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中人以上可以語上也(『論語』雍也第六の19 No.138)

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中人以上可以語上也(『論語』雍也第六の19 No.138)

中人以上可以語上也(『論語』雍也第六の19 No.138)

2024/05/14

今日も昨日に続いて

論語499章1日1章読解から。

 

この記事が今月7回目の投稿になるんですが、

これまで主に〝学習〟というテーマの

周辺に関連する章句を読んできました。

郷原德之賊也(『論語』陽貨第十七の13 No.447)

不曰如之何如之何者(『論語』衛霊公第十五の15 No.394)

學如不及、猶恐失之(『論語』泰伯第八の17 No.201)

性相近也、習相遠也(『論語』陽貨第十七の02 No.436)

我未見好仁者惡不仁者(『論語』里仁第四の04 No.72)

子貢問君子、子曰、先行其言(『論語』為政第二の13 No.029)
 

 

ところで、

2022年のふりかえり「年間読書ベスト24」

ベスト1に選んだ

方条遼雨『上達論 基本を基本から検討する』

〝難易度設定〟という

とても重要なキーワードが登場しています。

 

 

教育の仕事に40年関わってきて、

学習者の能力や学習の進み具合によって、

学習内容のグレードや伝え方を選び

臨機応変に変えられることは、

すぐれた指導者の要件と痛感しています。

 

そういう意味では、開塾時より当塾で

基本教材として採用しているらくだメソッドは

個別学習個別対応を前提とし、

この難易度設定を無理なくスムーズに実現することに

最大限に配慮されている点において

非常に希有な教材と言っていいわけですが、

この話題に類する内容を述べているように感じた

雍也第六の19番の(通し番号138)を。

 

本章は以前にも一度紹介したことがありましたが、

大切な章なので、

口語訳文や語釈、参考記事を付け加えるなど

リライトを施しアップデートしました。

 

ちなみに以前の記事はこちらから読めます。

 

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【雍也・第六】138-6-19

[要旨(大意)]

指導者は学習者に合わせて伝える内容のグレードを選ばなければならないと孔子が述べている章。


[白文]
子曰、中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也。
 
[訓読文]
子曰ク、中人以上ハ、以テ上ヲ語グ可キナリ、中人以下ハ、以テ上ヲ語グ可カラザルナリ。
 
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、中人(ちゅうじん)以上(いじょう)ハ、以(もっ)テ上(かみ)ヲ語(つ)グ可(べ)キナリ、中人(ちゅうじん)以下(いか)ハ、以(もっ)テ上(かみ)ヲ語(つ)グ可(べ)カラザルナリ。
 
[ひらがな素読文]
しいわく、ちゅうじんいじょうは、もってかみをつぐべきなり、ちゅうじんいかは、もってかみをつぐべからざるなり。
 

[口語訳文1(逐語訳)]

先生が言われた。「中程度を超える者には、上を語ることができるのだが。中程度に満たない者には、上を語ることができないのだ。」

 

[口語訳文2(従来訳)]

先師がいわれた。――
「中以上の学徒には高遠精深な哲理を説いてもいいが、中以下の学徒にはそれを説くべきではない。」(下村湖人『現代訳 論語』)

 
[口語訳文3(井上の意訳)]
先生(孔子)が言われた。「中くらいよりも上の人には難しい話をしてもよいが、中くらいより下の人には、難しいことを話しても理解されないので語らない方がよい。つまり、相手の能力や学習進度によって伝える内容や伝え方を臨機応変に変えられれば、すぐれた指導者と言ってよいだろう。」

 

[語釈]

中人:「学力が中等の人」「賢者と愚者の中間の人」「普通の人」などさまざまな解釈があり、そのどれか一つだけに限定した意味というよりは、多くの意味を含ませながら解釈するのが適切か。
上:高尚な道理。高遠な問題。天下・国家・天命・仁などを指すが、これについても中人と同じ。
語:語る。話をする。教える。
 
[井上のコメント]
この章は、言葉通りに読んでしまうと、「人間の能力で、中以上の人と以下の人とに区別をして扱え」と受け取られかねないのですが、おそらく孔子はそういうことが言いたかったのではないのでしょう。

孔子には、人間を上中下の3種類に分ける考えがあったと指摘する人はいます(※吉川幸次郎『論語』文庫版(上巻)P.190→参考)。たとえば、この上中下という言葉から、働きアリの法則(アリの集団は、よく働くアリ1~2割、普通に働くアリ6~7割、あまり働かないアリ1~2割に分かれる)という話をおもいだしたのですが、それはけっして優劣を言っているわけではなく、生物が集団を構成するときの役割分担というものに近いからです。


「人並みの平均的な知性があれば、学習によってだれもが高度な知識・技術・教養を身につけられると考えていた」というのは、本章以外の章から読み取れる孔子の人間観としてよいでしょう。もちろん、何を以て人並みとするかは一律でなく見解が必ず一致するわけではないでしょうが、そもそも人間の能力に違いがあるのは当然で、その違いを区別すること自体がそのまま差別的扱いになるわけではありません。


日本でも1970年代に、「一億総中流意識」なんて言葉が使われた時代がありましたが、この章で語られている中人の中とは、おそらく世の中のほとんどの人というか、「並の」「普通の」「平均的な」という意味に近いものではないかと。もし、孔子の弟子たちのことを指しているのであれば、学習の進み具合と捉えられるわけですし、上や下というものを、全体から見たときの例外的な存在と捉えるなら、相手の能力に応じて話す内容を変えた方が良いという話は、けっして差別などではなく,指導者として至極当然の姿勢となるからです。

