ドラッカーと論語(5月の論語記事総括として)
2024/05/30
今月は5/8から古典研究カテゴリで、
論語についての記事を続けて投稿していて、
この記事が今月22回目の投稿になりました。
2019年元旦から2020年5月半ばまで、
継続して行った論語499章1日1章読解から
主に〝学習〟というテーマの
周辺に関連する章句をセレクトして
読んで来たんですが、
今月投稿した記事にて紹介した章句は以下の通り。
・不曰如之何如之何者(『論語』衛霊公第十五の15 No.394)
・學如不及、猶恐失之(『論語』泰伯第八の17 No.201)
・性相近也、習相遠也(『論語』陽貨第十七の02 No.436)
・我未見好仁者惡不仁者(『論語』里仁第四の04 No.072)
・子貢問君子、子曰、先行其言(『論語』為政第二の13 No.029)
・中人以上可以語上也(『論語』雍也第六の19 No.138)
・子所雅言、詩書執禮(『論語』述而第七の17 No.164)
・質勝文則野、文勝質則史(『論語』雍也第六の16 No.135)
・述而不作、信而好古(『論語』述而第七の01 No.148)
・默而識之、學而不厭(『論語』述而第七の02 No.149)
・興於詩、立於禮、成於樂(『論語』泰伯第八の08 No.192)
・知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者(『論語』雍也第六の18 No.137)
・吾嘗終日不食、終夜不寢(『論語』衛霊公第十五の30 No.409)
・三年學、不至於穀、不易得也(『論語』泰伯第八の12 No.196)
・君子有九思、視思明、聽思聰、色思溫(『論語』季氏第十六の10 No.430)
論語499章1日1章読解は、
その名の通り、499日にわたって行ったので、
この寺子屋塾ブログに紹介していない記事も
まだたくさんあります。
ただ、5月も明日で終わりですし、
明日は末日恒例の1ヶ月間のふりかえりと
タイトル一覧を投稿する予定なので、
これまで投稿してきた内容を総括して、
マネジメントカテゴリとの関連も示して
論語関連の記事は
本日分でとりあえず締めくくることにしました。
さて、論語499章1日1章読解を書いていた時、
ふりかえり記事にも記したとおり、わたしは
孔子という人の精神構造に迫ることを
テーマにしていました。
今回、過去に書いた記事を日々確認しながら
心がけていたことのひとつは、
「精神構造に迫る」ことからさらに一歩進んで、
孔子の言葉の一つひとつを統合し
孔子という人間の人物像を
よりクリアーにハッキリさせることです。
心理学には「内在化」という言葉が
あるそうなんですが、
孔子という人物を内在化する
つまり、
わたしの心にインストールするというか・・・
もちろんそれは、あくまで、
わたしという人間のOSアップデートの一環として
行うことですから、
わたしの精神すべてを、孔子という人間だけで
埋め尽くしてしまうという意味ではありません。
それで、そうした見地から、
もうひとつ大事なことが見えてくるわけですが、
孔子という人物像と、
わたし自身がこれまで出会い、学んできた
多くの人の人物像と関連づけようとする姿勢です。
このことについては、
以前にも次のような記事を書いたことがあり、
今日書いていることと深く関連しているので、
未読の方はご覧ください。
この記事の最後にわたしは次のように書きました。
さまざまな宗教や哲学、科学というものも
もともとバラバラに存在していたわけではなく、
こういう風に学問体系を俯瞰する視点や、
つながりあっているという感覚が持てると
学んだ知識を自分の血肉にできるというか、
人生においてさまざまな壁に突き当たったときに
有効に活かせるんじゃないか
これは一度やればそれで終わりではなく、
日々アップデートしていくものだということが、
言いたかったわけなんですが。
次は、その記事内でも引用して紹介している
掲載されている登場人物24名の相関図は
次のとおり。
昨日投稿した記事の最後に
安冨歩さんの『生きるための論語』から引用して
紹介した文章の内容にも関連するんですが、
『合理的な神秘主義』に
トップバッターとして登場している孔子という人は
東アジアが生んだ最大の思想家の一人で、
人類史、思想史として見たときに
孔子という人物がその後の世界に与えた影響が
いかに大きなものだったか、
この図からも垣間見えますね。
さて、本日投稿する記事で書こうとしている
本題にようやくたどり着いたんですが、
2012年にちくま新書から出版された
安冨歩さんの『生きるための論語』では、
最終章(第8章)の最後に、
ピーター・ドラッカーの経営学に触れています。
また、ビジネス書のカテゴリーで出されている
論語本が少なくないことや、
〝近代日本経済の父〟と称され、
新しい1万円札の肖像画として近々登場する
渋沢栄一に『論語と算盤』という著作が
あることを考慮すれば、
論語とドラッカーという組み合わせが、
それほど遠くない関係であると
お判り頂けるかと。
安冨さんは『合理的な神秘主義』の最後に、
その本で取りあげたいとおもいつつ、
紙幅や時間の関係で叶わなかった人物の一人に
ドラッカーを紹介されていましたし、
孔子とドラッカーを対話させながら、
