三年學、不至於穀、不易得也(『論語』泰伯第八の12 No.196)
2024/05/25
今月は5/8から古典研究カテゴリで、
論語についての記事を続けて投稿しています。
この記事が今月18回目の投稿になるんですが、
途中5/18は、安田登さんの本から
論語について書かれた箇所を引用して紹介し、
また、5/21は、
河村真光さんが書かれた易経の解説本
『易経読本 入門と実践』から
火風鼎の占例として論語に触れた箇所を紹介するなど
・論語と易経のつながりに触れて(5/21日筮で火風鼎を得て)
横道に逸れ、中やすみ的な記事を投稿しました。
基本はわたしが
2019年元旦から2020年5月半ばまで、
継続して行った論語499章1日1章読解から
主に〝学習〟というテーマの
周辺に関連する章句を読んでいます。
・不曰如之何如之何者(『論語』衛霊公第十五の15 No.394)
・學如不及、猶恐失之(『論語』泰伯第八の17 No.201)
・性相近也、習相遠也(『論語』陽貨第十七の02 No.436)
・我未見好仁者惡不仁者(『論語』里仁第四の04 No.072)
・子貢問君子、子曰、先行其言(『論語』為政第二の13 No.029)
・中人以上可以語上也(『論語』雍也第六の19 No.138)
・子所雅言、詩書執禮(『論語』述而第七の17 No.164)
・質勝文則野、文勝質則史(『論語』雍也第六の16 No.135)
・述而不作、信而好古(『論語』述而第七の01 No.148)
・默而識之、學而不厭(『論語』述而第七の02 No.149)
・興於詩、立於禮、成於樂(『論語』泰伯第八の08 No.192)
・知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者(『論語』雍也第六の18 No.137)
・吾嘗終日不食、終夜不寢(『論語』衛霊公第十五の30 No.409)
さて、本日の記事で取りあげるのは、
学問は生計を立てるために役立つものであっても、
真に学問に志そうとする者は少ないという
現実について孔子が述べている
泰伯第八の12番(通し番号196)を。
(引用ここから)
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【泰伯・第八】196-8-12
[要旨(大意)]
学問は生計を立てるために必要なものだが、真に学問に志す者は少ないと孔子が述べている章。
[白文]
子曰、三年學、不至於穀、不易得也。
[訓読文]
子曰ク、三年學ンデ、穀ニ至ラザルハ、得易カラズ。
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、三年(さんねん)學(まな)ンデ、穀(こく)ニ至(いた)ラザルハ、得(え)易(やす)カラズ。
[ひらがな素読文]
しいわく、さんねんまなんで、こくにいたらざるは、えやすからず。
[口語訳文1(逐語訳)]
先生が言われた。「三年学んで就職しない者はめったにいない。」
[口語訳文2(従来訳)]
先師がいわれた。――
「三年も学問をして、俸禄に野心のない人は得がたい人物だ」(下村湖人『現代訳 論語』)
[口語訳文3(井上の意訳)]
先生がおっしゃった。「三年学問を積んで、仕官(生計を立てるための仕事)を希望しないような者には、なかなか出会えない。」
[語釈]
三年:ここでは三年間と捉えたが「年月が長いこと」という解釈もある。
穀:俸禄、給与、役職。
至:(俸禄を)求める、ありつく。
得:手に入れる、〜できる。
易:〜しやすい。
不易得:めったにいない、得がたい。
[コメント]
短い章ですが、「穀」と「三年」をめぐってさまざまな解釈があるようで、古注では、「穀」を「善」と読み、「3年学んでも善に到達しないものはいない」とし、新注では、「穀」を「俸禄」と読み、「3年勉強した結果として俸禄を欲しがらない者、卒業しても就職を希望せず学問を続けたいという者はめったにいない」としています。他に、「3年学んでも、俸禄を得べき資格に到達しない者はいない。」という解釈、「3年」は数量的な年月の長さではなく、「長期」という意味だという解釈があるようですが、文章は背景や前提といった文脈がその意味を決定づけるので、誰に対してどういう状況で語られた言葉であるかという背景がわからなければ、このように解釈がさまざまに分かれてしまうのは当然でしょう。
このような点から、少し前から参照している九去堂が、泰伯篇を孔子の一行が呉国の使節を接待している場面と想定して読み解こうとしていることは、アカデミックな論語解釈ではほとんど言及されていないのですが、わたしには的を射た姿勢のように感じられます。よって、この章も呉の使節が、孔子の塾や門人たちについて質問したと場面と想定すれば、「うちの愚息もどうでしょう。先生に教えて頂ければ、ひとかどになれますかな?」「わたしの塾ですか? まあひと通り学び終えるまでに10年は掛かりましょう。もっとも大概の門人たちは、3年学ぶとさっさと仕官してしまいますがね。それでも何とかお役目が務まっているようです。」といったやりとりが想像されてきて楽しいです。
