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君子不重則不威、學則不固(『論語』学而第一の8 No.8)

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君子不重則不威、學則不固(『論語』学而第一の8 No.8)

君子不重則不威、學則不固(『論語』学而第一の8 No.8)

2024/04/02

寺子屋塾ブログの古典研究カテゴリ記事は

仏教(仏典)、論語、易経が主だったんですが、

先月3月は老荘思想(道教)も投稿し

少しずつバラエティに富んできましたね。

 

今日は論語499章1日1章読解より。

「過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ」という

故事成語でも有名な学而第一の8番です。

 

記事の終わりに、過去に投稿した論語読解の

インデックスと参考記事をシェアしました。

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【学而・第一】008-1-8

[要旨(大意)]

孔子が君子の交友、学び方、生き方について述べている章

 

[白文]

子曰、君子不重則不威、學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改。

 

[訓読文]

子曰ク、君子重カラザレバ則チ威アラズ、學ベバ則チ固ナラズ、忠信ヲ主トシ、己ニ如カザル者ヲ友トスル無カレ、過チハ則チ改ムルニ憚ルコト勿カレ。

 

[カナ付き訓読文]

子(し)曰(いわ)ク、君子(くんし)重(おも)カラザレバ則(すなわ)チ威(い)アラズ、学(まな)ベバ則(すなわ)チ固(こ)ナラズ、忠信(ちゅうしん)ヲ主(しゅ)トシ、己(おのれ)ニ如(し)カザル者(もの)ヲ友(とも)トスル無(な)カレ、過(あやま)チハ則(すなわ)チ改(あらた)ムルニ憚(はばか)ルコト勿(な)カレ。

 

[ひらがな素読文]しいわく、くんしおもからざればすなわちいあらず、まなべばすなわちこならず、ちゅうしんをしゅとし、おのれにしかざるものをともとするなかれ、あやまちはすなわちあらたむるにはばかることなかれ。

 

[口語訳文1(逐語訳)]

孔子が言われた。君子は、重々しい雰囲気がなければ威厳がない。学問をすれば頭が柔軟になる。「忠」と「信」の心を大切にして、自分とレベルが合わない者を友としてはいけない。過ちがあれば、それを改めることをためらってはいけない。

 

[口語訳文2(従来訳)]

先師がいわれた。――

「道に志す人は、常に言語動作を慎重にしなければならない。でないと、外見が軽っぽく見えるだけでなく、学ぶこともしっかり身につかない。むろん、忠実と信義とを第一義として一切の言動を貫くべきだ。安易に自分より知徳の劣った人と交っていい気になるのは禁物である。人間だから過失はあるだろうが、大事なのは、その過失を即座に勇敢に改めることだ。」(下村湖人『現代訳論語』より)

 

[口語訳文3(井上訳)]

先生が言われた。「君子は、(言葉使いや動作などが)どっしりしていないと威厳がないとされても、威張ったり威圧したりしない。よって、学問をしても、自分でよく考えて、頭が固くならないようにすることだ。自分のまごころに従って、心を言葉と一致させるような者と交わり、己のままでいられないような者を友としてはいけない。間違いに気づいたら、ためらわずに改めることだ。」

 

[語釈]

重:重々しい。

威:威厳。

学:学問をする。

固:固陋。頑固な。かたくなな。頭の固い。

忠信:まごころを尽くし、いつわりのないこと。忠実と信義。

不如己者:「不如」は「~にしかず」と読み「~に及ばない」と訳し、「自分より劣った人」と解釈するのが一般的だが、「己のままでいられないような者」としてみた。

無友:友だちにするな。

過:過ち。過失。「過あやまてば」と読んでもよい。

憚:躊躇する。

勿:「なかれ」と読み、「~するな」と訳す。禁止の辞。

主忠信、無友不如己者。過則勿憚改:「子罕第九の24番(通し番号229)」に重出。

 

[井上のコメント]