『論語』や『マネジメント』を読むという試みを
続けられていたようで、
2014年には
『ドラッカーと論語』を上梓されました。
ドラッカーと孔子の思想が
どんな風に接続しているかの一例として、
本書の第2章 マーケティング〈知己〉より
引用します。
(引用ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
市場調査や市場分析はマーケティングではない
当たり前の話だが、企業は社会のなかに存在している。企業というものは、社会との関係性のなかで成り立っている以上、「己を知る」ためにはその関係性を無視することはできない。それをドラッカーは「信頼」という言葉で説明している。
組織は、もはや力 (force)の上に打ち立てられるのではなく、信頼 (trust) の上に打ち立てられる。人々の間の信頼の存在は、必ずしも彼らがお互いに好きだ、ということを意味するのではない。それは、彼らが互いを理解しあっているということを意味する。人間関係に対して責任を負うということは、かくして絶対に必要なことである。それは義務 (duty) である。 (“Managing oneself," p.9)
相互理解というものは「調査」や「分析」で実現できるものではない。調べる、効果を見積もるという行為が、すでに一方的であってある種の暴力を孕んでおり、「相互」ではないからだ。
この信頼の重要性については孔子は次のように述べている。
子貢問政。 子曰、足食、足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先日、去兵。子貢日、必不得已而去、於斯二者何先日、去食。自古皆有死。民無信不立。 (顔淵第十二、7番)
[口語訳]
子貢が「政」についてたずねた。
孔子は答えた。
子貢が言った。
「食料を十分に、軍備を十分にして、人民が政府を信頼するようにする、ということだ」
「どうしてもやむを得ず、この三つのうちどれかを捨てるとしたら、どれでしょうか?」
「軍備を十分にするのをあきらめる」
また子貢が言った。
「どうしてもやむを得ず、残る二つのうちどちらかを捨てるとしたら、どちらでしょうか?」
「食料を十分にするのをあきらめる。誰でも、結局は死ぬ。しかし人民に信頼がなければ、そもそも社会は立ちゆかなくなるのだ。その災厄は食料の欠乏よりも危険だ」
信頼は理解の上に形成される。互いに理解しあっているか否かということは、コミュニケーションを介してしか判断がつかない。上辺だけ俯瞰していても何も掴めない以上、自らが主体的にコミュニケーションの渦中に飛び込むしかない。
コミュニケーションの介在なしに「己を知る」(=マーケティング)ことは、そもそも不可能だということをドラッカーはこのように述べている。
誰かが同僚に次のように言ったとする。「これが私の得意なことです。これが私のやり方です。これが私の価値観です。これが私が貢献しようとして集中していることで、実現すると期待されるべき結果です」と。するとその反応は、常に「それは大いに助かる。しかし、なぜもっと早く言ってくれなかったんだ」である。
そして私の経験では、「私はあなたの強み、あなたの実行の仕方、あなたの価値観、あなたの貢献しようと思っていることを、知りたいのです」と聞くと、例外なく同じ反応が帰ってくる。......その反応は常に「それを聞いてくれてありがとう。しかし、なぜもっと早く聞いてくれなかったんだ」である。 (“Managing oneself” p.9)
マーケティングはコミュニケーションである
多くの企業はマーケティングとコミュニケーションとをまったく別のものと分けて考えているが、それは大きな誤りだとドラッカーは述べている。コミュニケーションを介さない一方的な調査や分析では、「己を知る」ということができない。つまり、それは本当の意味のマーケティングではないのだ。そして、孔子も「知る」ということの意味について、このように述べている。
子曰、蓋有不知而作之者。我無是也。多聞擇其善者而從之。多見而識之、知之次也。(述而第七、27番)
[口語訳]
子曰く。「知る」という学習過程を作動させずに、そのフリをする人がいるが、私はそんなことはしない。そういう人は、多くのことを聞いて回り、そのなかから善さそうなものを選択してそれに従い、多くのものを見て回って、これを覚えておく。こんなものは、「知る」の代用品に過ぎない。
孔子の言う「こんなもの」は、我々の社会のなかで行われている何かにあてはまらないだろうか。
よく大企業の新商品開発会見などを見ていると、「マーケティング戦略」などを発表している。「マーケティングの結果、コアターゲットは30代のファミリー層だということがわかり、そこから訴求するためのキーメッセージはこのように・・・・」なんてスピーチをしているが、多くのことを聞いて回り、そのなかから善さそうなものを選択して、それに従っているということではないか。
まず、顧客ありきと想定し、サンプルを集め、アンケートを行って論理補強し、売れる戦略とやらに強引に結びつける。もうおわかりだろう。現代の企業が「マーケティング」の名のもとに行っている「調査」や「分析」というのは、孔子の言う「多聞擇其善者而從之。多見而識之」と驚くほど似ているのだ。これらの「『知る』の代用品」(=いわゆるマーケティング)が、「知る」(=ドラッカーのマーケティング)とかけ離れていることは、これまでも述べてきた通りだ(以下略)
