述而不作、信而好古(『論語』述而第七の01 No.148)
2024/05/19
2019年元旦から2020年5月中旬まで
論語499章をわたしなりに読解して、
Facebookに投稿していたことがありました。
499章あるわけですから、
1日1章ずつ読んで行けば、
499日、つまり1年半で終えられるので。
誰からも強制されない環境のなかで、
自分で決めて
原則1日1枚のプリントを
坦々とやり続けるというらくだメソッドは、
算数数学、国語、英語といった
学力を習得できるだけでなく、
「学び方を学ぶ」「自ら学ぶ力を身につけられる」
ダブルループメソッドという特徴があります。
つまり、このメソッドでの学習に習熟すると、
自分に無理のない量の学習を
自分で調整しながら
毎日し続けられるようになり、
さまざまな分野の学習に応用可能なので、
学生時代は古文や漢文が苦手で
それまで論語をほとんど読んだことがなかった
わたしであっても、本当にこのやり方で
論語が読めるようになるかどうか、
わたしなりのチャレンジだったわけです。
昨日はインターミッションというか、
論語にまつわる安田登さんの本から引用して投稿し、
中やすみ記事の投稿を1回挟みましたが、
今月は、そのときに読み解いた記録を
5/8からずっと投稿し続けていて、
一昨日まで10回にわたり
主に〝学習〟というテーマの
周辺に関連する章句を選んで投稿してきました。
・不曰如之何如之何者(『論語』衛霊公第十五の15 No.394)
・學如不及、猶恐失之(『論語』泰伯第八の17 No.201)
・性相近也、習相遠也(『論語』陽貨第十七の02 No.436)
・我未見好仁者惡不仁者(『論語』里仁第四の04 No.072)
・子貢問君子、子曰、先行其言(『論語』為政第二の13 No.029)
・中人以上可以語上也(『論語』雍也第六の19 No.138)
・子所雅言、詩書執禮(『論語』述而第七の17 No.164)
・質勝文則野、文勝質則史(『論語』雍也第六の16 No.135)
さて、それで11回目となる本日の投稿なんですが、
孔子が自分の学問の方法、
歴史や古典に対する姿勢を述べている
述而第七の1番(通し番号148)を。
(引用ここから)
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【述而・第七】148-7-1
[要旨(大意)]
孔子が自分の学問の方法、歴史や古典に対する姿勢を述べている章。
[白文]
子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭。
[訓読文]
子曰ク、述ベテ作ラズ、信ジテ古ヲ好ム、竊ニ我ガ老彭ニ比ス。
[カナ付き訓読文]
子(シ)曰(イワ)ク、述(ノ)ベテ作(ツク)ラズ、信(シン)ジテ古(イニシエ)ヲ好(コノ)ム、竊(ヒソカ)ニ我(ワ)ガ老彭(ロウホウ)ニ比(ヒ)ス。
[ひらがな素読文]
しいわく、のべてつくらず、しんじていにしえをこのむ、ひそかにわがろうほうにひす。
[口語訳文1(逐語訳)]
先生が言われた。「わたしは伝え述べるのみで創作しない。信じて昔を好むみ、ひそかに自分を老彭と比較する。」
[口語訳文2(従来訳)]
先師がいわれた。――
「私は古聖の道を伝えるだけで、私一箇の新説を立てるのではない。古聖の道を信じ愛する点では、私は心ひそかに自分を老彭にも劣らぬと思っているのだ。」(下村湖人『現代訳論語』)
[口語訳文3(井上の意訳)]
先生(孔子)が言われた。「わたしは古人の教えを受け継いで述べるだけで、自ら教えを創作することはありません。古人の教えを好んで信じていて、密かに尊敬する老彭に自分を準(なぞら)えているのです。」
[語釈]
述:述べ伝える。受け継いで伝える。祖述する。
作:創作する。新しく作る。
好古:古えの道を愛好する。
窃比:そっと比べる。
老彭:殷代の大夫で賢者。あるいは老子や彭祖(伝説上の仙人で長寿の代表)とするなど諸説ある。
[井上のコメント]
今日から新しく述而第七に入りました。この述而篇は、孔子の学問に対する姿勢を述べた章が多いようです。
本章の最後に登場する老彭については、語釈のところに記したように、老子のことだという説、周の前の殷の時代に朝廷に仕えた大夫という説、荘子に登場する長寿者で名宰相だった彭祖(ほうそ)だという説、楚辞の離騒に登場する彭咸(ほうかん)だという説など諸説あり、はっきりしたことはわからないようです。
いずれにしても、ここで孔子が言いたいことは、「自分は古くから伝わるものを祖述しているだけで、それを自分勝手に作り替えたり、新しいものを創ろうとしているわけではない」ということで、孔子の自分の学問についての基本姿勢を表明しているように受けとめました。
また、「竊」という漢字(異体字「窃」)は孔子の時代に存在せず、その時代の置換候補も無いようなので、本章は後世の創作と考えてよいでしょう。ただ、書かれている内容に関しては、孔子が言った言葉としても違和感なく受け止められました。
以下、本章の内容に多少触れてはいますが、余談ですのでさらっと読み流していただければと。
