冉求曰、非不説子之道、力不足也
【雍也・第六】136-6-17 人之生也直、罔之生也、幸而免
【雍也・第六】138-6-19 中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也
【雍也・第六】146-6-27 中庸之爲德也
【雍也・第六】147-6-28 子貢曰、如能博施於民、而能済濟衆、何如
【述而・第七】148-7-1 述而不作、信而好古、竊比於我老彭
【述而・第七】163-7-16 如我數年、五十以學、易可以無大過矣
【述而・第七】170-7-23 二三子以我爲隠乎、吾無隠乎爾
【子罕・第九】215-9-10 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前
【子罕・第九】228-9-23 法語之言、能無從乎、改之爲貴
【子罕・第九】234&235-9-29&30 可與共學、未可與適道、可與適道
【顔淵・第十二】279-12-1 顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁
【子路・第十三】323-13-21 不得中行而與之、必也狂狷乎
【子路・第十三】324-13-22 南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫
【子路・第十三】325-13-23 君子和而不同、小人同而不和
【子路・第十三】328-13-26 君子泰而不驕、小人驕而不泰
【憲問・第十四】337-14-5 有德者必有言、有言者不必有德
【衛霊公・第十五】381-15-2 賜也、女以予爲多學而識之者與
【衛霊公・第十五】384-15-5 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣
【衛霊公・第十五】396-15-17 君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之
【季氏・第十六】429-16-9 生而知之者、上也、學而知之者、次也
【陽貨・第十七】443-17-9 小子、何莫學夫詩、詩可以興
【堯曰・第二十】499-20-3 不知命、無以爲君子也、不知禮
【論語読解の参考記事】
・情報洪水の時代をどう生きるか(その6)
・顔回をめぐる問いと諸星大二郎『孔子暗黒伝』のこと
・書経・商書「生きる方向軸が一つに定まっていれば吉」(「今日の名言・その7」)
・問題解決ツールのコレクターになっていませんか?(つぶやき考現学 No.59)
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