※安冨歩『ドラッカーと論語』第2章マーケティング〈知己〉 より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(引用ここまで)
安冨さんは、ドラッカー経営学の本質を
〝マーケティング〟と〝イノベーション〟という
2つのキーワードで編集し、
次のような図で表現されていました。
この図は、とても分かりやすく
整理されているとおもいますが、
とは言っても、この図1枚だけで、
ドラッカーと孔子の思想とのつながりについて
全貌をしっかり理解するのは
難しいように感じるので、
興味を持たれた方は、ぜひ本書をお読み下さい。
『超訳・論語』もオススメです。
最後に、晩年ドラッカーが
インタビューのなかで語った言葉を紹介して、
20回以上にわたって記してきた
論語についての総括記事の結びとします。
私は誰かに学んだのではない。
いつも多くのことに興味があり、
その真実を探りながら、
手繰り寄せたものを人に教えていただけだ。
すべてのことを、
私は人に教えながら学んだにすぎない。
このドラッカーの言葉は、
5/19に投稿した次の記事で紹介した孔子の言葉に
そのままつながっているのではないでしょうか。
・述而不作、信而好古(『論語』述而第七の01 No.148)
●論語499章1日1章読解 過去の投稿記事一覧
【為政・第二】020-2-04 吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑
【八佾・第三】063-3-23 子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也
【里仁・第四】073-4-07 人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣
【里仁・第四】076-4-19 君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比
【里仁・第四】077-4-11 君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠
【里仁・第四】084-4-18 事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨
【雍也・第六】129-6-10 冉求曰、非不説子之道、力不足也
【雍也・第六】136-6-17 人之生也直、罔之生也、幸而免
【雍也・第六】137-6-18 知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者
【雍也・第六】138-6-19 中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也
【雍也・第六】146-6-27 中庸之爲德也
【雍也・第六】147-6-28 子貢曰、如能博施於民、而能済濟衆、何如
【述而・第七】148-7-01 述而不作、信而好古、竊比於我老彭
【述而・第七】163-7-16 如我數年、五十以學、易可以無大過矣
【述而・第七】170-7-23 二三子以我爲隠乎、吾無隠乎爾
【子罕・第九】215-9-10 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前
【子罕・第九】228-9-23 法語之言、能無從乎、改之爲貴
【子罕・第九】234&235-9-29&30 可與共學、未可與適道、可與適道
【顔淵・第十二】279-12-01 顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁
【子路・第十三】323-13-21 不得中行而與之、必也狂狷乎
【子路・第十三】324-13-22 南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫
【子路・第十三】325-13-23 君子和而不同、小人同而不和
【子路・第十三】328-13-26 君子泰而不驕、小人驕而不泰
【憲問・第十四】337-14-05 有德者必有言、有言者不必有德
【衛霊公・第十五】381-15-02 賜也、女以予爲多學而識之者與
【衛霊公・第十五】384-15-05 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣
【衛霊公・第十五】396-15-17 君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之
【衛霊公・第十五】409-15-30 吾嘗終日不食、終夜不寢
【季氏・第十六】429-16-09 生而知之者、上也、學而知之者、次也
【季氏・第十六】430-16-10 君子有九思、視思明、聽思聰、色思溫
【陽貨・第十七】443-17-09 小子、何莫學夫詩、詩可以興
【堯曰・第二十】499-20-03 不知命、無以爲君子也、不知禮
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