 

つまり、誰にも同じように接することが必ずしも平等的扱いとは言えません。仏教にも「人を見て法を説け」という言葉がありますが、本章の内容はそれにかなり近いことを言っていて、指導者にとっては、相手の能力に応じて対応の仕方を柔軟に変える個別対応の姿勢が大切なんだと解釈してみたんですが、いかがでしょうか。

 

[参考]

・中人とは、中ほどの人間である。陽貨篇第十七の3番「上知と下愚は移らず」(通し番号437・(下巻)P.37)と考えあわせて、孔子には、人間を3種に分ける考えがあったとされる。そうして「以って上を語るべき也」、「以って上を語るべからざる也」の「上」とは、上知にふさわしい知識、と古注にいう。つまりこの条全体の意味は、中ほど以上の人間には、すぐれたことを語りうる、中ほど以下の人間には、すぐれたことを語っても、しょうがない。中人が二度出るのは、上にもつき、下にもつくからである、とやはり古注にいう。
人間の知的な、あるいは道徳的な、能力には、系列がある、とする考えは、分らないではない。ただし荻生徂徠が、この条から出発して、何でもかんでもと愚民に呼びかけるのは、ばかなことである、というのは、いまの世にあまり適しない考え方となるであろう。なお、班固の「漢書」の「古今人気」が、人間を九段階に分けるのは、主としてこの条と、陽貨篇の上知下愚の条に、もとづいてであること、その条で説く。(吉川幸次郎『論語』文庫版(上巻)P.190より)

 

働きアリの法則(wikipedia)

 

論語詳解138雍也篇第六(21)中人以上には(九去堂)

 

 

●論語499章1日1章読解 過去の投稿記事一覧

論語499章1日1章解読ふりかえり(その1)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その2)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その3)

 

【学而・第一】008-1-08 君子不重則不威、學則不固

【為政・第二】020-2-04 吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑

【為政・第二】029-2-13 子貢問君子、子曰、先行其言

【為政・第二】031-2-15 學而不思則罔、思而不學則殆

【為政・第二】033-2-17 由、誨女知之乎、知之爲知之

【八佾・第三】063-3-23 子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也

【里仁・第四】072-4-04我未見好仁者惡不仁者(『論語』里仁第四の4 No.72)

【里仁・第四】073-4-07 人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣

【里仁・第四】076-4-19 君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比

【里仁・第四】077-4-11 君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠

【里仁・第四】084-4-18 事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨

【公冶長・第五】096-5-04 或曰、雍也、仁而不佞

【雍也・第六】129-6-10 冉求曰、非不説子之道、力不足也

【雍也・第六】134-6-15 誰能出不由戸、何莫由斯道也 

【雍也・第六】136-6-17 人之生也直、罔之生也、幸而免
【雍也・第六】138-6-19 中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也
【雍也・第六】146-6-27 中庸之爲德也

【雍也・第六】147-6-28 子貢曰、如能博施於民、而能済濟衆、何如

【述而・第七】148-7-01 述而不作、信而好古、竊比於我老彭

【述而・第七】153-7-06 子曰、志於道、拠於德

【述而・第七】155-7-08 不憤不啓、不悱不發、擧一偶

【述而・第七】163-7-16 如我數年、五十以學、易可以無大過矣

【述而・第七】170-7-23 二三子以我爲隠乎、吾無隠乎爾

【泰伯・第八】201-8-17 學如不及、猶恐失之

【子罕・第九】215-9-10 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前

【子罕・第九】228-9-23 法語之言、能無從乎、改之爲貴

【子罕・第九】234&235-9-29&30 可與共學、未可與適道、可與適道

【顔淵・第十二】279-12-01 顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁

【子路・第十三】323-13-21 不得中行而與之、必也狂狷乎

【子路・第十三】324-13-22 南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫

【子路・第十三】325-13-23 君子和而不同、小人同而不和

【子路・第十三】328-13-26 君子泰而不驕、小人驕而不泰

【憲問・第十四】337-14-05 有德者必有言、有言者不必有德

【憲問・第十四】368-14-36 或曰、以徳報怨、何如

【衛霊公・第十五】381-15-02 賜也、女以予爲多學而識之者與

【衛霊公・第十五】384-15-05 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣

【衛霊公・第十五】394-15-15 不曰如之何如之何者

【衛霊公・第十五】396-15-17 君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之

【季氏・第十六】429-16-09 生而知之者、上也、學而知之者、次也

【陽貨・第十七】436-17-02 性相近也、習相遠也

【陽貨・第十七】443-17-09 小子、何莫學夫詩、詩可以興

【陽貨・第十七】447-17-13 郷原德之賊也

【陽貨・第十七】459-17-25 唯女子與小人、爲難養也

【堯曰・第二十】499-20-03 不知命、無以爲君子也、不知禮

 

●論語読解の参考になる過去投稿記事

安田登『役に立つ古典』〜古典から何を学ぶか〜

情報洪水の時代をどう生きるか(その6)
顔回をめぐる問いと諸星大二郎『孔子暗黒伝』のこと
書経・商書「生きる方向軸が一つに定まっていれば吉」(「今日の名言・その7」)

問題解決ツールのコレクターになっていませんか?(つぶやき考現学 No.59)

 

 

 

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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

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