孔子に対して、理想主義者というイメージをもっている人は少なくないかも知れません。でも孔子は、代官や大臣を務めて国の政治に携わったことがありましたし、門人から仕官のノウハウについて質問されればちゃんと答えていますから、仕官する手段としての学問を否定しているわけではなく、そういう意味では現実主義者なのです。そのように現実の世の問題にきちんと向き合って対処しつつも、そうした世界だけに埋没してしまうことなく、学問を食べていくために必要な手段のみにとどめず、道を志し真理を探究し続ける姿勢を失わなかったところに孔子の孔子たる所以ではないかと。一見矛盾ともとれそうな両極の振れ幅の大きさと、その間を自由に行ったり来たりできる臨機応変さやバランス感覚に、孔子という人の魅力があるようにおもいました。
[参考]
・論語詳解196泰伯篇第八(12)三年学びて(九去堂)
●論語499章1日1章読解 過去の投稿記事一覧
【為政・第二】020-2-04 吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑
【八佾・第三】063-3-23 子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也
【里仁・第四】073-4-07 人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣
【里仁・第四】076-4-19 君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比
【里仁・第四】077-4-11 君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠
【里仁・第四】084-4-18 事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨
【雍也・第六】129-6-10 冉求曰、非不説子之道、力不足也
【雍也・第六】136-6-17 人之生也直、罔之生也、幸而免
【雍也・第六】137-6-18 知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者
【雍也・第六】138-6-19 中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也
【雍也・第六】146-6-27 中庸之爲德也
【雍也・第六】147-6-28 子貢曰、如能博施於民、而能済濟衆、何如
【述而・第七】148-7-01 述而不作、信而好古、竊比於我老彭
【述而・第七】163-7-16 如我數年、五十以學、易可以無大過矣
【述而・第七】170-7-23 二三子以我爲隠乎、吾無隠乎爾
【子罕・第九】215-9-10 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前
【子罕・第九】228-9-23 法語之言、能無從乎、改之爲貴
【子罕・第九】234&235-9-29&30 可與共學、未可與適道、可與適道
【顔淵・第十二】279-12-01 顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁
【子路・第十三】323-13-21 不得中行而與之、必也狂狷乎
【子路・第十三】324-13-22 南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫
【子路・第十三】325-13-23 君子和而不同、小人同而不和
【子路・第十三】328-13-26 君子泰而不驕、小人驕而不泰
【憲問・第十四】337-14-05 有德者必有言、有言者不必有德
【衛霊公・第十五】381-15-02 賜也、女以予爲多學而識之者與
【衛霊公・第十五】384-15-05 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣
【衛霊公・第十五】396-15-17 君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之
【衛霊公・第十五】409-15-30 吾嘗終日不食、終夜不寢
【季氏・第十六】429-16-09 生而知之者、上也、學而知之者、次也
【陽貨・第十七】443-17-09 小子、何莫學夫詩、詩可以興
【堯曰・第二十】499-20-03 不知命、無以爲君子也、不知禮
●論語読解の参考になる過去投稿記事
・情報洪水の時代をどう生きるか(その6)
・顔回をめぐる問いと諸星大二郎『孔子暗黒伝』のこと
・書経・商書「生きる方向軸が一つに定まっていれば吉」(「今日の名言・その7」)
・問題解決ツールのコレクターになっていませんか?(つぶやき考現学 No.59)
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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は
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