寺子屋塾

知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者(『論語』雍也第六の18 No.137)

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知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者(『論語』雍也第六の18 No.137)

知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者(『論語』雍也第六の18 No.137)

2024/05/23

今月は5/8から古典研究カテゴリで、

論語についての記事を続けて投稿しています。


この記事が今月16回目の投稿になるんですが、

途中5/18は、安田登さんの本から

論語について書かれた箇所を引用して紹介し、

本当の「切磋琢磨」(安田登『役に立つ古典』より)

また、5/21は、

河村真光さんが書かれた易経の解説本

『易経読本 入門と実践』から

火風鼎の占例として論語に触れた箇所を紹介するなど

論語と易経のつながりに触れて(5/21日筮で火風鼎を得て)

横道に逸れ、中やすみ的な記事を投稿しました。

 

基本は、わたしが

2019年元旦から2020年5月半ばまで、

継続して行った論語499章1日1章読解から

主に〝学習〟というテーマの

周辺に関連する章句を読んでいます。

郷原德之賊也(『論語』陽貨第十七の13 No.447)

不曰如之何如之何者(『論語』衛霊公第十五の15 No.394)

學如不及、猶恐失之(『論語』泰伯第八の17 No.201)

性相近也、習相遠也(『論語』陽貨第十七の02 No.436)

我未見好仁者惡不仁者(『論語』里仁第四の04 No.072)

子貢問君子、子曰、先行其言(『論語』為政第二の13 No.029)

中人以上可以語上也(『論語』雍也第六の19 No.138)

君子不器(『論語』為政第二の12 No.028)

子所雅言、詩書執禮(『論語』述而第七の17 No.164)

質勝文則野、文勝質則史(『論語』雍也第六の16 No.135)

述而不作、信而好古(『論語』述而第七の01 No.148)

默而識之、學而不厭(『論語』述而第七の02 No.149)

興於詩、立於禮、成於樂(『論語』泰伯第八の08 No.192)

 

さて、本日投稿する記事で取りあげる

論語の章句についてです。

 

3月下旬に投稿した次の記事にて、

幽体離脱を起こさせる脳部位がある?!(池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』より)

脳科学者・池谷裕二さんの

高校生レクチャー三部作の完結編

『夢を叶えるために脳はある 「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす』

を紹介しました。

 

この3月28日に上梓されたばかりの新刊書を

毎日少しずつ読み進めているんですが、

ようやく二日目の終わりまで到達しました。

 

それで、ちょうど昨日読んだP.393に、

その講義全体の結語を示すような感じで、

論語の言葉が引用されていたので、

今日はその章、雍也第六の18番(通し番号137)を。

 

本章の孔子の言葉は、「そもそも人間にとって

〝学ぶ〟ということはどういうことか」という

問いに対する見解を示した重要なもので、

寺子屋塾の学習においても

大切にしていることでもあります。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【雍也・第六】137-6-18
[要旨(大意)]
人間が学ぶ姿勢の根本について孔子が述べている章。

 

[白文]
子曰、知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者。
 
[訓読文]
子曰ク、之ヲ知ル者ハ、之ヲ好ム者ニ如カズ、之ヲ好ム者ハ、之ヲ樂シム者ニ如カズ。
 
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、之(これ)ヲ知(し)ル者(もの)ハ、之(これ)ヲ好(この)ム者(もの)ニ如(し)カズ、之(これ)ヲ好(この)ム者(もの)ハ、之(これ)ヲ楽(たの)シム者(もの)ニ如(し)カズ。
 
[ひらがな素読文]
しいわく、これをしるものは、これをこのむものにしかず、これをこのむものは、これをたのしむものにしかず
 
[口語訳文1(逐語訳)]
先生が言われた。「知るだけの者は、好むだけの者のようでない。好むだけの者は、楽しむだけの者のようでない。」
 
[口語訳文2(従来訳)]
先師がいわれた。――
「真理を知る者は真理を好む者に及ばない。真理を好む者は真理を楽しむ者に及ばない」(下村湖人『 現代訳論語 論語』)
 
