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論語と易経のつながりに触れて(5/21日筮で火風鼎を得て)

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論語と易経のつながりに触れて(5/21日筮で火風鼎を得て)

論語と易経のつながりに触れて(5/21日筮で火風鼎を得て)

2024/05/21

今月は論語月間というか、

5/8からずっと論語関連の記事を書き続けています。

 

5/18はインターミッションのつもりで、

安田登さんの本から論語に触れた箇所を引用する

記事の投稿を1回挟みました。

本当の「切磋琢磨」(安田登『役に立つ古典』より)

 

それ以外の日は、

2019年元旦から2020年5月中旬まで

全部で499章ある論語を1日1章ずつ読んで

Facebookに投稿していた記事から、

主に〝学習〟というテーマの

周辺に関連する章句を選んで投稿しています。

 

「論語499章1日1章解読」の詳細については、

この記事の最後に付したリンク集の

ふりかえり記事(その1〜3)をご覧下さい。

 

 

さて、今日も「論語499章1日1章解読」から

紹介するつもりで準備をしていたんですが、

次のような理由で変更することにしました。

 

2016年元旦から

毎日サイコロを振って、

易を立てているんですが、

本日5/21の日筮が「火風鼎の上九」だったのです。

 

その日の日筮については、

いつも卦辞と爻辞を読んで、

昨年暮れからは、

自分なりの占断コメントも記すようにしていて、

その際に、

卦辞と爻辞の説明文にも目を通しているんですが、

河村真光『易経読本 入門と実践』には、

火風鼎の説明ページに、

占例として孔子や子貢、顔回といった、

論語の登場人物が載っていることを

おもいだしたからです。

 

ちなみに鼎とは、冒頭の写真のような

古代中国で使われた煮炊きをする

三本足の鍋のこと。

 

上卦が外卦「火(離)」が内卦「風(巽)」に煽られ、

また風は木も表すことから、

盛んに燃えるさかるさまが卦象。

「養い」「安定」「安泰」を意味する卦。

 

次の画像はこちらの記事より拝借したんですが、

卦象そのものが鼎の形を示していて

オモシロイですね〜

論語と易経のつながりについては、

以前にも次の記事で触れたことがありました。

「論語499章1日1章読解」より易経の内容に触れた2章

 

2016年元旦より

毎日易を立てていたことが、

結果として論語を読む準備に繋がったという話は

論語499章1日1章解読ふりかえりに

書いたんですが、

知識や情報は、知っている数が多いかどうかよりも

その知識や情報が

それ以外の物事との繋がりを関連付けながら

理解できているかどうかが、

メチャクチャ重要だと痛感しているからです。

 

ちょうど火風鼎の占例が紹介されている文章には、

心理学者ユングの名前も登場しているので、

論語と易経だけでなく、

心理学と易経のつながりというテーマについても

考えるヒントになるんじゃないかと。

 

(引用ここから)

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【50.火風鼎 事例・要約】

フロイトの弟子でありながら、後に師と袂を分かち、「集合的無意識」という概念を打ち出したスイスの精神医学者カール・ユングは、自分自身をよく「魂の医者」と呼んでいた。彼が易に精通していたことは有名で、同書が刊行されるに当たり、この古い東洋の本を西洋に紹介する意義が果たしてあるかどうかが彼も気になったとみえて、『易経』の英訳本に寄せたユングの序文には自ら占ってみたことが記されている。それによると「火風鼎の初爻変、火天大有に之く」と出た。

 

初六の爻辞には、「鼎、趾(あし)を顛(さか)しまにす。否を出(い)だすに利あり」とある。意味は、初六は上に向かって九四に「応」ずるので、黒の足が上に向く。つまり鼎がひっくりかえり中身を洗いざらい流してしまう。要するに料理をする前に、黒の中に溜まっていた古いもの(否)を捨ててしまう。そうすると、「利あり」、有利となる。

 

