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朝聞道、夕死可矣(『論語』里仁第四の08 No.074)

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朝聞道、夕死可矣(『論語』里仁第四の08 No.074)

朝聞道、夕死可矣(『論語』里仁第四の08 No.074)

2024/05/27

今月は5/8から古典研究カテゴリで、

論語についての記事を続けて投稿しています。


この記事が今月20回目の投稿になるんですが、

途中5/18は、安田登さんの本から

論語について書かれた箇所を引用して紹介し、

本当の「切磋琢磨」(安田登『役に立つ古典』より)

また、5/21は、

河村真光さんが書かれた易経の解説本

『易経読本 入門と実践』から

火風鼎の占例として論語に触れた箇所を紹介するなど

論語と易経のつながりに触れて(5/21日筮で火風鼎を得て)

横道に逸れ、中やすみ的な記事を投稿しました。

 

基本はわたしが

2019年元旦から2020年5月半ばまで、

継続して行った論語499章1日1章読解から

主に〝学習〟というテーマの

周辺に関連する章句を読んでいます。

郷原德之賊也(『論語』陽貨第十七の13 No.447)

不曰如之何如之何者(『論語』衛霊公第十五の15 No.394)

學如不及、猶恐失之(『論語』泰伯第八の17 No.201)

性相近也、習相遠也(『論語』陽貨第十七の02 No.436)

我未見好仁者惡不仁者(『論語』里仁第四の04 No.072)

子貢問君子、子曰、先行其言(『論語』為政第二の13 No.029)

中人以上可以語上也(『論語』雍也第六の19 No.138)

君子不器(『論語』為政第二の12 No.028)

子所雅言、詩書執禮(『論語』述而第七の17 No.164)

質勝文則野、文勝質則史(『論語』雍也第六の16 No.135)

述而不作、信而好古(『論語』述而第七の01 No.148)

默而識之、學而不厭(『論語』述而第七の02 No.149)

興於詩、立於禮、成於樂(『論語』泰伯第八の08 No.192)

知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者(『論語』雍也第六の18 No.137)

吾嘗終日不食、終夜不寢(『論語』衛霊公第十五の30 No.409)

三年學、不至於穀、不易得也(『論語』泰伯第八の12 No.196)

君子有九思、視思明、聽思聰、色思溫(『論語』季氏第十六の10 No.430)

 

 

さて、本日の記事で取りあげるのは

論語の数多い章の中でも非常に有名な

里仁第四の08番(通し番号074)です。

 

ただ、有名ではあってもとても短い章で、

例によって孔子がこの言葉を

どのような文脈で語られたのか不明なこともあり、

その真意を理解するのは易しくありませんが。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【里仁・第四】074-4-08
[要旨(大意)]
孔子が求道精神の大きさを述べている章。

 

[白文]
子曰、朝聞道、夕死可矣。
 
[訓読文]
子曰ク、朝ニ道ヲ聞イテ、夕ニ死ストモ可ナリ。
 
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、朝(あした)ニ道(みち)ヲ聞(き)イテ、夕(ゆうべ)ニ死(し)ストモ可(か)ナリ。
 
[ひらがな素読文]
しいわく、あしたにみちをきいて、ゆうべにしすともかなり。
 
[口語訳文1(逐語訳)]
先生が言われた「朝に正しい道を聞いたら、夕方に死んでも構わない。」
 
[口語訳文2(従来訳)]
先師がいわれた。――
「朝に真実の道をきき得たら、夕には死んでも思い残すことはない。」(下村湖人『現代訳 論語』)
 
[口語訳文3(井上の意訳)]
先生(孔子)が言われた。「もし、朝に真実というものがわかったならば、わたしはその日の夕方に死ぬようなことがあっても悔いることはない。」
 
[語釈]
朝:「あした」と読む。朝。
聞:「聞かば」と読んで「(もし)~ならば」と訳す。未然形+ば=順接仮定条件。なお、已然形+ば=順接確定条件なので、「聞けば」と読んだ場合は「~ので」と訳す。
道:広く捉えれば「人間の生き方」に関わった表現と推測されるが、伊藤仁斎は人の道、荻生徂徠は先王の道、朱子は事物当然の理とするなど捉え方は様々有り一定しない。孔子の言葉なので「仁の道」と捉える向きや、道教との関連を指摘する者も。
夕:「ゆうべ」と読む。夕方。日暮れ方。
可:よろしい。悔いることはない。
矣:強い断定の意を表す置き字で読まない。
 