わたしは、老子や荘子はよく読みましたが、50台の半ばまでは孔子や論語にはほとんど興味がなく、むしろ遠ざけてきた側の人間です。よって、論語に書かれていることを自分の生き方の土台にするということは、今までほとんど考えたことがありませんでした。ところが、こうして還暦を迎える年になってから改めて論語に触れてみて———もちろんまだ全体の1/4ほどの分量をひとつひとつ読んで来ただけなんですが———孔子が考えていたことと、自分がこれまでの人生で大事にしようとおもってきたこととの間に、それほど大きな隔たりがない感じがしていて、そのことにとても驚いています。たとえば、今のわたし自身も、本章で孔子が言っているように、新たな学説を打ち立てるとか、社会に対して何らかの主義主張をするということには興味がなく、できることは、既にあるものや元々備わっているものを大事にしながら人間本来の姿に立ち戻っていくことでしかないと考えているからです。でも、温故知新・・・わたしが標榜している「教えない教育」から一番対極の遠い存在だとおもっていた論語が、そうではなく、実はかなり近い所にあるんだと分かったことは、改めて古典というもののもつ凄さや深みに触れる体験でもありました。今では1章1章を読み進めていくことが日々の楽しみになってきていて、この先どんな話が登場するかワクワクしています。(2019.5.29記す)
●論語499章1日1章読解 過去の投稿記事一覧
【為政・第二】020-2-04 吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑
【八佾・第三】063-3-23 子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也
【里仁・第四】073-4-07 人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣
【里仁・第四】076-4-19 君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比
【里仁・第四】077-4-11 君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠
【里仁・第四】084-4-18 事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨
【雍也・第六】129-6-10 冉求曰、非不説子之道、力不足也
【雍也・第六】136-6-17 人之生也直、罔之生也、幸而免
【雍也・第六】138-6-19 中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也
【雍也・第六】146-6-27 中庸之爲德也
【雍也・第六】147-6-28 子貢曰、如能博施於民、而能済濟衆、何如
【述而・第七】148-7-01 述而不作、信而好古、竊比於我老彭
【述而・第七】163-7-16 如我數年、五十以學、易可以無大過矣
【述而・第七】170-7-23 二三子以我爲隠乎、吾無隠乎爾
【子罕・第九】215-9-10 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前
【子罕・第九】228-9-23 法語之言、能無從乎、改之爲貴
【子罕・第九】234&235-9-29&30 可與共學、未可與適道、可與適道
【顔淵・第十二】279-12-01 顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁
【子路・第十三】323-13-21 不得中行而與之、必也狂狷乎
【子路・第十三】324-13-22 南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫
【子路・第十三】325-13-23 君子和而不同、小人同而不和
【子路・第十三】328-13-26 君子泰而不驕、小人驕而不泰
【憲問・第十四】337-14-05 有德者必有言、有言者不必有德
【衛霊公・第十五】381-15-02 賜也、女以予爲多學而識之者與
【衛霊公・第十五】384-15-05 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣
【衛霊公・第十五】396-15-17 君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之
【季氏・第十六】429-16-09 生而知之者、上也、學而知之者、次也
【陽貨・第十七】443-17-09 小子、何莫學夫詩、詩可以興
【堯曰・第二十】499-20-03 不知命、無以爲君子也、不知禮
●論語読解の参考になる過去投稿記事
・情報洪水の時代をどう生きるか(その6)
・顔回をめぐる問いと諸星大二郎『孔子暗黒伝』のこと
・書経・商書「生きる方向軸が一つに定まっていれば吉」(「今日の名言・その7」)
・問題解決ツールのコレクターになっていませんか?(つぶやき考現学 No.59)
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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は
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