[口語訳文3(井上の意訳)]
先生(孔子)が言われた。「物事を知っている者は、その物事を好んでいる人には及ばない。物事を好んでいる者は、その物事を心から楽しんでいる人には及ばない。つまり、上達したいとおもうのなら、楽しんでやることが一番の秘訣だね。」
 
[語釈]
之:ここでは具体的に指示するものがない。
知:(事柄や存在を)知る。
不如:「~は…にしかず」と読んで「~は…に及ばない」「~より…の方がよい」と訳す。
好:好きになる。対象に対し特別な感情をいだく。
楽:対象と自分が一体となり完全に融合すること。
 
[井上のコメント]
この章は、論語のなかでも非常に有名ですね。孔子は「之」とだけ言って、とくに特定せず、「知→好→楽」という3つの段階について説いています。知的に理解するという第1段階は、物事を単に対象化しただけの状態。好むという第2段階は、物事に対して特別な感情を伴っていても対象とまだ距離があり一方通行な状態。そして、楽しむという第3段階となって、対象物と自己とが一体化して融合した状態、という解釈で良いとおもいますが、この章については次の2つのことをおもいました。

おそらく孔子は、この章で学問に対する根本姿勢を言いたかったのでしょうが、学問だけでなく、仕事、人生全般等々、様々なことに適用できるようにおもったということが1つ。そしてもう1つは、3つのプロセスをそのまま良し悪しの価値判断に置き換えない・・・つまり、「第1段階や第2段階ではダメで第3段階が最も良い」というふうに考えないほうが良いだろうということです。なぜなら、必ずしもみんながみんな第3段階にならなくてもよく、いきなり第3段階から始まるような人が稀なことはもちろん、第3段階を目指している時点ですでに楽しめていないでしょうから。第1段階や第2段階があるから第3段階があるというふうに、各々がすべて大事なプロセスととらえればよいのではないでしょうか。

 

コメントや参考のところでしばしば紹介している九去堂の論語詳解で、本章に対して書かれている解説や余話は、なぜこのようなサイトを開設したのかという原点にも触れていて共感できる内容でした。参考のところにリンクを貼り付けたので、ぜひご覧になってみて下さい。(2019.5.18記す)

 

[参考]

論語詳解137雍也篇第六(20)これを知る者は(九去堂)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(論語499章1日1章読解からの引用ここまで)

 

 

人から強制されて学習しているうちは、

学ぶという行為自体を

なかなか好きにはなれないでしょうし、

まして、そのことを楽しむというのも

難しいのではないでしょうか。

 

子どもたちが遊んでいるときには、

いま、ここで、ただ遊んでいるだけで、

そこには目的はありません。

 

子どもは、楽しもうとしているわけではなく、

目的なく、無心に遊んでいるから

結果として楽しいのです。

 

そういう点から考えると、

自分で決め、自分でやってみる

らくだメソッドにおける

セルフラーニングスタイルの学習は、

何よりもそのことに

楽しみを見い出しやすいし

その人の最高のパフォーマンスを

引き出す可能性を秘めていると言ってよいでしょう。

 

わたし自身、論語を1日1章ずつ読む試みは、

もともと苦手な科目であったので、

タイヘンな日もありましたが、

読み進めていくうちに

孔子その人が日に日に感じられるようになり、

気がついたときには

楽しみながらやれるようになっていました。

 

今日のようなAIの時代になっても、

本章に示された孔子の言葉は、

2500年という時を経てもなお、

人間の物事を楽しむ能力の大切さを

語っているという点において、

時代を超えた真実であるようにおもうのです。

 

 

●論語499章1日1章読解 過去の投稿記事一覧

論語499章1日1章解読ふりかえり(その1)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その2)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その3)