そこでユングは、『易経』がこれまで西洋に紹介されなかった、つまり逆さまになっていたと解釈したので、この際刊行することは大いに意義ありと考えた。また鼎は天子第一の宝物で、最高の権威を象徴するものである。同書がとくにアメリカで圧倒的に受け入れられ、現在もなおもてはやされている事実は、鼎が予言した通りだった。この場合、爻変である火天大有は、先行きの展開を暗示するもので、その卦象には、「天上に日輪の輝くさまを表し、輝きを発する」とあり、これまで隠されていたものまでが明るみに出ることを示している。だから西洋人の探し求めていたものが、ようやく姿を表したと彼は解釈したのである。さだめしユングの心には、期すものがあったに違いない。


他にも火風鼎の占筮例としては、孔子が弟子の子貢を使者として他国に派遣した話がある。この話は創作かもしれないが、だがここには、易で占う際は、杓子定規の解釈ではなく、本人の内的・外的状況、その時点の勢いなど、それらを総合的に判断しなくてはならないとする鉄則の見本がある。


孔子が亡くなった時、門弟たちの中から70人あまりが3年間の喪に服した。しかし弟子の子貢だけはさらに3年、都合6年間喪に服した。子貢という人は、よほど一途な人だったようである。それにしても彼は不思議な人で、まるで少年のように汚れのない純粋さを持ちながら、そのくせ理財の道にも長けていた。孔子の中原における遊説・放浪の旅のほとんどの費用は、彼が一人で賄ったといわれている。


さて、その子貢であるが、孔子の命で遠国の旅に出たが、予定の期日になっても一向に帰ってこない。子貢は師の使いで寄り道などをするような人ではないから、孔子を始め一同は心配になり、弟子たちが旅先の子貢を占ってみることにした。それで得た答えが「火風鼎の四爻変、山風蠱に之く」だった。


鼎の九四は、爻辞によると「鼎、足を折る」。鼎の足が折れて中の料理がひっくり返ってしまった。一瞬の油断で、すべてをふいにしたのだからもちろん凶である。また変卦の蠱は、食物が腐って蟲がわいている状況を表すので、そこから難問の処理、立て直しを暗示するものである。


門弟たちは孔子に向かって、「彼は何かの理由で(交通の便)を失ったのです。その対策を今講じていると思います。だからまだ当分は戻ってこないでしょう」と言った。しかし、孔門随一の秀才とうたわれた顔回だけはそれを聞いて笑っていた。その笑いを孔子は見逃さずにすかさず「回よ、お前はどうして笑うのかね」とたずねると、顔回はこう答えた。「私は、彼はまなしに帰ってくると思います。足はなくても、船に乗って帰ってきます」と。そして孔子もまた同じ見解だった。


火風鼎の内卦巽は、もともと木の象徴でもあるから、顔回は内卦巽を船とみなした。つまり子貢は、それに乗ってまっしぐらに外卦離(火=太陽=師)に向かっていると解釈したのである。顔回は子貢の人一倍勝れた資質を知っていたので、この場合はあえて爻辞にとらわれず、火風鼎の卦象を重視したのである。はたして子貢はまもなく帰ってきた。


易経とは所詮、占者次第である。型にはまった杓子定規な解釈では、ナンセンス以外の何物でもない。それにしてもこの話はいかにもよくできている。

 

※河村真光『易経読本 入門と実践』より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)

 

後半の孔子、子貢、顔回が登場するストーリーは、

出典が記されていなかったので、

調べてみたんですが、結局分からず仕舞でした。

 

ただ、著者の河村さんも書いているとおり、

ちょっと出来過ぎの感じもあるので、

後世の創作である可能性は高いとおもいます。

 

 

ちなみに、つぎの写真は、

ユングが序文を寄せた英訳版『易経』
〝THE I CHING(book of change)〟の表紙。

 

 