「不重則不威」は、その後の「學則不固」とのつながりを意識し、「(学問をすれば)自ずと威厳がにじみ出ていくもので、表面的な威厳ばかりを取り繕ったところで仕方ないし、そんな必要はない。」というトーンで意訳してみました。「學則不固」は、為政第二の15番(通し番号31)「学びて思わざれば即ち罔(くら)し、思いて学ばざれば、即ち殆(あやう)し」との関連から、「ただ学ぶだけでは学んだ知識に搦め取られて立場に囚われ、固陋になってしまいかねない」という警句と捉えました。

「無友不如己者」は、従来は「自分より劣った者を友だちにはするな(金谷・吉川)」「自分に及ばない者を友だちにして、偉がってはいけない(宇野)」という解釈が一般的で、加治は「自分のようにまごころを第一とすることが分からない者」と捉えていますが、学而第一の3番にあるような「巧言令色」を嫌った孔子像から、「不如己者」を「ありのままの自分で居られない者」(安冨)とする解釈が自分にはしっくりときます。この8番については、安冨歩『生きるための論語』第3章P.49~90を参考にしました。

 

 

●論語499章1日1章読解 過去の投稿記事一覧

論語499章1日1章解読ふりかえり(その1)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その2)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その3)

 

【為政・第二】020-2-04 吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑

【為政・第二】031-2-15 學而不思則罔、思而不學則殆

【為政・第二】033-2-17 由、誨女知之乎、知之爲知之

【八佾・第三】063-3-23 子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也

【里仁・第四】073-4-07 人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣

【里仁・第四】076-4-19 君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比

【里仁・第四】077-4-11 君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠

【里仁・第四】084-4-18 事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨

【公冶長・第五】096-5-4 或曰、雍也、仁而不佞

【雍也・第六】129-6-10 冉求曰、非不説子之道、力不足也

【雍也・第六】134-6-15 誰能出不由戸、何莫由斯道也 

【雍也・第六】136-6-17 人之生也直、罔之生也、幸而免
【雍也・第六】138-6-19 中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也
【雍也・第六】146-6-27 中庸之爲德也

【雍也・第六】147-6-28 子貢曰、如能博施於民、而能済濟衆、何如

【述而・第七】148-7-1 述而不作、信而好古、竊比於我老彭

【述而・第七】153-7-6 子曰、志於道、拠於德

【述而・第七】155-7-8 不憤不啓、不悱不發、擧一偶

【述而・第七】163-7-16 如我數年、五十以學、易可以無大過矣

【述而・第七】170-7-23 二三子以我爲隠乎、吾無隠乎爾

【子罕・第九】215-9-10 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前

【子罕・第九】228-9-23 法語之言、能無從乎、改之爲貴

【子罕・第九】234&235-9-29&30 可與共學、未可與適道、可與適道

【顔淵・第十二】279-12-1 顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁

【子路・第十三】323-13-21 不得中行而與之、必也狂狷乎

【子路・第十三】324-13-22 南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫

【子路・第十三】325-13-23 君子和而不同、小人同而不和

【子路・第十三】328-13-26 君子泰而不驕、小人驕而不泰

【憲問・第十四】337-14-5 有德者必有言、有言者不必有德

【憲問第十四】368-14-36 或曰、以徳報怨、何如

【衛霊公・第十五】381-15-2 賜也、女以予爲多學而識之者與

【衛霊公・第十五】384-15-5 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣

【衛霊公・第十五】396-15-17 君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之

【陽貨・第十七】443-17-9 小子、何莫學夫詩、詩可以興

【季氏・第十六】429-16-9 生而知之者、上也、學而知之者、次也

【陽貨・第十七】459-17-25 唯女子與小人、爲難養也

【堯曰・第二十】499-20-3 不知命、無以爲君子也、不知禮

 

【参考記事】
顔回をめぐる問いと諸星大二郎『孔子暗黒伝』のこと
安田登『役に立つ古典』〜古典から何を学ぶか〜
情報洪水の時代をどう生きるか(その6)

 

 

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