 

【学而・第一】008-1-08 君子不重則不威、學則不固

【為政・第二】020-2-04 吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑

【為政・第二】028-2-12 君子不器

【為政・第二】029-2-13 子貢問君子、子曰、先行其言

【為政・第二】031-2-15 學而不思則罔、思而不學則殆

【為政・第二】033-2-17 由、誨女知之乎、知之爲知之

【八佾・第三】063-3-23 子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也

【里仁・第四】072-4-04 我未見好仁者惡不仁者

【里仁・第四】073-4-07 人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣

【里仁・第四】076-4-19 君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比

【里仁・第四】077-4-11 君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠

【里仁・第四】084-4-18 事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨

【公冶長・第五】096-5-04 或曰、雍也、仁而不佞

【雍也・第六】129-6-10 冉求曰、非不説子之道、力不足也

【雍也・第六】134-6-15 誰能出不由戸、何莫由斯道也 

【雍也・第六】135-6-16 質勝文則野、文勝質則史

【雍也・第六】136-6-17 人之生也直、罔之生也、幸而免
【雍也・第六】138-6-19 中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也
【雍也・第六】146-6-27 中庸之爲德也

【雍也・第六】147-6-28 子貢曰、如能博施於民、而能済濟衆、何如

【述而・第七】148-7-01 述而不作、信而好古、竊比於我老彭

【述而・第七】149-7-02 默而識之、學而不厭

【述而・第七】153-7-06 子曰、志於道、拠於德

【述而・第七】155-7-08 不憤不啓、不悱不發、擧一偶

【述而・第七】163-7-16 如我數年、五十以學、易可以無大過矣

【述而・第七】164-7-17 子所雅言、詩書執禮

【述而・第七】170-7-23 二三子以我爲隠乎、吾無隠乎爾

【泰伯・第八】192-8-08 興於詩、立於禮、成於樂

【泰伯・第八】201-8-17 學如不及、猶恐失之

【子罕・第九】215-9-10 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前

【子罕・第九】228-9-23 法語之言、能無從乎、改之爲貴

【子罕・第九】234&235-9-29&30 可與共學、未可與適道、可與適道

【顔淵・第十二】279-12-01 顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁

【子路・第十三】323-13-21 不得中行而與之、必也狂狷乎

【子路・第十三】324-13-22 南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫

【子路・第十三】325-13-23 君子和而不同、小人同而不和

【子路・第十三】328-13-26 君子泰而不驕、小人驕而不泰

【憲問・第十四】337-14-05 有德者必有言、有言者不必有德

【憲問・第十四】368-14-36 或曰、以徳報怨、何如

【衛霊公・第十五】381-15-02 賜也、女以予爲多學而識之者與

【衛霊公・第十五】384-15-05 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣

【衛霊公・第十五】394-15-15 不曰如之何如之何者

【衛霊公・第十五】396-15-17 君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之

【季氏・第十六】429-16-09 生而知之者、上也、學而知之者、次也

【陽貨・第十七】436-17-02 性相近也、習相遠也

【陽貨・第十七】443-17-09 小子、何莫學夫詩、詩可以興

【陽貨・第十七】447-17-13 郷原德之賊也

【陽貨・第十七】459-17-25 唯女子與小人、爲難養也

【堯曰・第二十】499-20-03 不知命、無以爲君子也、不知禮

 

●論語読解の参考になる過去投稿記事

安田登『役に立つ古典』~古典から何を学ぶか~

本当の「切磋琢磨」(安田登『役に立つ古典』より)

情報洪水の時代をどう生きるか(その6)
顔回をめぐる問いと諸星大二郎『孔子暗黒伝』のこと
書経・商書「生きる方向軸が一つに定まっていれば吉」(「今日の名言・その7」)

問題解決ツールのコレクターになっていませんか?(つぶやき考現学 No.59)

 

 

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