[井上のコメント]
「朝聞道、夕死可矣」について、口語訳文のところに記した解釈の他、「もし、わたしが理想としているような徳による政治(社会)が実現したら、夕方に死んでも構わない。」とする説が存在しているのですが、この章については、孔子のこの言葉の背景として、孔子が生きた春秋時代の末期が、いつ不意に死の瞬間が訪れるか分からない緊迫した時代であったことを知っておく必要があるように感じました。つまり、孔子が生きていた当時、孔子の考えや意見は、多くの国で取りいれられたわけではなく、むしろ実現する見通しがほとんどなく、絶望的とも言えるような社会状況ではなかったかと想像されるからです。


小倉紀蔵は『新しい論語』にて金谷や宮崎の翻訳を紹介しながら、最終的に本章について、「孔子は、道を聞き、道を知り、道を実践することは、個人の〈いのち〉(第一の生命・肉体的生命)よりも大切と考えていて、『個人の〈いのち〉より自然の〈いのち〉のほうが大切だ』と考える道家とはあきらかに異なる。共同体や社会といった人為的な『つくりもの』の〈いのち〉に重きを置いていて、共同体や社会の〈いのち〉を輝かすためなら、個人の〈いのち〉は軽いものだと考えよといっている。」と結んでいます。小倉は生命(いのち)について〈第一〉〈第二〉〈第三〉と3つの捉え方を提唱し、以前こちらの記事でも紹介したように、「仁」については、人と人との間に偶発的に立ち現れる〈第三の生命〉と独自の見解を展開しています。[参考]のところに該当する箇所を引用して紹介しますが、その文章だけで真意を伝えることは難しいように感じるので、関心ある方は直接『新しい論語』を参照ください。

 

[参考]
これは『論語』のなかでも特別に有名な言葉のひとつだが、その意味するところは実はよくわからない。
金谷治の訳は「朝に〔正しい真実の〕道が聞けたら、その晩に死んでもよろしいね」である。このような解釈の場合、孔子がはたしてそんなに感情的で興奮したような物言いをするだろうか、という批判がついてまわる。たしかに中庸を理想とする孔子の言葉とすれば、少し劇しすぎるきらいがないわけではない。宮崎市定訳「子曰く、朝、真理を聞いて満足したなら、夕方に死んでも思い残すことはない」もまた、孔子の言葉としては感情が勝ちすぎている。
「朝に道を聞きては」というのを、単に「朝に道の内容を聞いたら」「朝に道の内容を体得できたら」「朝に道の内容を心に悟ったら」などという意味にとらずに、「この社会で道が行われていることを(朝に)知ったら」と解釈する立場もある。道が行われることの困難さを熟知していた孔子であるから、単に個人的に道を聞いたり知ったり体得したり、という意味ではなく社会に道が浸透していることをより喜んだはずである。したがって、「朝聞道」の解釈としてはこちらのほうがよいかもしれない。
しかし、なぜ「朝聞道」すれば「夕死可(タペに死すとも可なり)」なのであろうか。孔子が生命をおろそかにするわけはないので、これは単にレトリックなのであろうか。それとも、個人の生死よりも道を重要視する道家の思想がここにまぎれこんでしまっているのであろうか。
どの解釈も可能であるように見える。だが私としては、次のように解釈したい。
道を聞き、道を知り、道を実践することは、〈第一の生命〉、すなわちこの肉体的生命よりも大切なことなのだ。なぜなら個人の〈いのち〉より共同体のいのちのほうが大切だからである。この点で、「個人の〈いのち〉より自然の〈いのち〉のほうが大切だ」と考える道家と孔子はあきらかに異なるのである。孔子はあきらかに、共同体や社会といった人為的な「つくりもの」の〈いのち〉に重きを置いている。そして、共同体や社会の〈いのち〉を輝かすためだったら、個人の〈いのち〉は軽いものだと考えよ、といっている。

 

小倉紀蔵『新しい論語』第三章「仁とは何か」より

 

 