●論語499章1日1章読解 過去の投稿記事一覧

論語499章1日1章解読ふりかえり(その1)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その2)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その3)

 

【学而・第一】008-1-08 君子不重則不威、學則不固

【為政・第二】020-2-04 吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑

【為政・第二】028-2-12 君子不器

【為政・第二】029-2-13 子貢問君子、子曰、先行其言

【為政・第二】031-2-15 學而不思則罔、思而不學則殆

【為政・第二】033-2-17 由、誨女知之乎、知之爲知之

【八佾・第三】063-3-23 子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也

【里仁・第四】072-4-04我未見好仁者惡不仁者(『論語』里仁第四の4 No.72)

【里仁・第四】073-4-07 人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣

【里仁・第四】076-4-19 君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比

【里仁・第四】077-4-11 君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠

【里仁・第四】084-4-18 事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨

【公冶長・第五】096-5-04 或曰、雍也、仁而不佞

【雍也・第六】129-6-10 冉求曰、非不説子之道、力不足也

【雍也・第六】134-6-15 誰能出不由戸、何莫由斯道也 

【雍也・第六】135-6-16 質勝文則野、文勝質則史

【雍也・第六】136-6-17 人之生也直、罔之生也、幸而免
【雍也・第六】138-6-19 中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也
【雍也・第六】146-6-27 中庸之爲德也

【雍也・第六】147-6-28 子貢曰、如能博施於民、而能済濟衆、何如

【述而・第七】148-7-01 述而不作、信而好古、竊比於我老彭

【述而・第七】149-7-02 默而識之、學而不厭

【述而・第七】153-7-06 子曰、志於道、拠於德

【述而・第七】155-7-08 不憤不啓、不悱不發、擧一偶

【述而・第七】163-7-16 如我數年、五十以學、易可以無大過矣

【述而・第七】164-7-17 子所雅言、詩書執禮

【述而・第七】170-7-23 二三子以我爲隠乎、吾無隠乎爾

【泰伯・第八】201-8-17 學如不及、猶恐失之

【子罕・第九】215-9-10 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前

【子罕・第九】228-9-23 法語之言、能無從乎、改之爲貴

【子罕・第九】234&235-9-29&30 可與共學、未可與適道、可與適道

【顔淵・第十二】279-12-01 顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁

【子路・第十三】323-13-21 不得中行而與之、必也狂狷乎

【子路・第十三】324-13-22 南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫

【子路・第十三】325-13-23 君子和而不同、小人同而不和

【子路・第十三】328-13-26 君子泰而不驕、小人驕而不泰

【憲問・第十四】337-14-05 有德者必有言、有言者不必有德

【憲問・第十四】368-14-36 或曰、以徳報怨、何如

【衛霊公・第十五】381-15-02 賜也、女以予爲多學而識之者與

【衛霊公・第十五】384-15-05 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣

【衛霊公・第十五】394-15-15 不曰如之何如之何者

【衛霊公・第十五】396-15-17 君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之

【季氏・第十六】429-16-09 生而知之者、上也、學而知之者、次也

【陽貨・第十七】436-17-02 性相近也、習相遠也

【陽貨・第十七】443-17-09 小子、何莫學夫詩、詩可以興

【陽貨・第十七】447-17-13 郷原德之賊也

【陽貨・第十七】459-17-25 唯女子與小人、爲難養也

【堯曰・第二十】499-20-03 不知命、無以爲君子也、不知禮

 

●論語読解の参考になる過去投稿記事

安田登『役に立つ古典』〜古典から何を学ぶか〜

本当の「切磋琢磨」(安田登『役に立つ古典』より)

情報洪水の時代をどう生きるか(その6)
顔回をめぐる問いと諸星大二郎『孔子暗黒伝』のこと
書経・商書「生きる方向軸が一つに定まっていれば吉」(「今日の名言・その7」)

問題解決ツールのコレクターになっていませんか?(つぶやき考現学 No.59)

 

 

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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

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