●論語499章1日1章読解 過去の投稿記事一覧

論語499章1日1章解読ふりかえり(その1)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その2)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その3)

 

【学而・第一】008-1-08 君子不重則不威、學則不固

【為政・第二】020-2-04 吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑

【為政・第二】028-2-12 君子不器

【為政・第二】029-2-13 子貢問君子、子曰、先行其言

【為政・第二】031-2-15 學而不思則罔、思而不學則殆

【為政・第二】033-2-17 由、誨女知之乎、知之爲知之

【八佾・第三】063-3-23 子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也

【里仁・第四】072-4-04 我未見好仁者惡不仁者

【里仁・第四】073-4-07 人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣

【里仁・第四】076-4-19 君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比

【里仁・第四】077-4-11 君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠

【里仁・第四】084-4-18 事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨

【公冶長・第五】096-5-04 或曰、雍也、仁而不佞

【雍也・第六】129-6-10 冉求曰、非不説子之道、力不足也

【雍也・第六】134-6-15 誰能出不由戸、何莫由斯道也 

【雍也・第六】135-6-16 質勝文則野、文勝質則史

【雍也・第六】136-6-17 人之生也直、罔之生也、幸而免

【雍也・第六】137-6-18 知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者
【雍也・第六】138-6-19 中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也
【雍也・第六】146-6-27 中庸之爲德也

【雍也・第六】147-6-28 子貢曰、如能博施於民、而能済濟衆、何如

【述而・第七】148-7-01 述而不作、信而好古、竊比於我老彭

【述而・第七】149-7-02 默而識之、學而不厭

【述而・第七】153-7-06 子曰、志於道、拠於德

【述而・第七】155-7-08 不憤不啓、不悱不發、擧一偶

【述而・第七】163-7-16 如我數年、五十以學、易可以無大過矣

【述而・第七】164-7-17 子所雅言、詩書執禮

【述而・第七】170-7-23 二三子以我爲隠乎、吾無隠乎爾

【泰伯・第八】192-8-08 興於詩、立於禮、成於樂

【泰伯・第八】196-8-12 三年學、不至於穀、不易得也

【泰伯・第八】201-8-17 學如不及、猶恐失之

【子罕・第九】215-9-10 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前

【子罕・第九】228-9-23 法語之言、能無從乎、改之爲貴

【子罕・第九】234&235-9-29&30 可與共學、未可與適道、可與適道

【顔淵・第十二】279-12-01 顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁

【子路・第十三】323-13-21 不得中行而與之、必也狂狷乎

【子路・第十三】324-13-22 南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫

【子路・第十三】325-13-23 君子和而不同、小人同而不和

【子路・第十三】328-13-26 君子泰而不驕、小人驕而不泰

【憲問・第十四】337-14-05 有德者必有言、有言者不必有德

【憲問・第十四】368-14-36 或曰、以徳報怨、何如

【衛霊公・第十五】381-15-02 賜也、女以予爲多學而識之者與

【衛霊公・第十五】384-15-05 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣

【衛霊公・第十五】394-15-15 不曰如之何如之何者

【衛霊公・第十五】396-15-17 君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之

【衛霊公・第十五】409-15-30 吾嘗終日不食、終夜不寢

【季氏・第十六】429-16-09 生而知之者、上也、學而知之者、次也

【季氏・第十六】430-16-10 君子有九思、視思明、聽思聰、色思溫

【陽貨・第十七】436-17-02 性相近也、習相遠也

【陽貨・第十七】443-17-09 小子、何莫學夫詩、詩可以興

【陽貨・第十七】447-17-13 郷原德之賊也

【陽貨・第十七】459-17-25 唯女子與小人、爲難養也

【堯曰・第二十】499-20-03 不知命、無以爲君子也、不知禮

 

●論語読解の参考になる過去投稿記事

安田登『役に立つ古典』~古典から何を学ぶか~

本当の「切磋琢磨」(安田登『役に立つ古典』より)

情報洪水の時代をどう生きるか(その6)
顔回をめぐる問いと諸星大二郎『孔子暗黒伝』のこと
書経・商書「生きる方向軸が一つに定まっていれば吉」(「今日の名言・その7」)

問題解決ツールのコレクターになっていませんか?(つぶやき考現学 No.59)

 

 

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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

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